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2023年01月13日更新
フランス語が通じる町の小さな酒屋さん。山内屋は谷根千に残る個性派ー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.46
『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回は日暮里の個性派酒屋さん、山内屋酒店へ。(編集部)
味見しないとポップは書けません
かつてご主人、山内邦夫さんがスクーターに乗って配達する姿は谷中の名物だった。いすを勧めてくださるが、「私はいつも立ち仕事だから」と邦夫さんは座らない。
「古いお店は次々なくなるね。谷中銀座も魚亀さん、杉田の豆腐屋(武蔵屋)さん、濱野の下駄屋(濱松屋)さんもなくなったよ。隣の和菓子の日暮(ひぐらし)さんもなくなったし。酒屋の世界も変わってしまったからね。もうついて行けませんよ。うちは転換は早かった。息子が継いでくれたしね」
――お店はいつからやっているのでしょう。
「うちの祖父は九州の鹿児島姶良(あいら)の人で、東京に出て最初は警察官、そのあと練馬のほうで郵便局を開いたらしいですよ。その息子が父の山内俊治で、まずは朝倉彫塑館のならびにあった酒の配給所に勤めていたんです。昭和7年(1932)に免許を取って、経王寺さんからここに土地をお借りして独立。当時は配給制度と免許制で、なかなか酒屋にはなりたくてもなれなかった。
私は昭和19年の生まれで、谷中小学校に通ったんです。というのも疎開はしなかったんですが、谷中の瑞輪寺さんのところへ越したから。そのときは本行寺に増田さんという、そのあと瑞輪寺さんのご住職や、中山法華経寺のご住職になられた人格者がいらして、その方のお世話になっていたもんで谷中小学校に。そのときの同級生が阿部建築さんですね。キッテ通りの切手屋さん屋代君も同級生。
戦後、オヤジがバラックみたいな店を建ててね。そこに写真があるでしょう。なつかしいなあ。父の代はお寺さんはじめ、御用聞きに行って届けるのが仕事でした。当時は黄色い氷の冷蔵庫だったよね。毎日氷屋さんが来て」
――いつ子さんはどこから嫁がれましたか。
「私は新潟の長岡です。今年映画化された司馬遼太郎さんの『峠』の舞台ですね。河井継之助の。花火も有名です。来たのは昭和48年の9月です。お見合いと言うより、紹介してくれる人がいまして。私が来たときには彼とその妹で切り盛りしていたので、若々しい店でしたよ。ラッピングの教室などにも通わせてもらったり。子育てしながらやってましたけど、楽しかったです」
鈴を振るようなきれいな声だ。
「というのはね、私は父が40歳のときの子で、私が高校の時にはもう倒れてたんですよ。だから店の革新は早かった」と邦夫さん。
――どう違うんですか。
「当時は免許制が厳しくて、免許がないと酒が売れなかった。でも今は免許っていっても許可制だよね。スーパーでもコンビニでも売るようになったでしょう。だから配達を減らして、個性的な店をつくり、店売りに徹して、ポップも早くから立ててた」
――ご家族みんな、お酒つよいですか。
「そりゃあね。味見しないとポップは書けませんから。どれがおいしいですかと尋ねられても、味を知らないと答えられない。店頭でテイスティングもやっていたのですが、コロナになって中止せざるを得なくて。またやりたいんですが」
――店を継いだころとはどう変わりましたか。
「昔ほどみんな酒を飲まなくなったね。銘酒とか蔵元とか騒いでいるが、全体として日本酒の消費量は落ちている。でもいい日本酒はフランスワインみたいに、蔵元さんによっては、3割ぐらい海外で売れているそうですね。
日本酒や焼酎が主流だった後、冷蔵庫が普及して冷たいビールを飲む時代になり、それからウイスキーの時代になり、そのあと金曜日にはワインを飲もうなんてブームになったんです。それで息子はフランスに行った」
3代目が醸造地で買い付けたワイン。しぼりたての日本酒も
今は息子の和行さんが中心だ。昭和51年生まれ、第一日暮里小学校の出身。
「どういう所で、どういう風に作っているのかわからないと安心しておすすめできませんから現場を見ます。人にも会います。最初は本行寺の住職の弟の加茂さんがジェトロのリヨン駐在員だったので、学生時代そこに1カ月くらいお世話になって。
2度目はまた別の方の紹介でボルドーのワイン学校に半年通っていました。シャトーで働いている人が勉強する学校で、学校は週に2回だったので、空いている時間は各地のワイナリーを回って歩きましたね。その後、半年間ボルドー以外の産地をワイン学校の友達と巡りました。
やっぱりフランス語ができると、シャトーやワイナリーの対応もまるで違うんです。こっちの本気度も理解される。ここにあるのは僕が直接現地で買い付けてきたものです。白とかロゼのワインは2、3年くらいで飲むほうがよりおいしく飲めると思います。保ちますけどね」
――たとえば、手頃でおすすめのワインを何か教えてくださいますか。
