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2023年05月08日更新
フレンチ「SUGIURA」のオーナーシェフは谷中育ちの本場仕込みー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.49
『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回はフレンチレストラン「SUGIURA(スギウラ)」へ。(編集部)
和食・仕出し弁当の「すぎうら」からフレンチの「SUGIURA」へ
谷中の朝倉彫塑館の前に「SUGIURA」というフレンチレストランがある。先代は和食の店だったが、息子さんの代からフレンチに。2015年のオープン以来、やっと訪ねることができた。予約を取ったときの電話の対応があたたかい。
お昼でも6000円なので、なかなか訪ねられないでいた(平日は4800円のコース~)。ようやく行くと、これは手間暇かけたこの内容からすると正直で誠実な値段だと思う。食事を終えて1階のカウンターで、夜の仕込みに余念がない主人の杉浦功一さんの話を聞く。
「コロナになって、スタッフ数人いたのを、いまは妻と二人でやっています。座席数もへらしました。それでも常連さんが来てくださってありがたいです」
--野菜がとてもおいしいですね。
「野菜でもなんでも、いいものを仕入れられるように心がけています。タンポポなどはフランスから取り寄せです。今は春、イタリアのプンタレッラ(チコリの一種)なども今終わりかけですが。春野菜は苦みが身上です。これからは白アスパラですね。外国産はやや苦みがあり、日本産は甘いです。国内の野菜も厳選しています。最近はご自分で発信している農家さんも多いですし、それをキャッチして、いいネットワークを持つことが大事ですね」
--杉浦さんは、もとは和食のお店でしたね。
「ここに出てきたのは曾祖父の代で、杉浦多七といいます。その上の代も飲食やっていたらしいんですが、名前まではわかりません。初代から料理屋なんですが、その次のおじいさんが正雄といいまして、もとは築地で魚の卸をやっていて魚河岸の副理事なんかもやったそうですが、三井アーバンクラブとか、そこに仕出しもしはじめ、だんだん地域でも出すようになった。
戦争から帰ってきて法事の仕出しのお弁当をはじめたのはこの人です。常光寺さん、自証院さん、天王寺さん。顔の広い、でも厳しい人でした。うちに伝わる話では当時、彫刻家の朝倉文夫先生と懇意にしていて、その紹介で赤坂のほうの、ものすごいお金持ちのお屋敷に遊びに行ったそうです」
--実は私は今を去ること50年、18歳の時に前の朝倉彫塑館にアルバイトで土日勤めていました。当時は、区役所のものではなく、朝倉先生の奥様の甥御さんの山田夫妻が管理人を務めておられました。
土日はお茶会などにお貸しするのですが、私の仕事は炭をおこし、やかんでお湯を沸かすこと。掃除も雨戸の開け閉めも数が多くて結構たいへんでしたよ。そしてお昼に「すぎうら」さんの仕出し弁当が届くのですが、なかにはアルバイトの私たちにも振る舞ってくださる先生もいて、そのときは天にも昇る気持ちでした。やったーという感じでした。
「それは初めて知りました。朝倉先生とは懇意だったのは知っていましたが。たしかに来られるお客さんで朝倉さんのお茶会に出たとおっしゃる方はいましたね」
--黒い塗りの箱に入った、それはそれはとりどりの珍しい肴。幕の内弁当というのか、松花堂弁当というのでしょうか、黒ごまを振りかけた小さなご飯がついて、お吸い物がついて。先生によってはお稲荷さんの日もありましたが、杉浦さんのお弁当がいただける日は本当に幸せだったんです。
私は時給200円のバイトで、1日1500円にしかならなかった。そのころ、家庭教師をすると、週1回、2時間ずつ教えると、月に1万5000円もらえたので、そういうバイトもやってたんですが、あそこの場にいられることが至福の時間でした。アルバイト仲間は芸大の受験生で、若くてやんちゃなひとばかりでしたし。
「そうですか。それは祖父の代ですね。日本研究者のジョン・ネイスンが撮った『フルムーン・ランチ(満月弁当)』というドキュメンタリー映画にはうちがでてきます。当時、家族五人で、父の弟もいました。それを見るとおじいちゃんが出てくるので思い出したりして」
