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2019年09月18日更新
大澤鼈甲のお店には、昔ながらの工房とモダンなショールームが同居しているー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.16
作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずーっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回はメガネをはじめ様々な鼈甲(べっこう)商品を製造から販売まで手がける大澤鼈甲さんへ。(編集部)
Top Photo by tomoko osada
鼈甲メガネのイメージを変えるのが自分の仕事だと思っています
団子坂下に鼈甲メガネの大澤さんがある。以前、お父様にお話を聞いたことがある。恰幅のいい方だった。2代目の大澤健吾さんは打って変わって、細身で実直そう。
「父が田舎から出てきて、最初岡倉天心公園のあたりに住んでいて、ここで開業してから今年で60年になるんですよ。
父は2011年の震災の年になくなりました。私は3人兄弟の末っ子なんです。兄に継がせたかったようですが、別の仕事を始めてしまい、跡を取りました。大学へ行ったのですが、父は、職人は大学なんか行かなくていいという考えで、他の仕事につくなんて暇はないと言うので、大学を出てすぐにここに入りました」
Photo:編集部
――谷中には、相沢さん、赤塚さんと3軒も鼈甲屋さんがありますね。
「父は相沢さんで修行したようなんです。まあ谷中は職人の町でもありましたから。象牙屋さんも何軒かありますし」
――鼈甲のメガネというと、贅沢品、というイメージがありますが。
「はい、安くて20~30万、高いと100万くらいしますね。鼈甲メガネの有名人というと、ちょっと前は著名な政治家とかプロ野球の監督ですかね」
――なんだか、分厚くて、ゴツくて、偉そうな。黄色っぽいかな。
「そうですね。でも今、僕がかけているのも鼈甲なんですよ」
――えーっ、フレームが細くてかっこいいですね。そんな黒っぽいのもあるんですね。
「茶色を中心にいろんな色が作れます。そういう鼈甲メガネのイメージを変えるのが自分の仕事だと思っています。ツルはチタンで、耳にかけるところも鼈甲です。
はっきり言って最初に店に入った時、売っているメガネは僕にとってかっこいいものではなかった。自分もかけたくなかった。父の代の考え方とは随分違うので、葛藤もありました。家族なので、甘えもあって言いたいことを言っちゃうんですよね。だから喧嘩にならないように、極力話さないようにしていました」
――それはどこでも聞く話です。旅館でも、料亭でも。私の家も父と弟は歯科医ですが、相当、治療方法も違うので、相互に口出ししないでやっていました。メガネ以外の商品も作られてますか?
「うちは鼈甲のメガネがメインですが、ブローチやネックレス、イヤリングなど、アクセサリーも厳選したものを置いています」
――デザインのトレンドが変わっていますよね。サングラスもオードリーヘップバーンなんか、トンボメガネでしたが、それから随分小さくシャープになった。かと思ったら、最近はまた少し丸いもの、大きなフレームに戻っています。
「そうですね。私どもでは作りたいと思うデザインを、デザイナーに伝えてオリジナルブランドを開発してきました。薄い色のほうが稀少性があるのはたしかです。日々の仕事に追われないで、じっくり考える時間がないとダメだなと思っています」
Photo by tomoko osada
――ところで、鼈甲メガネってどうやって作るんですか。
「赤道のあたりで取れる玳瑁(タイマイ)という亀の甲羅を使います。インドネシアとか、キューバ、アフリカですね。日本にもアオウミガメとかアカウミガメとかいるのですが、甲羅が紙みたいに薄すぎて使えません。タイマイだけが厚さが昔なら1センチ、大抵は2、3ミリあります。その厚みのある甲羅からメガネのパーツを切り出して、水と熱で接着し、加工していくんです。目で見るのが早いですから、2階の仕事場をご覧になりますか?」
腕のいい職人と精度の高い機械。ウミガメを石垣島で養殖する試みも
階段を上がると、若者たちが数人、ベテランが一人、机に向かって細かい作業に熱中している。タイマイは40×30センチくらいの楕円形の甲羅だった。そこからメガネのパーツを切り出し、張り合わせをした後、機械で削っていく。
Photo by tomoko osada
「昔はこれも手で削っていったのですが、今はとてもいい機械があって、指示を入れてコンピューターで制御すれば、大変な精度で削ってくれて、これを整形していくわけです。父の時代からのベテランの職人さんが一人います。そしてものづくりの好きな若い人が入ってくれました。私もこの仕事を継ぐ以上は、メガネ作りも実際にできますし、やってもいますが、若くても私より腕のいい人ばかりです」
1階のおしゃれなショールームと、いかにも町工場という感じの2階の仕事場とのギャップがむしろ面白い。千駄木で本当にこんな美しいものを作っているのだ。
Photo:編集部(上2点)
――伺いにくいのですが、今、ワシントン条約で、タイマイを取ることは許されず、この業界も大変なのではないですか。
「いえいえ、それは大事な話で、もう20年も前から言われています。私もこの仕事を継がないほうがいいんじゃないかと思ったくらいです。自然保護の観点から、天然のタイマイが絶滅しそうだというので、ワシントン条約で禁止になったのです。そのこと自体は重く受け止めています。ただ、それで鼈甲メガネが作れないかというとそうではありません。
天然のタイマイをこれ以上、捕獲して使うことはできませんが、私たちはストックを持っていますし、また跡継ぎがいないからと廃業する方もあるので、そこから譲っていただくこともできます。月に一度、材料の売り立て会もあります。あと、亀は交雑することがわかってきて、タイマイとアカウミガメの雑種が使えるかもしれません」
――鼈甲というのは昔から使われてきたんですよね。
「鼈甲はメガネだけでなく、かんざしや笄(こうがい)、帯留め、根付などにも古くから使われてきました。正倉院の御物にも鼈甲をあしらった箱とか、琵琶とか、杖などもあります。産業としては江戸と長崎が栄えたようです。和装のものはあまり新しい需要はないのですが、最近また人気が出てきているようです。
それから、タイマイではないんですが、昔から亀甲獣骨文字といって、亀の甲羅に字を書いたり、亀の甲羅を火に炙って吉凶を占う神事がありました」
――あ、それ、何年か前のお正月に、長崎県の対馬で見ました。
「そうですか。このたびの令和の代替わりにおける占いにも亀の甲羅が用いられたそうです。宮内庁から依頼を受けたとある方に聞きました。
