2022年04月20日更新

変えないことが逆に新しい。菊見せんべいに「お客さんひっきりなし」の理由ー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.39

『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回は明治8年創業の「菊見せんべい」へ。(編集部)

創業は明治8年。建物は3代目、人間は5代目です


千駄木駅を降りて谷中のほうに向かうと、柳通り商店街に入って左側すぐに、間口が5間位もある、菊見せんべいの大きな木組みの店が見える。道からは少し引っ込めて、格子戸がはまり、瓦屋根も載せて、大きな看板があって、堂々たる店構えだ。



ここは雑誌「谷根千」の最初から最後まで、表紙裏の大きな広告を毎年一回出してくださっていた。恩のある店である。

お客さまはコロナの今も引きも切らない。「いらっしゃいませ」の声もいい5代目の天野善之さんに聞く。

--ここなら高層ビルも建つのに、どうしてこんな低層に。二階建てですか。

「これは父・善夫が昭和52年に建て直したのですが、父は拡大は必要ない、と。食べていければいいんだから、味を守り、地道に商売を続けていくほうが大事だよ、という考えでしたので。建て替えたのも前の店が文化財指定されそうになって、直せなくなると困るというので、建て替えたのです。

といっても、皆さん木造と思われるのですが、これは実は鉄骨鉄筋コンクリート造なんです。その代わりに、近くにおられた名人の建具職人、味谷(みや)健一郎氏に頼んで、入り口の格子戸、店奥の格子戸や帳場などの木組みをやっていただいて、中も木をふんだんに使っているので、木造に見えるのでしょうね。もっとも、入り口は開け放しているので、扉は見えないのですが。

谷中散歩に来られる方はまず、団子坂の角で地下鉄千駄木駅を降りて、こちらに入ってこられる。最初に目にとまる店ですから、皆さんに古い町の風情を味わっていただこうということで。おかげさまで、行きに買おうかしら、帰りにしようかしら、と皆さん立ち寄ってくださいます」



--谷根千のエリアでいうと、ちょっと外れの根岸の羽二重団子が江戸時代の創業ですが、それに続く古いお店となると、菊見さんではないかと思います。明治8年の創業ですね。

「そうです。初代は天野六五郎、埼玉の出なんですけれど。あそこは草加せんべいの本拠地ですし、おせんべいに適したお米が取れるところなんです。そこから出てきて、2代目が梅太郎、3代目が八右衛門、4代目が父の善夫、そして私です。建物は3代目、人間は5代目、建物のほうが人間より少し長く保つんですね。

私は昭和44年生まれ、祖父は昭和30年頃に他界しておりましたから、私は父からしか知りません。その父も私が大学を出て2年ほどで亡くなりましたので。本当は少しは別の仕事もしてみたかったのですが、そのまま店を継ぐことになりました。まあ、小学校の時から父の手伝いはしていましたし。

ただ、これね、この箪笥は二代目の梅太郎が作ったものなんです」



--すごい。よくできてますねえ。何の材だろう。

「わかりません。もう古いから捨てようかとも思ったんですが、ダメダメ、絶対取っておけという方が多くて。梅太郎はもともと建築家で、アメリカまで行ったそうですよ。この箱も梅太郎が作ったんですが、裏に明治37年と書いてありますね」



鴎外も光雲も菊見せんべいのファンだった


――明治8年に創業されたとき、この辺はどうだったんでしょう。

「団子坂で菊人形が盛んだったのでそれを当て込んで店を開いたのだろうと思いますが。当時は、おやつというと、お団子かおせんべいぐらいしかなかったので、せんべいをつくってお土産ものにしようということで始めたようです。

あの当時は花見と同じで、秋になると菊見見物といったらしいですよ。それでこういう屋号がついた。聞いた話ではこの辺、田んぼと雑木林で、店なんか何もなかったようです」

――でも菊人形は秋の1カ月くらいで、あとの時期もお客は来たのでしょうか。

「ええ、宣伝なんか当時、何にもしませんから、口コミで来てくださったようですよ。せんべい屋はたいてい神社や寺の門前町にでき、お参りに来た方がお土産に重宝する。日持ちもしますし。反対側は谷中寺町、寛永寺さんまで続くので、お墓参りの方も多いんです。お寺さんでも檀家さんへのお土産などにも使ってくださいますし」