――調べてみますと、ネイスンさんは1940年生まれのユダヤ系アメリカ人で、ハーバード大学から東京大学に留学、そのころ谷中辺にいたのでしょうか。70年にその映画を発表し、三島由起夫や大江健三郎の翻訳もしています。藝大出身の女性と結婚していたこともあるようです。へえ、水谷八重子の「唐人お吉」で相手役のタウンゼント・ハリスを演じていたりもする。のちにカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の教授。それは初めて知りました。
「父は敬三といいまして、戦後の昭和22年生まれです。父は京都・錦小路の御料理 井傳(いでん)で3年くらい修行したと聞いています。今もある店ですよ。ところが父の代になると、お客さまが核家族化して、大々的な法事をやる方も減ってきて、仕出しから和食の料理店に変わったんです。
私が成人になる頃には、仕出しはあまりやっていなかったので。土日は松花堂弁当を出して、平日は焼き魚定食みたいなものを出してました」
--そうですか、地域雑誌「谷根千」をやっていた初期も和食のお店だったと思いますが、結局一度も伺えませんでした。
窓の向こうに朝倉彫塑館の黒い壁
--ご主人は、谷中育ちですか。
「そうです。昭和51年生まれの46歳です。幸せだと思いますねえ。谷中墓地、上野公園、東大グランドなどで遊び回っていましたから。家は忙しかったので、もうほったらかし、こんな自然のあるところで育ってよかったです。缶蹴りとかとか、ポコペンとか、東大の三四郎池でザリガニを捕ったりとか。駄菓子屋もたくさんありましたし。楽しい思い出が一杯あります。
ファミコンが買ってもらえずに友達のところに行きました。谷中小学校、上野中学です。当時はバスケットボールをやっていました。同級生には住職が何人かいます」
--それでどうやってフレンチのシェフになられたのですか。
「やっぱり料理が好きでその道に行こうとは思いましたが、自分は和食より洋食に興味があった。それで、最初は銀座の多国籍料理のキハチに勤めて、さらにオストラルという銀座の店に勤めました。もう働きづめで、そのころは谷中に住んでいても帰って寝るだけでしたから。地下の店から外に出ると『あ、雪が降ってる』とか。
まだ20代だったので、フランスに渡って、ビストロだの、お菓子屋だの、あちこちのレストランで働かせてもらって。先輩の紹介があったので、あとは仕事ができれば雇ってもらえます。お金は苦労しましたが。了俒寺(りょうごんじ)さんの近所に住んでいらしたフランス人の方からフランス語を習えたのも大きかったです。
パリとかリヨンの南にあるヴァランスとか、ブルターニュにも行きました。そのころはヌーヴェルフレンチのあとくらいかな。向こうの料理はシンプルでわかりやすいですよね。スペインの風が入ってきたころ。若いからできたことですね。フランスに3年半いました」
--ではここで開業されたのは、おじいさん、お父さんが代々飲食をやってこられたことも大きかったですね。
「はじめはそのつもりはなかったですが。父が15年ほど店をやっていたこともあり、また谷根千に人が来るようになって、ここでもできるかなと。厨房をフレンチ向きに変えて、2階を客席にして。
開店当初からお客さまが来てくださいました。近所のリピーターの方も増えましたし。定番のプリフィックスですが、リクエストがある方にはそれ以外のものを作ります」
--この高台には、私たちが雑誌「谷根千」をやっていた頃も食べるところは少なかったですね。お昼を食べるためにわざわざ配達の途中で坂を下りたりしていました。お魚もお肉もあれこれ仕入れるのはたいへんですね。
「鴨も大好きなのですが、海外で鳥インフルエンザがはやったり、燃料の高騰で輸送量が上がったり、今は農業国ウクライナから食材がこなくなったりで」
ワインはフランスをメインに知り合いのソムリエに推薦してもらっている。最近、日本食への関心も増し、それを取り入れたいという。仕込みをしながらさくさくとなんでもオープンに話してくれた。
2階の窓の向こうに朝倉彫塑館の黒い壁が見える。1階は洋食のための厨房、作業台も壁もピカピカだ。「どこを見られてもいいように、ちゃんとしてます」
「古き革袋に新しい酒を盛る」という言葉がある。松花堂弁当があまりにおいしかった「すぎうら」が、何を食べてもおいしいフレンチ、横文字「SUGIURA」になったのは、たしかにそんな感じだと思う。長く続けてほしい。
取材・文:森まゆみ
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
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