人間は動物の皮や甲羅や牙を加工して、生活の中で用いてきました。人間は動物の肉を食べ、その皮や毛皮がなかったら、靴もベルトも、バッグも革ジャンもコートも作れません。人間がその命をいただいて使ってきたので、私たちの業界でも60年前から浅草寺でかめ供養というのをしています。メガネ供養というのもあるんですよ。ただ、材料が先細りなので、相当、携わる人数は減っていますね」
――そうすると、打開策はあるのでしょうか。
「10年以上前から、国の力もお借りしながらタイマイの養殖研究を行ってきました。そして、2年前に鼈甲業界全体でタイマイ養殖の会社を作りました。ようやくそれが材料として使えるようになったところです。天然鼈甲が使えない以上、この仕事を続けるためには養殖を追求する以外にはありません。
自然界にもウミガメなどは増えているようですが、いったん禁止になったものを解禁にするのは難しいです。クジラなんかは脂や皮、牙などもすべて使えますが、養殖タイマイももっと甲羅だけでない利用ができないか、そうした研究もしています。昔は、ウミガメを食べる文化があったようなので、再開のお手伝いができたらと思っています」
――鼈甲メガネのよさというものはなんでしょう。
「素材が日本人の肌の色に馴染むこと、セルロイドと違うフィット感ですね。いわば、タンパク質で爪と同じですから。また、どうしても劣化はしますので、年に一度は磨きに出してくださいとお願いしています。研磨すると綺麗にツヤが出てきます。傷まないようにするためにウレタンのコーティングもできるのですが、お手入れが楽になり好評をいただいています。鼈甲メガネは修理も多いです。壊れても熱と水で張り直せますし、おじいさんの使っていたメガネを直して、レンズを入れ直して、自分が使いたいと持ってこられる方もいます」
Photo:編集部
――結構遠くからもいらっしゃいますか。
「はい、日本中から。ホームページを見てきてくださる方もあるし。日経新聞に月に一度、広告も出しています。かっこいい鼈甲のメガネを探してくる方が多いです」
1階店舗では、奥様と女性スタッフが丁寧な接客をしている。
「高校時代の同級生なんですけども、町田の方から嫁いでくれました。美術などに興味が深く、教わることも多いです。助かっています」と健吾さんは言う。
Photo by tomoko osada
取材・文:森まゆみ
当連載のアーカイブーSince 2018ー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.1ー創業67年。町中華の「オトメ」はだれでもふつうに扱ってくれるー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.2ーモンデール元駐日米大使も通った根津のたいやき
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.3ー甘味処「芋甚」は根津にはなくてはならない、お守りみたいな店である
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.4ー若い二人が引き継いだ「BAR 天井桟敷の人々」には悲喜こもごもの物語がある
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.5ー中華料理「BIKA(美華)」のご主人がポツリと話す根津宮永町の昔話
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.6ー鉄道員から役者、そして寿司屋へ。すし乃池の大将の人生には花と町がある
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.7ー5代続く骨董店「大久保美術」の心やさしい、ゆとりのある家族経営
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.8ー三崎坂のとば口にある朝日湯は谷根千に残る貴重な銭湯ー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.9ー谷中銀座の貝屋さん「丸初福島商店」は素通りできないご近所の店
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.10ー創業元治元年。江戸千代紙の「いせ辰」を訪ねると暗い気分も明るくなる
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.11ー谷中のちいさな宿「澤の屋」に年間5000人以上の外国人が泊まる理由
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.12ーいい酒と人柄のよい店主。根津「サワノ酒店」はとびきり好きなお店だ
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.13ーあられ・せんべい「嵯峨の家」のいつもニコニコお兄さんー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.14ー谷中・桜木に一軒残る藤屋の豆腐は正直な手作りの味ー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.15ー谷中銀座の金吉園には、お茶のすべてを知る朗らかな茶師がいる
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.16ー大澤鼈甲のお店には、昔ながらの工房とモダンなショールームが同居している
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.17ー創業290年。畳屋クマイ商店の仕事には職人の意地がある
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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.21ー生きていくうえで必要そうな雑貨を広く浅く揃える。「あんぱちや」は根津の太陽だ
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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.36ー浅尾拂雲堂はいまも昔も、絵描きたちに親しまれる額縁づくりのお店(前編)
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
http://www.yanesen.net/
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