--明治8年当時の店のお写真を見ると、かわいらしいお店ですね。なにか、高村光太郎さんがお店のきれいな娘さんを見初めたという伝説がありますが。

「あれは単なる噂で、たしかに店に智恵子という名前のきれいな娘がいまして、たまたま光太郎と結婚した方も智恵子だったので、そんな話になったようです。お父さまの仏師、光雲先生はうちのせんべいをよく買ってくださいましたし、団子坂の上におられた森鷗外さんも、書生さんと談論する時にはうちのせんべいをお茶請けにされていたそうです」

--明治40年頃の洪水の写真を前にお借りしました。

「そう、ここは上野と本郷の大地の間の谷ですからね。周りには田んぼがありましたし」

--一時は、お米屋さんもやっておられたようで。

「はい、埼玉からせんべい用のお米を大量に仕入れるので、欲しい方に米もおわけしようと始めたようで。せんべいが先で、米屋があとなんです。写真にも『菊見煎餅米穀部』とあるでしょ。



梅太郎の娘がつぎで、八右衛門は養子です。一関から店に働きに来ていたのですが、すごく使える奴ということで、長女のつぎにめあわせた。また一時はいくつか菊見ベーカリーという支店を出していましたが、いまはありません」

--「谷根千」を配達していた頃は、色白で優しいお母さまと、細身でテキパキした伯母さまと、二人の女性がお店で切り盛りされていました。

「伯母の八重子は大正15年生まれで、自分では昭和元年と言っていましたが(笑)、94歳で亡くなりましたが、母は元気です。僕よりもう少し古いことを知っています。ちょっと、お母さん」

と奥にいた月江さんを呼んでくださった。



「私が結婚したのは昭和39年、東京オリンピックの年です。実家は下谷の稲荷町で万年筆屋をやっておりまして。都立高校を出て野村證券に勤めていて、そのころは高度経済成長で人手が足りず、やめないでくれとずいぶん言われたものです。

家族の介護があるなんて口実でやめましたが、結婚式の様子が東條會館のPRビデオで公開されてしまい、本当の理由がバレてしまいました(笑)

私の叔母と夫の姉の八重子が同級生なので、私のことを赤ん坊の頃から知っていたんです。それでお見合いしまして。嫁に来たときは私は22で、すごく大家族でした。舅はいませんでしたが、姑、その妹夫婦、夫の姉たちもいて、男衆もお手伝いさんもいて。仕事は大変でしたが、みんなやさしい人ばかりでした。私もせんべい焼きましたよ。一応何でも作れます」

今も、紺のエプロンをしめて、ふっくらと優しい月江さんだ。



長く続くお店は2種類ある。でも、流行るものは飽きられやすい


--お父さまの善夫さんが割と早く亡くなくなってしまわれて。谷根千のこともすごく応援してくださって、お話や、資料も貸していただきました。

「父は外面はいいんですよ。うちではワンマンで、言うことを聞かなかった。父は店になんか出たことはないですね」

――そうだ、お父さまからは、あかぢ銀行が倒産したときに損をされたというお話を伺いました。

「そう、昭和2年に銀行の連続倒産が起きたときに、うちは2万円損したそうです。あの前の家が5000円で建ったときの2万円ですから。ま、家を5000万とすれば、今の2億円くらい損したのかも。

あやしいよ、という噂はあったのに、うちはのんびりして、預金を下ろしに行かなかったらしい。それで、本店が大変だというので、当時14店あった支店の人たちがお金を貸してくれて、なんとかピンチを乗り切ったと。まったく、ずっと人のよいだけの一族なんです」

――このあたりは、小学校は汐見ですか?

「僕は汐見小学校で、あのころはまだ震災復興の古い建物でした。歩くとキシキシいって、体育館の奥のほうの倉庫も薄暗くて怖かった。この前も、ОB訪問というので、汐見小学校で全校生徒を前にスピーチしてきたんです。そのころ学校の先生から教わった『人間万事塞翁が馬』という話をしました。

先生がその故事を教えてくれたんです。喜んだり、悲しんだり、毎日いろんなことがあるけれど、そんなふうにいろいろあるのが人生なんだよ、と。失敗したことを課題の日誌(人間万事塞翁が馬ノート)に書いて提出すると、先生から『でも、この経験が別の機会に生きるかもしれませんね』なんて返事をもらって。それが生きていくうえですごく参考になりました。

隣の花美喜さんも同級生ですし、みんなでこの辺で遊び回っていました。根津神社とか、須藤公園とか。母の実家が稲荷町で、ここから車で10分ですから、田舎のある同級生がうらやましかったですね。

