猫型の“働き方”とは? を考えてみた―CAT WORKな感性を仕事に―【前篇】

こんにちは。仕事旅行社キュレーターの河尻です。3回目の投稿となります。

1回目2回目は年明け早々、「格差化&ロボット化で仕事ヤバいぞ」みたいなシビアなテーマが続いてしまいましたから、今回はほっこり系を。今月の「シゴトゴト」の特集でもあった「これからの働き方(パラレルワーク・複業ブームetc)」とも絡めながら、〆の編集後記として書いてみたいと思います(絵:ぼんち)。

吾輩は「働いてるつもり」である


さて、我が家には猫がいます(銀ノ丞・3歳♂・特技:噛み)。この猫はよくしゃべります。正確に言うと鳴いてるだけですが、じっくり様子をうかがっていると、一生懸命“その言葉”で何かを伝えようとしている気がする。鏡に写った自分自身にしきりと話しかけているシーンもたまに見かけます。

「くう・ねる・あそぶ」がデフォルトである猫の日々はシンプルですから、3年も生活をともにしていると、なんとなく「このへんのこと言いたいのでは?」といった察しもつくようになりました。猫は猫で同じく、私の言ってることに対してそう感じているように思えます。

ときには会話のようになることも。

【ある日の猫と私の会話】

猫「おう、ドア開けてくれ。お外行きたいねん」

私「やめとけ。今日は寒いど。あとなあ、最近この近所でも『猫嫌いの人が毒エサまいたりしてるから注意してください』て、地域猫活動の人が言ってた。物騒や」

猫(いきなり不機嫌な声音になる)「んなもんビビッてたら、パトロールでけへんやんけ!」

私「なんやねんパトロールて…(笑)。言うてもウロウロするだけやろ? ワンコみたいに見張りとか人命救助もできん。そんなもん世の中なんの役にも立ってないぞ。収入もゼロや。こないだネット記事で見たけど、カール・ラガーフェルドとこの猫とか年収3億5000万らしい…。やるんやったら稼いできてくれ!」

猫「ちゃうのよ、そういうこととは! パトロールは毎日やらなアカンねん!! オッサンもうエエから…。開けろー、はよ開けろー! 開けへんのやったらワシにも考えあるから」

(タッタッタッ→ピョン→バリバリバリッ→「ガブッ!」)

私「ぐわあーーーーっっっ」

「じゃりん子チエ」風に脚色はしてありますが、これは実話であります。噛まれるとけっこうキます。
下写真のように。


こういった“コミュニケーション”を年がら年中繰り返しているうち、私にはどうも「この猫は自分では、遊んでいるのではなく“働いてる”つもりなのでは…?」と思えてきました。ニンゲンが慌ただしく出たり入ったりしているのを幼い頃から見ているので、自分もなんとなくそんな感じに振る舞いたいのでは? と。

拙宅のすぐ真ん前は、いまどき野ダヌキまで棲んでいるようなデカイ寺でして、そこに猫仲間やライバルたちが日々集結しており、うちの猫としてもそちらの動向が気になって仕方がないということもあるのでしょう。

そもそも猫には「遊ぶ」と「働く」の区別などなく「生きる」がすべて。しかし、これまで観察を続けた結果、私は「ここには何かありそうだ。ニンゲンの生き方にも関わる何かが…」と感じ始めました。

そしてもし、「猫型ワーク」というものが実践できるなら(&それで食っていけるなら)、「それはなかなか楽しそうじゃないか?」とふと思ったのです。

黙々ではなくモフモフ頑張る


これから私が書こうとしているのは、「現代は猫型ワークがフィットしやすい時代なのでは? そのノリを上手に取り入れるとストレス減らして生きていけるのでは?」といった仮説とそれを行うためのヒントです。

昔からよく「あなたは犬型? それとも猫型?」といった図式で人の性格をざっくりタイプ分けするケースはあります。「飼い主や組織に忠実=犬」「気まぐれで自由に生きる=猫」みたいなやつですね。

そういえば以前、あるベテランのキャリア女性が飲みの席で、突然こう言い放ったことが。

「飼うんだったら犬。なるんだったら猫!」

その手前勝手さに思わずビール吹きました。部下たち(あるいは旦那や彼氏)は「犬」で、自分は「猫」として働けたら(暮らせたら)ーーみたいな心の叫びでしょうか? わかる、その気持ち。その発想自体が“猫的”です。

猫というものは本来、「自由奔放」あるいは「きゃわわ!」「もふもふ」「ゆる~い」みたいなイメージから、「働く」という行為と結びつけて語りにくい動物です。

犬は昔から仕事と結びつけて語られやすい。「アイツは会社の犬だよな」みたいなディスりフレーズから、「いつもありがとう。君は我が社のハチ公だ」といったある種の褒め言葉まで色々思いつく。特に近代以降「犬」は労働者が見倣うべき模範のひとつとして捉えられて来たフシがあります。

一方、猫にはそういったイメージがハマりません。「泥棒猫」とかそんな感じ。「猫の手も借りたい」という言葉も、忙しすぎて本来は戦力外であるモノの力まで必要だという意味合いですね。



しかし、彼らの生態をじっくり観察していると、実はその“活動っぷり”は意外と真面目でストイックだということもわかります。

一日の大半をダラダラ過ごしていながら、獲物を狩る際の瞬発力、集中力はスゴい。身づくろいなどやるべきことは時間をかけて丁寧にこなしつつ、必要ない作業は極力やらない。褒められてチョーシに乗ることもなければ、多少叱られても凹まない。クールかつタフです。

