2021年06月02日更新

鰻と一緒においしい地酒が楽しめる。稲毛屋に漂う三代目の心意気ー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.30

作家の森まゆみさんによる連載です。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回は近所にあったら毎週でも行きたい! 鰻の稲毛屋へ。(編集部)

ランチのうな丼は3種類。すべて1830円が平等でいい


今や東京の鰻屋でも、ランキングの上のほうに位置する稲毛屋さん。鰻の名店は数多くあれど、いわゆる老舗のように、うな重だけが重々しく出される店ではない。

店構えも入りやすい雰囲気。久しぶりにランチに訪ねると、鰻は3種類、すべて1830円というのが平等でいい。懐と相談で梅を頼み、隣の人が松とか言ってるのを聞くと、ちょっとわびしくなるし。

普通のうな丼(関東風)、関西風(蒸さないので歯ごたえあり)、海苔がたっぷりかかっている和風うな丼が、すべて同じ値段だ。他にとりかつ丼、焼鳥丼などの鶏ランチもおいしい。

カウンターにはひとり客。テーブル席は昼から夫婦でお酒を楽しむ客など。銘酒を置き、つまみの種類も増えて、鰻とお酒を気軽に楽しめるお店として人気急上昇した。

いつも厳しい顔で入り口近くで鰻を焼いている三代目のご主人、當間光浩さん。話しはじめると、ニコニコと優しい方である。



——まずはお店の歴史を伺います。

「1927年、昭和2年からです。戦争前はよみせ通りでやってたらしいです。祖母マツが長生きで聞いたんですが、そのころは鰻屋でなく食堂で、たくさん人を使って、魚も売っていた。なぜか金魚まで売ってたって。鰻屋専業になったのは戦後だと言ってましたね。あの通りは4のつく日には夜店が出て賑わってました。お母さん、前の店の場所はどこだっけ?」

「玉木屋さんの細い道を挟んで隣よ」

——わかりました。道灌山下から通りを入ってわりとすぐの右手ですね。

「祖父の名前は当間、なんてったけな……。若くして、昭和16年に40歳くらいで亡くなっています。戦争中、店は閉めたんですが、配給をやっていました。母は埼玉に疎開したそうです。当間家の本家は、春日部近くの豊春というところなんです」

——あ、お母さんは家付き娘なんですね。

「はい、昭和13年の生まれでよし子。今も頑張ってくれています。父の光雄(昭和7年生まれ)は職人としてうちに入って、婿になりました。父は交通事故で2008年に74歳で亡くなりましたが、亡くなる日まで仕事していました。

——あらあ、まだまだお仕事できましたね……。それで戦後、よみせ通りからこちらに移られたんですね。

「よみせ通りにあった店は戦争で焼けてしまい、この店の2軒先の、元はリドという喫茶店だった場所に引っ越して、そこで30年ばかりやってました。いまは、その場所は仕込み場所にしていて、一緒にやっている弟の雄次がそちらで仕込みを担当しています」

――光浩さんは、このあたりで育ったんですか?

「私は1961年の生まれで、千駄木小学校、文林中学です。1984年に大学を出て、3年ばかり丸井に勤め、1987年に同僚の知恵子と結婚して、ここを継ぎました。仕事は父から教わりました。

――就職したときから、いずれは店の跡を継ぐっていう意志は強かったんですか?

「まあ、戻るだろうなと。本当は、もう少し勤めていたかったんですけどね(笑)。家に入ると、自分の時間っていうのはほとんどなくなっちゃうから。会社員なら土日は休みで自由でしょ。あの頃はバブル直前だったんで、年に百何日かは休みで、ボーナスも3回出ました。

でも上司に相談したら、『自分の家業があるなら戻ったほうがいい。この業界は肩たたきや出向も多いよ』と。勤めと違って、お店は週一の休みで大変ですが、定年はありませんから」



関東と関西でかなり違う、うなぎの蒲焼


——私は子供の頃から鰻さえ食べていれば機嫌のいい子だったようで。家がご近所でしたから、母は時々、稲毛屋さんまで、大皿に乗った鰻を買いに来ていました。当時は普通の町中華ならぬ町鰻という感じでしたが。

「昔は店頭での販売のほか、出前が結構多かったんですよ。このあたりは病院とか学校も多くて、結構まとまった数が出たんですけど、徐々に減ってきてしまって。それから、いまでこそウーバーイーツのように、配達料をとるようになりましたが、当時は坂上のお屋敷まで届けても出前料が出るわけじゃないしね。

