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2019年07月31日更新
あられ・せんべい「嵯峨の家」のいつもニコニコお兄さんー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.13
作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずーっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回はあられ・せんべいの「嵯峨の家」本店へ。(編集部)
炭火焼の手作りせんべい屋さんは谷中のオアシス
昔、『舞踏会の手帖』というフランス映画があった。昔、パーティで踊った男を一人一人訪ね歩く。さまざまな思いが去来する。いま私も、1984年から2009年まで続けた地域雑誌「谷根千」でお付き合いのあった人々のところを、ノートを持って経巡っている。旧交を温めたり、代替わりに驚いたり、当時言えなかったお礼を伝えたりする。
上野桜木のあたりは、今住んでいる家から遠く、坂を下り上がらなければいけないので、このところご無沙汰が続く。その中のあられ・せんべいの「嵯峨の家」さん。かつて「谷根千」配達中のオアシスの店だった。文句は言わない、いつもニコニコ、「谷根千」は大抵売り切れ、さっとお金を払ってくれる。小神(こかみ)清志さんはそんなお兄さんだった。
「うちはなんでも現金取引だからね。あの雑誌、休刊になって何年経ちますか。お兄さんだなんて、もう72ですよ。そうだね、35年前には30代だったかな」とまったく体型も変わらずに、白いシャツに白いズボン、爽やかだ。
「嵯峨の家は、もともとは千駄木の須藤公園の近くの不忍通りにあって、最初に始めたのは小野田嘉八郎さんといって京都の人。だから『嵯峨』の家。僕のおじいさんがそこで働いていたの。おせんべいは江戸のものだが、あられやおかきは関西のものらしいね。せんべいはうるち米で作る。あられはもち米で作ります。
うちの祖父は石川県の人で、小神清三郎というんだけど、珍しい名字でしょ。そこに明治時代から勤めて、番頭までやって、谷中で暖簾分けさせていただいたのが大正3(1914)年。今思うと、よくそんなに近くに暖簾分けを許したな、と思うんですが。祖父が女房にもらったしまというのも、小野田の親戚筋です」
――へえ、今は本店を名乗ってらっしゃる。
「千駄木の嵯峨の家は、十何人も人を使っていたような大きな店だけど、戦後、閉店したのでね。作り方は、嵯峨の家譲りですね。海苔を巻いた磯巻は、その嵯峨の家が発祥だとか。
うちのおじいさんて人は、謡(うたい)なんかやって割と趣味人でした。森田桐箱店のおじいさん、風呂屋(柏湯)の松田力治さん、岩城(いわき)石材のおじいさんなんかが仲間でね。あの頃は町内の付き合いも濃かったですからね。
父は正雄といって、入船堂でしばらく修行したので、そこで覚えたものも商品には入ってますね。父は真面目で仕事一途でした」
――入船堂は明治38年(1905)に京橋で創業し、今は銀座でご盛業のようです。ところで、このお家は、いつ頃の建物ですか。
「祖父がここに来た時にもうあった家ですから、もう120年以上経っているんでしょう。直し直しで原型をとどめませんが。今思えば、昔のままにしといたらよかったね」
――売っているのは、あられとおせんべいだけですか。
「戦後、おせんべいの原料が入らなくて、豆はあったんで、それを売ったらしいんですよ。それで今も落花生が一つだけ残っています」
一番遅れたように見えた手作りの店が残っている
――このあたり、豆腐屋や酒屋、銭湯などは随分減ったんですが、なぜか、おせんべい屋さんはこの35年、みんな健在です。
「谷中だけでも、谷中せんべい、都せんべい、うち、文京区に菊見せんべい、八重垣煎餅、たしかにみんな残ってます。同業者のお付き合いもあります。谷中せんべいさんとは、うちの父親はいいお友達でね。今、せんべいの組合の台東支部はただの親睦団体で、メリットがないと辞める人もいますね。うちはお米を組合経由で買っていますので」
――どちらのお米ですか。
「宮城、秋田、岩手の米を使っています。あられ、かき餅は、まず餅をつくんです。それをうちは手で切ってるんですよ。あられはこの大きさ、かき餅はもう少し大きい。それを3日や4日くらい、屋上で天日乾燥させます。そこまでで全体の半分の工程」
――そんなことやっているところ、あるんですか。
「個人で全部やっているところはないと思いますよ」
――それでファンが多いんですね。でも、宣伝が嫌いでしょ。
「というか、忙しいから宣伝する暇も必要もないですよ。手作りだとそんなに作れませんし。そしてあそこの道具で、炭火を入れて、丹念にあられを煎るんです」
――この上にある木の箱は何のためなの?