「これ(シャトーペナン グランドセレクション)はボルドーのワインで、ブドウの品種はメルロー100%です。ボルドーでメルロー100%のワインというのは、ほとんどないんです。
このワイナリーのメルローの出来が非常にいいので、オーナーがつくりはじめたワインで。フルーティで濃くて、若いときは渋みがありますけど、熟成すると甘みも出てきます。パリのよいレストランでも使われていて、1900円(税別)で販売しています。
うちにもネットショップはあります。価格競争に巻き込まれてしまうので、そんなに積極的にはやっていないんですが」
――前にフランス人を連れてきたとき、和行さんがフランス語を話すので驚いてましたね。
「英語が基本でしょうが、フランス語もできると世界が広がります。海外を旅するワクワク感を自分で味わったから、この店も海外のお客さんがたくさん来るようなお店にしたいですね」
――日暮里の小さな酒屋さんでフランス語が通じるとはね。私もそういう現場を見ている人のおすすめでいいワインを買いたいけど、持ち帰るのは重いし、うちにも若い客は多く来るしで、ついネットで安いのを1ダースとか買ってしまいます。
「それもいいと思いますよ。でも、樽買いして日本で詰めているのも多いでしょうね。金賞受賞といってもどんなコンクールなのかがはっきりしないこともあります」
――最近、コルク栓でなく、金属のスクリューキャップが増えましたね。私など、コルク栓を抜く力がなくなってきて、キャップは正直言って楽です。
「コルクでないからといって品質に与える影響はないでしょう。オーストラリアやニュージーランドではスクリューキャップにしてる高級ワインもあり、熟成に関して問題はないようです。
ただ、レストランでソムリエがワインをグラスに注ぐときには、スクリューキャップやプラスチックのコルクではさまになりませんから。プラスチックは、コルクのカビの匂いを防ぐために考案されたのだと思いますが」
もうすぐボージョレーヌーボーで、またあの大騒ぎかと思うと嫌になります。
いつ子さんが口を添える。
「うちでも36~37年前からやっていますが、もともとはボージョレー村というところで、ガメイという軽くて酸味も少ない品種で新酒をつくっていて、今年のワインはよくできたぞと、村人たちがワクワクしながら封を切るという地域のお祭りでした。
それが輸入商社の商戦によって、誰よりも早く飲むのがボジョレーとなって、大騒ぎになってしまいました。ちょうど今、新しいポスターが届いたところで。毎年、きれいなポスターなんですよ」
「日本人の旬が好きなところにも合っていたんだろうね」と邦夫さん。
――どんな人がワインをお好きなんでしょうか。
「ワインが好きな人はワインしか飲まないですね。前に海外に駐在されていた方、海外旅行が多い方。藝大の先生や学生さんなども結構来られますね。好きな方は1ダース注文してくださったり。谷根千に町歩きに来て、中野屋さんで佃煮を買ってついでにうちものぞいてくださる方もいますね」
――飲食店で仕入れる方もいますか。
「はい、銀座まで配達したりもします。なかなか飛び込みでは取り引きできないですから、やはり紹介されたお店だけですね。東京でも全体として酒屋は減っているんですが、このあたりは個性的な酒屋が多いのは谷根千という土地柄でしょうか」
和行さんの話に邦夫さんが付け加える。
「荒川支部は50軒あったけど、今20軒です。おばあちゃんが一人でやっているところなどはなくなりますね。若い人は酒屋を継がない人も多いし、コンビニに転換しちゃうところも多い。ここも並びでは大島屋さんが角打ちで愛された店でしたがなくなりました。この前、平成生まれの人が来て、酒屋さんって初めて見たと言ってたな」
――和行さんは継ぐ気まんまんだったんですか。
「やっぱり海外の人と交流したりとか、そういうのが好きだったんですよね。学生時代から家でバイトしてましたから。お客さんも詳しい方が多いので話をしたり、あと自分でいろいろ調べたりするのも好きなんですよ」
男性のお客さんが見えた。迷いなく、冷蔵庫の銘酒の一升瓶をさっと取るとお金を払って帰る。自分の飲む酒が決まっているのだ。この店はこういう常連に支えられてるに違いない。
「日本酒の、新酒のしぼりたてが入ってきて。できたてのお酒は香りも味もひと味違うんですよ。これからおいしいのがどんどん出てきます。もちろん一升瓶で買うほうが少しお得なんですが、冷蔵庫に入りにくいですし、注ぎにくいですから、四合瓶を買う方のほうが多いですね」
和行さんの妻の舞さんも午後には店番に来るという。
「うちは娘が二人でまだ小さいんですが、商売の面白さが伝わるといいなと思います。今は昔よりも海外のお客さんも来ますし、人が集まるところというのは面白いですから」
帰り、家族で楽しく食べながら飲みながらの姿を心に描いて、なんだかほくほくした。
取材・文:森まゆみ
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
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2023年01月13日更新
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