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2022年09月09日更新
餅菓子の秋田屋には、幸子さんの人生が詰まった庶民の甘味があるー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.42
『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回大福や草餅など餅菓子のお店、秋田屋へ。(編集部)
甘いものが食べられるならいいかと、否も応もなく嫁いだ
根津の駅前に秋田屋という餅菓子屋がある。抹茶に合う上生菓子ではなく、番茶かほうじ茶で頬張るのがうれしい大福や豆餅、だんごを売っている。一つ150円という庶民的な値段。疲れたときは甘味にかぎる。私はここの草餅や三角形の豆餅が好き。夏になると氷を食べたくなる。水ようかんも。
何年か前にビルに建て替えた。いまは兄妹3人が主力でエプロン姿で働く。その先代の奥さん、それこそ身を粉にして働いてきた田口幸子さんに聞く。
「この店は田口春吉と春江の2人が創業したんです。舅の春吉は、もともとここで店をやってた人のところで働いていて、昭和8年に、ここを建物ごと居抜きで譲り受けました。私が嫁に来たころは、前の店の家紋の入った万重という、お菓子を入れる箱がまだありましたね。両親ふたりとも秋田の出身で。春吉は早く亡くなったけど、姑の春江は98になるところで亡くなりました」
――幸子さんも秋田の出身なんですか。
「私は昭和12年、東京の深川の生まれです。父は大学まで出て、養蚕の技師をしていました。人はいいんですが、仕事はそれほどできないんです。母のほうが頑張り屋でした。母は福島出身で、それこそ貧しい農家に生まれ、少女の頃に山形の糸取り工場に売られて、必死で働いた。工場には女工が逃げないように鉄条網を張ってあったそうです。
そのときに養蚕技師できていた父と出会って駆け落ちして、5人子どもが生まれました。戦時中、私の姉は勤労動員で軍事工場で働いていたし、兄は予科練に行ってたから、私とすぐ上の兄は秋田にあった父の姉の家へ疎開して、母は小さい弟と深川で生活していました。
その伯母は父のことを可愛がっていたので、とてもよくしてくれました。割烹旅館だったので食料には不自由しなかったですね。まあ、こんな話は秋田屋とは直接、関係ないんですが」
――いえ、私は空襲や疎開の聞き書きもしているので、興味があります。
「戦後、秋田屋の春江の妹が静岡で焼きそば屋を始め、そちらへ手伝いに行きました。春江の妹の旦那が、私の姉の旦那の兄さんで、その遠縁のつてで。そしたら、東京の姉のところが夏は忙しいので1カ月だけ来てほしいということで、手伝いに回された。
ここに来たら一人息子の勝一がいて、3つ年下でちょうどいいと、めあわされたんです。それが昭和35年で22歳のとき。否も応もないんです。私もまあ、甘いものが食べられるならいいかと思って。
結婚式は根津神社でやりました。披露宴はこの家の2階でやったんです。慶応病院の食堂の調理長が手料理を作ってくれました。この家は戦争では焼けず、戦時中の強制疎開で取り払われて、戦後、バラック小屋みたいなのを建てていました」
――じゃあ、甘いもの食べ放題だったんですか。
「とんでもない。来てみたら、姑は品物が売れ残っても私には食べさせてくれなかったです。そのときはもう舅は亡くなっていませんでしたが、秋田からお土産でもらったお酒も自分の部屋に持っていって、亡くなってから見たらお酒が飴色になっていました」
主人は「打つ」だけが取り柄の遊び人。でも嘘はつかなかった
——この仕事は、朝早いんでしょう?