両親も年をとってきて、出前がつらくなってきたこともあって、なんとかお客さまに来てもらえるようにするにはどうしたらいいだろうかと家族で話し合いました。よほど魅力がないと難しいね、と。

徐々に減ってきていたとはいえ、いくらかはあったので、両親は出前の売上分をどうカバーするのかと心配していましたね。でも、もう出前と店頭で売る時代じゃないんじゃないかと。来店してくれるお客さんも次第に増えてきていたので、両親の了解も得て、思い切って2008年にいまのスタイルにしました。



――鰻と一緒に、おいしい地酒が楽しめるようになった。そのあたりから、急激にお客さんが増えましたよね。

「おかげさまで。でもね、正直、『これは鰻屋じゃねえ、居酒屋だ』なんておっしゃるお客さんもいらっしゃいましたけどね。

父の代は日本盛とか沢の鶴を置いていましたが、大学の同期に山形の『初孫』の息子がいて、よかったら置いてくれないかと声をかけてくれて。試飲会に行ったり、勉強しながら各地の銘酒を置くようになり、だんだん蔵元さんとのお付き合いも増えていきました。できるだけ酒屋さんを通すようにしています。

鰻をつまみにして、一緒にお酒を楽しんだり、家族や仲間と話したりして、楽しんで帰っていただけたらと。町の鰻屋はふつう閉めるのが早いですが、うちはコロナの前は9時半までの営業(8時45分 ラストオーダー)でしたね」

——この、おつまみの字もいいんですが。そそられます。

「ポテサラ、そら豆、牛たたき、じゃこ天……今は大体、フロアのことはカミさんの担当ですね」

——稲毛屋さんの屋号の由来は。

「神奈川の川崎に稲毛神社というのがあって、そこと関係あるらしい。稲毛屋って鰻屋は結構あったんですよ。高円寺が最初で、そこで修行した人が暖簾分けして、うちは3番目だと聞きました。巣鴨にもあります。一時は全国で70店舗くらいあって、毎年集まりがあったんですが」

——うちは母が浅草育ちで、昔はもっと鰻をいただいた気がするんですが、今はなかなかありつけません。なんでこんなに値段が上がったんでしょう。

「鰻が獲れなくなっているのと、獲れても数が少ない、それにつきますね。うちなんかは、利益を抑えて上げ幅を少しにしたんですが……。私たちとしてもできるだけお手ごろに召し上がっていただきたいんですが、こればかりはどうしようもないんです。まあ、鰻の消費量自体も、昔よりは減っているんですけれど」

——そうなんですね。小さい頃は、向丘の鰻屋さんでピュッと割くのを面白くていつまでも見てました。関東と関西は違うんですよね。

「関東では蒸しを入れて、箸ですーっと切れるぐらいに柔らかいのがおいしいとされていますが、関西ではそれは鰻じゃないんですって。蒸しを入れずに歯ごたえがあるのが好まれるんです。うちでは両方ありますので、お二人で来られて違うのを頼んで、食べ比べする方もいますね。厳密にいうと、背開きか腹開きかも違うんです。関東は腹開きを切腹といって嫌いますね。

そこに名古屋からひつまぶしが入ってきた。うちでもお出ししていますが、最後にこれをとってお茶漬けにして何人かで分けるお客さまもいます」



朝割いて、注文を受けてから蒸しています


——朝は河岸に仕入れに行くんですか。

「いえ、仕入れはうなぎだけですから、久保田さんという末広町の問屋さんに前の日に電話を入れて、翌朝5時過ぎに届けてもらいます。もう一軒、銚子の問屋さんとも取引があります。だから店には、朝5時には出てきます。それから仕込みをして、お昼の営業が終わるとようやく少し休憩で、昼寝することもあります。

鰻は太いほうが脂はのっているので、太いのを丸のまんま載せると松。今日召し上がっていただいたランチは太いのの半分ですね。細い場合は4分の3くらい使ったり、目分量ではなく、目方を量っています」

——十分でした。なんであんなにふんわりしているのですか。

「それは今朝、割いているのと、注文を受けてから蒸しているからでしょうね。注文いただいてから、蒸すのに15分、焼くのに5分、お出しするまで20分ほどかかります。以前は『そんなに時間かかるならいいです』って帰ってしまうお客さまもいらっしゃいました。

前もって蒸しだけ入れておけば、提供するまでの時間を短くできるんですが、やはり注文を受けてから蒸したほうがおいしいですから。自信を持ってお出しし、おいしい鰻を食べていただきたいという一心で、そうしています。」