「これは『ホイロ』といって、できたあられにお醤油を塗って、乾かしているんです」
――下で焼いて上で乾かして、一挙両得というわけですね。そういえば、焙炉(ホイロ)って、「元犬」という落語にも出てきますね。焙炉がサゲなのに、暮らしの中に焙炉がないので、もうかからない演目ですけれど。
「知らなかった(笑)。カタカナだと思ってた」
――そういえば、子供の頃はどうでした。
「団塊の世代でね。うちはたった12坪の家に、家族7人。両隣には8人ずついました。だから、谷中墓地で遊び呆けていました。谷中小学校、上野中学、上野高校です。昭和22(1947)年生まれなので、谷中小学校は僕の頃、1600人もいたんですよ。上野中学は3学年で2000人いた。弟の学年なんか、16クラスもありました。
私は長男で、父からも継いでほしい言われていたのと、割と体が弱かったこともあって、外に出ることは考えずに、高校を出て迷いなく店を継ぎました。父も体が弱かったのでね。僕が28の時に59歳で亡くなりました。だから高校を出る頃にはひと通り、仕事はできました。
この辺は、暮らしよかったですよ。パン屋が2件、八百屋が2軒、魚屋が2軒、肉屋もあったし、雑貨屋もあった。隣が食料品店と寿司屋でした。そういうお店はみんななくなって、今では和菓子屋やせんべいやなど、一番遅れたように見えた手作りの店だけが残っています。ひとり暮らしならコンビニで間に合うかもしれないが、家族持ちだと、上野まで買い物に行くか、生協などを利用しているようですね。うちは上野に行きますね」
――根津に下りないのは、台東区民だからかな。
「根津の赤札堂より、上野の赤札堂の方が買いやすいんですよ」
――ところで、売れ行きはいかがですか。
「法事も減ったしね。今は外国人の方も多いです。ジャパニーズ・ライス・クラッカーと説明していますけど。英語はできないけど、どうにかなります。食べさせてあげるんですよ。辛いのが好きみたいですね。抹茶を塗ったのをわさびかと聞いてきたり。青海苔は茶色くてチョコレートか、とかね。日本の若い女の子もよく来るけど、何見ても『かわいい』。店頭に置いてあるはかりも『カワイイ』」
――「カワイイ」と「スゴイ」と「ヤバイ」と。語彙が少ないんですかね。
そこに飛び込みで取材がきた。派手な模様の服を着た女性が「ショーケースの内側で写真撮ってもいいですかあ」と聞く。ああ、いいですよ、とご主人はこともなげだ。
「うちの家内はマスメディアが嫌いでね。でも、ジャニーズのカレンダーにうちの店が写り込んでいたら、場所も店名も書かれていないのに、ファンの方が探して来るんですよ。それも縁じゃないかと思ってね」
――あられを焼いているのは、息子さんですか。
「婿です。うちは娘3人で、長女とその旦那が店を継いでくれてうれしいです。彼も近くにあった八百屋さんの息子なので、地域の人です。うちの家内は家で小さな孫を見てますから。両親と同居だと、なかなか保育園には入れないんですね。私の代のほうが入りやすくて、うちの子はみんな、谷中保育園で育ったんだけど」
――環境のいい保育園ですね。谷中墓地で遊べるし。お仕事で一番大事にしていることはなんですか。
「味を落とさないことですね。米の品質も来るたびに違います。それで焼きあがるまでわかんない。でも、気を緩めずに一から丁寧にやっています」
あられ、かきもちのおいしさは折り紙つき。しかも、値段もとてもリーズナブル。初めての人には、それこそカワイイおせんべいやかきもちの入った「ミックス」をお勧めしたい。
話を聞く背景に、婿の智之さんがあられを揺するザザザザーッという音が聞こえた。まるで波の音のようだった。店は娘の麻子さんが守る。
「若い頃はお彼岸やお盆で、あられが売れればうれしかった。でも60を超えると、あまり忙しいと疲れるね。気力と体力がなくなってくる。60定年とはよくいったものだな。今また定年を伸ばそうとしているけど……。でも今まで、本当にいい時代、いい場所で商売させてもらいました。運がよかった。感謝しています」
嵯峨の家のマークはあずまや。これは上野公園の中にある四阿(あずまや)を模しているらしい。
取材・文:森まゆみ
【当連載のアーカイブーSince 2018ー】
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.1ー創業67年。町中華の「オトメ」はだれでもふつうに扱ってくれるー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.2ーモンデール元駐日米大使も通った根津のたいやき
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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.5ー中華料理「BIKA(美華)」のご主人がポツリと話す根津宮永町の昔話
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森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.13ーあられ・せんべい「嵯峨の家」のいつもニコニコお兄さんー
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
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