父は受験なんかしなくていいといったんですが、僕は自分から受験したいから塾に行かせてくれといいました。珍しい子供ですよね。中学から立教です。父は開成から明治大学で、息子は慶應なので、少しずつ六大学を攻めていこうかなと(笑)」


2代目の店舗

――この仕事の大変さはどんなことでしょう。

「まず体力的なことから言えば、温度差ですね。夏なんか、せんべいを焼く工場は55度くらいになる。外は30度、クーラーをかけると20度、その差が身体にはこたえますね。

あとは、やっぱり味を変えずに、昔からいらしてくださるお客さまの期待に応えられるように、と。僕が継いでから25、26年たちますけど、いつも寄るなじみの店、ふるさと的な感じの場所であるために、そこだけはずーっと気をつけているところです。

長く続く店というのは2種類あると思うんです。どんどん新しく流行るものを作って生き延びる店と、同じものを作り続ける店と。新しいものはいくらでも思いつきますが、それは意外とすぐ飽きられてしまう。僕はそれはいやなので、だったら昔からのお客さまの期待に応えられるものをずっと作り続けるほうがいいんじゃないかと。

せっかくそういう歴史があるんだからと思っていて。だから、変えないことが逆に新しいんだ、というのが僕のイメージなんです。大変ですが、そのほうが古びませんから」

--おせんべいのお米は、今も埼玉から?

「お米はどんどんよくなっていて、今は、埼玉に限らず、いろんなところから選んでいます。おせんべいはうるち米を使います。普通に食べるご飯と同じお米です。あられはもち米なんですけど。

ただ、最高級のコシヒカリを使えば最高のせんべいができるとも限りません。お米の粘りだとか、生地にしたときのできばえだとか、炊いたときにおいしいお米とおせんべいに適したお米というのは、また違うんですね。

精米、製粉して、生地にして、それを切って焼くのですが、昔は手で一枚一枚、ひっくり返していた。それを6枚ずつひっくり返す機械ができて。

おせんべいって、千回ひっくり返すからせんべい、という説があるくらい、何度も何度もひっくり返すことで、むらのない歯触りができると言われているんです。

うちのせんべいは四角です。もともとは醤油のせんべいで、大正の頃にそれに抹茶、白い砂糖をかけたせんべいができました。

三色袋入せんべいが一番出ますね。うちの父の代に唐辛子、私の代でごまを考案しました。今はそれに加え、ちいさなあられのようなものをいくつか商品化しています。でもあまり多品種にするとお客さまが迷うんです。何度も来る方は決め打ちで買っていかれます」

--こんなに開け放しておられて寒くないですか。

「慣れました。自然の換気です。父が、戸を開けていたほうがお客さまはふらっと立ち寄りやすいよ、ということで。インナーを着てバッチリ防寒対策しています」

--6代目は大丈夫そうですか。

「息子は今、外資系のコンサルタント会社に勤めていて超多忙です。今は自分のやりたいように、僕ができなかったようなことを、外でやってこいと言っています。でもいつかは店をやるつもりのようです」

お話を聞く間にも、お客さんがひっきりなし。大きな箱を何箱も買っていく常連さんもいる。かと思うと、若いカップルが1枚づつ買っていった。

「ここから、よみせ通りを歩くと、谷中銀座の越後屋さんあたりで食べ終わる。そうするとそこでお酒を一杯飲んで、鈴木さんのコロッケを買って食べる……谷中散歩の定番です」と善之さん。「インバウンドの時は、そこらへんに飛行機が降りたのではないかと思うほど、各国からお客さまが見えました」

お話の中にも、近所のお店やお友達の名前がよくあがる。千駄木南部町会の副会長も務め、須藤公園の盆踊りやクリスマスイルミネーション、子供たちとのハロウィーン、夜の映画祭に餅つきフェスティバルなど、地域のイベントにも活発に携わっている。土地に根ざしたどっしりしたお店である。 

お土産に買ってきた海苔巻きあられは、歯に優しくとてもおいしかった。 

取材・文:森まゆみ


当連載のアーカイブーSince 2018ー

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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.3ー甘味処「芋甚」は根津にはなくてはならない、お守りみたいな店である
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.4ー若い二人が引き継いだ「BAR 天井桟敷の人々」には悲喜こもごもの物語がある
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.5ー中華料理「BIKA(美華)」のご主人がポツリと話す根津宮永町の昔話
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.6ー鉄道員から役者、そして寿司屋へ。すし乃池の大将の人生には花と町がある
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/
連載もの: 2022年04月20日更新

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