2022年02月02日更新

律儀で親切、泰然自若。テート薬局のご主人はいざというとき頼りになる町の重鎮だー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.34

作家の森まゆみさんによる連載です。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回は、2021年1月、惜しまれつつも店を閉じたテート薬局へ。(編集部)

楽しかったですよ。悔いはありません


根津藍染め大通りにテート薬局が2021年1月まであった。入り口に象のサトちゃんがいる、親しまれる店だった。

今年83歳になられた小林尚さんに、お話を伺う。店はすでにきれいに片付き、その奥の板の間にはお茶の準備ができていた。この空間の感じが自分の生まれた動坂の家に似ていて、なんだか胸がキュンとなった。

――まずは、お店の歴史から教えていただけますか。

「1911年、明治44年の6月23日に開業しまして、今年の6月で110年。ちょうど日露戦争の後だったので、帝都をカタカナにしてテートと、そんな名前にしたのでしょうね。私の知る限りでは、ほかに水道橋に1軒、同じ屋号のテートという洋服店がありましたが、カタカナのテートは東京で2軒だけだと思います。

73の時に、あと10年ぐらいかなと思いまして、店を閉める準備してきました。82でやめて、ちょうど閉店して8カ月になりました」

--会社の定年は60歳ですから、20年以上長く働いたことになりますね。お疲れさまでございました。

「楽しかったですよ。悔いはありません。貧乏暇なしで、お金を貯めるとか、家を建て替えるとか、考えたことはありません。

この建物自体はもっと年を取っていて、明治30年代のものですから、もう120年もたっているんです。関東大震災のときには、この六軒長屋がバタッと前に倒れたそうですが、それをそのまま起こせたんですね。もちろん、そのときは、私はまだ生存しておりませんが(笑)。うちはそのうち2軒分を使っております」



--ちょうど、渡辺財閥がこの先のあかぢ坂の左側に大きな隠居所を建てたのが、明治30年代と言われています。それと同じころの開発ですね。最初に建てた人はわかりますか。

「それがわからないんですよね……。うちは元々、今の成田空港のあたり、三里塚御料牧場のあった、そこの農家の出なんです。桜の名所でもありますが、下総台地の地味のいい土地でね。

父・小林竹雄は兄弟の下のほうなので、農家の後を継ぐこともできず、テート薬局を開業した椎名百太郎さんを、同郷の関係ということもあり、手伝うようになりました。その後、1952(昭和27)年に椎名さんが亡くなり、父が後を継いだんです。父は1908(明治41年)の生まれですから、40代ですね。

それで、私も中学2年にあがるときに、この場所に来ました。文京八中ですが、私が通っていた当時は、今の文林中学校の場所にありました。戦後の開校時には、汐見小学校の中に仮住まいしていた時期もあったんですよ」

--尚さんは、薬屋さんを継ごうと思っておられたんですか。

「はい。私は東京薬科大学を出て、5年間、今話題のファイザーに勤めました。東京薬科大学は140年の歴史があり、いまは八王子に移転したのですが、私のころは新宿の柏木にありました。当時は4年制でしたね。

1967(昭和42)年に店を引き継いだので、前の東京オリンピックのあとですね。そのころは根津だけでも同業者は15軒あったんですよ。けれど、昔からの店舗で残っているのは、ダルマ薬局さんとうちだけでした。ダルマさんは昭和30年代の開業ではないかな」


お隣の建築家、栗生はるかさんにプレゼントしてもらった写真と。

できるだけ町の方のお役に立ちたいと思って


--1992年くらいにお話を聞いたときには、「商売は直滑降、クリスチャニアならまだ上り下りがあっていいけど」と言っておられました。

「あれはバブルのはじけた頃でしょう。当時は大学病院などの脇に調剤薬局がどんどんできていきました。うちも各大学病院にお願いに行って、日医大の調剤もやっておりましたが、年々厳しくなりましたね。娘が二人いますが、後は継ぎません。

一方、スーパーができて酒屋さんが潰れていったように、ドラッグストアがチェーン展開をして、飲料や食品、生活用品まで扱っていますからね。でも今はドラッグストアもコロナ禍で売り上げが下がって、厳しいようですね。