——もう店売はなさらないんですか。

「うちは朝の5時に生きたうなぎが届くと、それを割いて串を打って仕込むんです。それでお客さまが来てくださって、注文された分だけ焼いて、仕込み分がなくなったらおしまい。

昔はね、なるべく余計に仕込んだものなんですよ。売り切れにするのはよくない、と。でも今は、その日に仕込んだ新鮮なものをお出ししようと。それで喜んでまた来ていただければいいじゃないかと」

——お客さんにも変化がありますか。

「カウンターで一人客が増えてきましたね。昔からカウンターはあっても、普通そこは出前用の置き場所だったんですよね。あと、以前は焼き鳥は一皿2本でしたが、あれもこれも食べたいお客様のために、1本でもお出しするように変えました。よく『昼間でも夜のメニューは食べられますか?』『お酒は飲めますか』と聞かれるので、それもお応えしています。

夜のメニューは、鰻重、鰻そぼろ重、鰻ひつまぶしなどのほか、鰻や鶏の串に鰻の肴……お酒が進みそうだ。

「蔵元さんもお招きして、お酒の会もはじめました。お客さんに伺うと、お酒の会で鰻が出ることって意外とないそうなんです。お酒は10種類ぐらいで、いつものメニューにはないつまみを出したり、締めには鰻のひつまぶしをお出しして、会費は8千円。2カ月前の1日からメールで募集しています。

――あっという間に予約が埋まるでしょ。

「はい。おかげさまで、名古屋とか大阪とか、結構遠くから来てくださるお客さまもいますよ。コロナの前は、1、2階あわせて、70人でやっていましたが。いまは40人にして。それもなかなかできなくなってしまいましたが……」

——やはり、コロナでお店への影響はありますか。

「この前、絶対行きますからといって10人の予約があって、見事にドタキャンされました。こういうの、裁判してキャンセル料をいただくのも面倒ですし、今は『行く人にコロナ出ちゃったから』と言われたらおしまいですもんね。それで、『今日、突然のキャンセルがあり、空いてます』とツイートしたら早速、みんなテイクアウトやお店に来てくれて席は埋まり、ロスも出さないで済みました。

2階は畳席で、前は座布団詰めて入っていただけたんですが、これからは変わるでしょうね。足の痛い方も増えてきたし、2階も椅子席にするかな。それだけ入れる人数は少なくなりますが。早く状況が落ち着いてほしいですね。

家族経営だから、コロナでもどうにか融通が効くんです。職人さん一人雇うのも人件費が結構かかりますし。

四代目の娘の恵理はついこの間、結婚式を挙げたんですが、内輪ですませました。婿さんはいままで和食をやっていて、ただ鰻は初めてなので、これから半年、銚子にある鰻の問屋さんで割きや串打ちなど仕込みの勉強をして、秋には戻ってきます。

息子は自動車会社に勤めていて継がないと。今は岡崎にいまして、東京の結婚式に来たら、帰って2週間は自宅待機になるけど、式には参列しました」

「稲毛屋の恵理ちゃん」はすでに看板娘として有名。「ご新規さん、お一人」と告げる声が透き通っている。

「うちも、娘に継ぐようにとは言わなかったんですよ。自分の時間はない商売ですし。でも、本人たちが言ってくれたから、『大変だよ』って答えたんですけど、でも、やっぱりうれしいね」

家が遠くなかったら、毎週でも行きたい店だ。

ご主人は焼きながらも、店のあちこちに目配りされている。おかみさんはお茶を適切に注ぎ足してくれる。トイレを借りたら生花が飾られていて、いい匂いがした。こういうところに店の心意気を見る。

また、1階の壁は以前、蔵元の前掛けが飾られていたが、今回はご主人の撮った鉄道写真と、鉄道グッズがあった。



「僕は高校の時はテニスしてたんですが、大学に入って乗り鉄やってました。昔は、日暮里に鉄道グッズを制作する店があって、私が中学の頃、もう捨てるから持ってっていいよ、と言われてもらってきたんです。やっとカミさんのお許しが出て、1階に飾らせてもらえるようになりました」とニコニコ。「いや、店はカミさんが強いのが一番ですよ」。ごちそうさまでした。

取材・文:森まゆみ


当連載のアーカイブーSince 2018ー

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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.31ー動坂食堂。隣にあったら毎日でも通いたい
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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.33ーひとつのものを、責任をもって、じっくり。甲州堂印舗のはんこは名前が"映え"る
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/



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