一致団結やチームワークは得意ではないですが、気が向いたときには“猫会議”と言われるイベントに参加するなど、仲間同士で盛り上がったりしていることもありますね。縄張りはあれど、エサ場やスペースを独占しようとすることは少なく、自分の実力を見極めた上で、ほどよいシェアにも気を配っているように思えます。

職場のシーンに当てはめて考えると、わりと仕事がデキるタイプかも。ああ見えて実はモフモフ頑張ってる? そこに何か働き方のヒントも隠されているのでは? と私は考えました。

過熱する2010年代の「ネコノミクス」


「猫型ワーク」の本題に入る前に、まずその前提となる現在の「にゃんこ市場」について簡単にサマリーしたいと思います。なぜなら「犬vs猫」の構図で言うなら、いまは「猫が求められる時代」と言えるからです。つい先日もこんなニュースが新聞(ネット)に出ていました。

「自由気まま、猫人気上昇…犬は減少傾向」(読売新聞/1月7日)

読むと「近年、猫の飼育頭数が増え(犬にもう少しのところまで迫り)、写真集などグッズも好調で、ネット動画も犬よりかなり多い」といったことが書かれてあります。

飼育にかかる費用も平均で、犬の半分くらいで済むなどけっこうエコノミカルだという側面もあり、犬もカワイイんだけど「どっちかと言えば猫かな?」という人が増えているということでしょう。そう言えば、仕事旅行社の旅作り等を担当されている内田さんも「飼おうかな?」と現在検討中らしい。

以下の記事のように、これをもって「歴史的逆転」とまで言う論者もいます。

「なぜ飼い犬が減り、飼い猫が増えているのか―ペット界の新王者『猫』を取り巻く光と影」(東洋経済Online/2015年11月18日)

こういった猫ブームを受けて「ネコノミクス」なる“経済用語”まで生まれているとか。どうやら猫は、景気が思わしくない低成長期、あるいは不安の時代にマッチする動物のようです。こういった飼育頭数等のデータから、社会の変化の兆しを読み取ることもできなくはない。

犬は長らく成功や幸福のシンボルとしても世界的に活躍してきました。昔のアメリカのホームドラマ等を見ていると、リッチそうな家にはなぜか立派な犬がいる。日本の歴史をひもとくと、犬公方と言われた徳川綱吉が「生類哀れみの令」を発し、ワンコを別格アニマルとして手厚く保護したのは華の元禄バブル時代でした。

ところが猫の描かれ方と言えば。「サザエさん」のタマに代表されるようにイメージがなんとなく庶民です(元々は世相を風刺する毒のある漫画でした)。「ドラえもん」をロボでなく猫と考えるのであればやっぱりそうですね。あれは宿無しの居候というもの。『吾輩は猫である』に出て来る飼い主の教授も、社会的地位こそ高いものの世の中の空気に馴染めない、ちょっと“斜め目線”な変わり者として描かれています。

つまり、昔から猫ファンはいたもののマイノリティあるいは日陰にいる存在と考えられてきた。物書きだけでなく、アーティストやクリエイターに猫好きが多いのも、そういったことと関わりがあるかもしれません。しかし、本来社会の片隅で「なうーん」とか言ってるだけだった“猫たち”がメジャー感を主張し始めているのが、いまという時代の面白さかもしれません。



実際、この5年くらいのヒット商品・サービスを振り返っても「猫カフェ」から小説『世界から猫が消えたなら』、子供向けアニメの「ジバニャン」などなど、猫がらみのものを挙げるとキリがないくらい。

私自身「ニャンコ大戦争」や「ねこあつめ」といったスマホゲームにハマってしまい、雑誌に体験レポまで書いたものです。大学生向けのマーケティング講義でも、こういった一連の猫モノをいま流行りの“ネコンテンツ”として紹介しながら話を進めることもありますが、なぜかそのときは熱心に聴講してくれてるような。来月も猫トークショーから出演のお声がけをいただくなど、引きはなかなかスゴいものがある。

先に挙げたニュースの類似記事も、近頃よく見かけるようになりました。大手メディアまでそれを言い出したところを見ると、猫人気はすでに定着(あるいはすでに飽和?)したと言えるのでは?

日本だけでなく海外でも猫は盛り上がってます。

昨年末ベルギーの警察が、テロ警戒情報がSNSでリアルタイム拡散するのを防ぐため、観光地など街中の写真公開の自粛を求めたところ、Twitterユーザーが自発的に各自の「ふざけた猫コラ」を大量投稿(#付きで)、テロリスト側の情報収集を撹乱しようとした出来事がありました。

効果は不明ながら機転の利いた参加型グッジョブだと思いますが、これなども「なぜ猫だったのか?」と考えると不思議です。カワイイ&面白い動物はほかにもいっぱいいるわけですし、「警備」連想で言うとむしろ犬だと思うんですが。

そういえば3年前、世界最大の広告フェスティバルとして知られる「カンヌ・ライオンズ」で、世界的に著名なあるクリエイターが吐き捨てるようにこう言ってましたね。

「オレたちがアイデアを考え抜き、金と時間をたっぷりかけて作った面白CM。なぜこれが、素人のオッサンがスマホで撮ったゆる~い猫動画にyoutubeの再生回数で完敗なんだ? まったくなんて世の中になっちゃったのか、OMG!」

大丈夫でしょうか? この方。その後、仕事を失ってなければいいんですが…。それはともかくこういうことまで実際に起こってしまう、いまって世の中どんなことになってるんでしょう? 長くなって来たので続きはまた来週。

追記:後編はコチラ


文:河尻亨一(銀河ライター・東北芸工大客員教授・仕事旅行社キュレーター)
絵:ぼんち(ペーパードライバー)
読みもの&連載もの:2016年01月29日

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