「団子や草餅を、朝5時起きで作りました。白衣を着て三角巾をして、無我夢中で働きましたね。そのころはどら焼きもやってたし、夏はアイスクリームやアイスキャンデーも作って売っていました。
昭和35年、39年、41年と生まれた子供たちは勝手に育ってくれました。働きづくめで、PTAなんか出られた試しはありません」
――じゃ、勝一さんと手を携えて。
「とんでもない。勝一は遊び人でしたから。もっとも、呑む打つ買うのうち、『打つ』だけです。競輪と麻雀。団子坂におばあさんが闇でやっている麻雀屋があって、そこに入り浸ってた。子どもをおんぶして何度迎えに行ったことでしょう。2晩続きでやっているから、顔なんか粉をふいていましたよ」
――じゃあ、お店の役には立たない?
「それで困ったんですよ。義母が怒るでしょ。でも、私のせいでもあるのかな、と思ったりもしてね。別れたって帰るところもないし。今でこそ言えるけど、もう飛び降りてしまおうかと、夜中に二度ほど、鶯谷の鉄道の跨線橋まで行きましたよ。福島の兄のところに母がいたので、相談にも行きました。
そうしたら、母は泊めてさえくれなかった。小さな家ですから、余分な部屋があるわけでもないしね。通帳とはんこを出して、帰りの汽車賃がないならこれで出してお帰り、と。そのときは冷たいと思いましたが、今思えば、一泊でも泊めたらもう東京に帰れなくなるとわかっていたんでしょう。でも、主人は嘘はつかない人でしたね」
――根津は外から嫁に来てどんなところですか。
「近所はみんないい人でしたよ。人情があって。隣がパン屋さん、その向こうが日本そば屋さん。ご飯が足りなければ、丼を持っていってちょっと分けてもらったり、醤油や味噌がなくても、ちょっと貸してと言えるような仲で。
地域の子供たちが懐いて、みんな寄ってくれてね。中にはお母さんが働いて夕食が食べられない子どももいる。『母ちゃん、今日はご飯なに? 僕にも食べさせてくれよ』なんて言いますから、どれだけ食べさせたかわかりません。
来たときはなんてことない町でしたが、昭和43年に地下鉄千代田線が通ってから人が増えました。今でも一階に寝ていると下を地下鉄が通る音が枕に響きますね。そもそもうちの前が都電の停留所でしたから」
――それから谷根千ブームが起きて。
「根津神社のツツジ祭りのときは、店の前は雑踏みたいになりました。テレビで紹介してもらっても、手でやることだから、できる数には限りがあるし、てんてこ舞いで。近所の方にも迷惑かけますし。
そういってもこの辺はずいぶん変わりました。魚屋さん、肉屋さん、豆腐屋さん、何軒かずつはあったんですよ。お寿司屋さんもね。お風呂屋は宮の湯さん、赤津湯さん、それがみんななくなってしまって。
私は幸い病気一つしたことがないけど、主人は手が動かないと、軽い脳梗塞になって、最後は肺がんでした。麻雀しながらどれだけ煙草を吸ったものやら。平成13年に亡くなりましたから、もう20年になります」
――いろんなお客さまが次から次へと見えますね。
「うちは朝8時に開けて、夜も8時までやってますからね。朝行きがけの方も見えるし、帰りに寄られる方もある。お雑煮とか安倍川とかを食事代わりに店で召し上がる方もいるんですよ。噺家の三遊亭好楽さんが自転車に乗って買いに来てくださったり、池波志乃さんもお近くなので。この間は角野卓造さんも見えました」
——これから何かなさりたいことはありますか。
「やっと暇になったと思うと、今度は体がついていきません。旅行もしたいんだけど。月に2回くらいお友達で集まってカラオケをしますね。それ以外は早く起きて自分の仕事を済ませたら、あとはテレビを見たり、昼寝したり、自分の部屋にいるの。年寄りは余計な口を出さないことです。
幸い、息子とその家内、上の娘は一緒に暮らしているし、下の娘も近くにいてみんな仲良く働いてくれてますから。孫も二人ずついてとってもいい子たちですよ。私の自慢です」
長らく働いてきたのに、その苦労がみじんも見えない色白で穏やかな幸子さん。静かに語る向こうで、家族総出でキビキビと働く気持ちのいいお店である。
文:森まゆみ
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
http://www.yanesen.net/
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