ーーコロナ以降、ドラッグストアでは、感染対策のマスクやアルコール消毒液など、売れているのかと思っていました。

「特に中小は後継者の問題もあって、大手のドラッグストアに経営統合されているところも多いんです。対面での店舗は少なくなっていくのでしょうね。

東京大学の赤門前のコンビニでも、一時期は併設の調剤薬局が24時間体制でやっていました。ただ、人件費もかかりますし、東大病院の院外処方箋の薬を赤門前まで取りに行くのは大変ですからね。撤退してしまいました。

東大病院はもともと好仁会という財団法人の薬局が病院の地下にあったんですよ。それが院内で独占的だというので、いまは龍岡門の外に調剤薬局ができています。順天堂大学だけは、調剤を外に出さない。患者さんを薬で30分以上は待たせないと言い切っておられます」

--でもテート薬局も、バブル以降も30年、お店を続けられたのですね。

「おかげさまで、地域に密着して仕事をしてこられたからです。できるだけ町の方のお役に立ちたいと思って。根津は一人暮らし、ことにお年寄りの一人の方が多くて、訪問看護とか往診もあるので、薬も家まで届けて差し上げてた。

本当は在宅だと加算も取れるんですが取らずに。お金の問題じゃなくてね。根津は密集していて、平らですから配達もできたんです。大体は根津や千駄木、谷中ですが、日暮里や三河島のほうまで自転車で配達することもありました。

あの頃は携帯もないし、住所のメモを握りしめて、わからないと途中で公衆電話から電話をかけたりしてね。そして、薬を毎日分に分けて朝昼晩と居間の壁のポケットに入れて差し上げたりしました。

かかりつけの医者がいるように、かかりつけの薬屋さんがあると安心ですよ。店を閉めてからの時間でも、近所の方が風邪薬とか下痢薬をくださいと戸を叩くときもありました。また町会所有の車椅子もお借りしていて、お年寄りをそれでお家まで送っていったことも。

大正生まれの方と、戦後生まれの家族、またその下の孫の世代では、なかなか同居は難しい。習慣も食べ物の好みも生活時間帯も違いますから、一人暮らしが多くなります。かなりのお年でもシャキッとして何でも自分でなさる方もいます。自分で119番電話しちゃうような方もいます」

--うちの母も一人のほうが気楽だと、92歳で一人暮らしです。孫たちがよく世話をしに行ってますが。



そういえば以前、お店に伺っているとき、ノロウィルスがはやっていた頃で、その疑いがあるお子さんを連れたお母さんが入ってこられました。そのとき小林さんが厳しい顔で「あ、森さん、すぐ、店から出てください」とおっしゃいました。

「それは感染症の場合、できるだけ、患者さんとそうでない人を離さなければならない。うちみたいな小さな店ではなかなか難しいのですが、とにかく離れてほしかった。

インフルエンザの時もそうです。患者さんに接することも多いので、私は毎年12月の初めくらいに予防注射をいたしました。インフルエンザは1、2月がピークで、抗体は3カ月くらいしか効きませんから。

毎年、インフルエンザが大流行してますが、コロナ以降、皆さん手洗い、うがい、そしてマスクをするようになり、インフルエンザはほぼゼロに近くなりましたね」

--しかし、今、薬漬けということも言われたりします。飲み過ぎということはないんですか。

「町の薬局で売っている薬は手軽ですけれど、たとえば風邪薬でも、鼻水を止める、熱を冷ます、咳を止める、喉の痛みを取るなど、複合した薬なんです。目薬だと、かゆみ止め、ドライアイ、ひいてはビタミンまで入っている。ところが病院で処方される薬は一つの薬に一成分。ですから、たくさんの種類の薬をきちんと飲んでいただくため、そのことを説明しながらお渡しします。

お医者さんに診てもらい、薬を飲んだことで安心して高熱が下がることもあるんですよね。私も長年、患者さんと付き合ってきましたから、その方の性格や、お年、体重、アレルギーなどもわかっているので、処方箋は必ずチェックして適量かどうか、過剰な要素がないかどうか、僭越ですが先生に申し上げることもありました。

このあたりは、一人暮らしの若い方も多いんですよ。学生も多いですし。そういう方は栄養面や生活時間が心配で、アドバイスなどをすることもありました。やはり薬を早めに飲んで、初期の症状で抑えるということが大事なんですね」

薬剤師の仕事で大変なこと、大切なこと


--薬剤師の仕事で一番大変なことは何ですか。

「安心安全な仕事をしないといけない、ということです。薬にはやはり適量というものがありますから、濃厚診療になっていないかを確認しないと。患者さんに治ってほしいなあという気持ちで薬の面から考えてきましたから、よくなってくださるとうれしいです」

--コロナになってからはどうでしたか。

「日本はワクチンの開発が遅いとか言っていますが、一生懸命やっています。ただ、日本は治験といってエビデンスを慎重にやるもので遅いように見える。もうすぐ、塩野義のワクチンが出ると思いますし、注射でなく内服の、錠剤のワクチンもできると思います。第六波に備えなければなりません」

--ところで、尚さんは、地元アイソメ町会でも「こんにちはあいそめ」というミニコミを出しながら、この藍染め大通りを盛り立ててこられました。

「この町会は公園がないんですね。それで日曜日にこの前の通りを歩行者道路にして、いろいろな行事をやってきました」

――ここは、渡辺財閥のお屋敷まで馬車や車で行くために通りを広くした、という説もありますね。

「珍しいくらい広くて、イベントには使いやすい幅なんですよ。野外映画や、金魚すくい、盆踊り、太鼓、綱引き、流しそうめん、いろんなアイディアを出しあってね。何をして子供たちを楽しませ、友達が作れるようにしようかと。町会にお金があった頃はバスを雇って、奥多摩に行ったりとかしましたが、そのうち、バスを使わずに、電車を乗り換えて行って、先発隊がキャンプの準備をしたりね。

うちは娘二人を育てるのも店でしたから、お誕生日会なども家でしないでピクニックにしたんです。千代田線で松戸まで行って乗り換えて、20人ぐらいで、お弁当を持って梨狩りに行ったり。自分の町を出て何か体験できるように心がけました」

--あのときのお仲間はどうされてきますか。

「肉屋の渡辺さんは奥さんの田舎に越されたし、絵描きの杉山さんも亡くなられて、惣菜屋さんだった吉田さんと私と、今は二人しかいません。彼が今、町会長をやっています。『こんにちはあいそめ』では、いろんな方と接することができましたよ。今は、この並びにもいろんな面白いお店ができて、若い方たちが頑張ってくださっています」



--ご主人、マイペースで泰然自若って感じですね。

「財を成すとかは全然考えてないですから(笑)」

--奥さまはどうなさっていますか。

「今は二人で朝から根津神社でラジオ体操、あとはよく町を散歩しています。地域に密着してきたから、町を歩いていても、あ、テートさん、と声をかけていただきますよ。お酒は60歳でやめました。

うちの妻は浜松の生まれで、鎌倉で彼女の叔父と叔母が医者をしていたので、その縁できてくれました。子供を連れて浜松まで車で帰郷したこともありました。8月はじめの土曜の夜には、花火をやっているところも多くて、高速道路から眺めたりしながら。根津生まれだと田舎がないからね」

--うちの父ともずいぶん遊んでくださったようで。

「文京区はもとの区の成り立ちから本郷と小石川に分かれているわけですが、古い組織なので、医師会、歯科医師会、薬剤師会が三師会といって交流が盛んで、歯科医である森さんのお父さまともゴルフも一緒に行きました。森さんの弟さんの若先生とはカラオケをしましたね。彼が来ると、にぎやかになって」

--そうですか。30年前の私の取材では、小林さんこそ、マイクを握ったら離さないと書かれていますよ。「人呼んで根津の山川静夫アナ」といわれる小林尚さん、て。「口の悪い仲間は『アルコールもいける。いざとなったら薬用アルコールもある』という」だって(笑)。

根津でずっと暮らして後悔はないですかと聞くと「ないですね」とひとこと。律儀で親切、謙虚で利害度外視、だからこそいざというときには頼りになる町の重鎮だ。散歩と禁酒、お手本にしなければ。

取材・文:森まゆみ


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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/

仕事旅行ニュウス: 2022年02月02日更新

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