2019年12月11日更新

大島屋はブームに関係なく淡々とお店を続ける町の蕎麦屋さんだー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.19

作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回は60年続く町の蕎麦屋さん「大島屋」へ。(編集部)

うちは町の駄蕎麦屋。目玉はないし、話もないよ


谷中三崎坂とよみせ通りが交差する地点。そこには、藍染川が流れていた頃には琵琶橋という橋がかかっていたはずだ。そのあたりにある蕎麦の大島屋さん。1階が駐車場で、階段を上がって店に入ると割と広い。谷中散歩のちょっと大きめのグループには、昼食にはここを勧めた。谷根千ブームには関係なく、淡々と営業を続けている。

「うちは町の駄蕎麦屋だよ。きたって目玉商品もないし、話もないよ」と現主人が忙しく立ち働きながら言う。

「先代がお元気でしょう。そのお話を伺えれば」というと、先代は、「俺、やだよ」と言う。そこを無理にと出てきてもらった。近くのカフェで買った青いおしゃれなエプロンをしめ、ジーパンの先代は90歳である。
「この店はじめて60年だな。居抜きで買ったの。その前は千住新橋で修行していた」とさらりというのは長谷川久吉さん。

「昭和3(1928)年7月19日に、越後の霜保倉村印内というところで生まれました。父は田中虎三と申します。家は農家で、兄弟は7人、親父は頑張ってくれましたが、生活は苦しかったです。あの頃、身に付けるものはみんな作ってましたね。着物でも鞄でも。村に店なんか1軒もないんだから。尋常小学校の高等科に行くのも一山超えないと高等科がなかった。そこに行くわらじも自分でこさえました。つまり、お金を出して買い物をする必要も可能性もなかったのであります。

卒業すると、よその農家に奉公に出されて、2年ほど働きました。そりゃあ、辛い生活でしたよ。それからあなた方、ご存知ないと思うけれども、上京して品川の日本工学に徴用になって、レンズを作っていました。知らないでしょうが、軍事用の大砲の照準というのですね。それから双眼鏡のレンズ」



運は金では買えません


――徴用って給料は出るんですか。

「はい、一日78銭もらいました。昭和3年生まれで、戦争はいかなくて済んだ。戦争が終わってやることがないので、お袋の兄弟が荒川の鐘淵紡績の辺で蕎麦屋をやっていた。そこを手伝いました。それから今度は千住新橋の店で奉公。この辺で、蕎麦やうどんの作り方をみっちり覚えました。
独立しようと思って、忘れもしない昭和32(1957)年の12月8日に谷中のここを買ったわけです。20坪で158万と覚えています。当時、一坪10万もしなかった。それでも当時の私には高かった」

――今はこの辺は一坪300万はしますね。2020東京オリンピックを前に、また地価が上がっていますし、谷中に住みたい人も増えています。

「本当にいい時に買ったと思うんです。金は叔父に借金しました。もう私も28だったし、その時に家内も来てくれました。でも私は隣の土地も狙っててね。今度はそこを22坪、180万くらいで買いました。それで谷中に42坪の店を持ったわけです」

――すごい。故郷からは何も持ってこなかったのでしょう。相当、御繁盛だったのですね。

「みんな働いて貯めたお金ですよ。今みたいに周りに食べ物屋はなかった。谷中に来る人なんて墓参りくらいだった。その代わり大変でしたよ。一日に90軒も配達に行った。
それだけじゃないですよ。昭和39(1964)年、オリンピックの年に西日暮里に土地を買い、昭和40年にこの家を木造で新築し、そのあと埼玉の久喜に買い、そこには2000万かけていい普請の家を作りました」

――そんな遠くになぜ買ったんですか。

「元々が百姓の倅なんで、畑をやってみたかったんですよ。庭もこしらえ、池に錦鯉を買いました。さらに千葉にも土地を買いました。埼玉はバブルの時に売ったら、1億1000万になったので、そこから税金を払った残り8000万円で、この店を鉄筋コンクリートで建て替えました」

――一度も損をしたことはないんですか。

「ないですね。身を粉にして働いたことと、運ですよ。運は金では買えません。この家も自分でアイディアを出して、何度もやり直しています。入り口の階段を上がったところの木組みのテラスと入り口の感じがいいというので、お客様が入ってくださいます。1階は駐車場、地下は麺を打つ工場になっていて、私たちはこの上に住んでいます」



気楽に入って欲しい店です。でも、基本はちゃんとしたことをやっています


――地方から東京に出てくる人の夢って、以前は働いて自分の店を持つ。もっと働いて家作を立てる。老後はその家賃で左うちわ、という、それを地で行っているようですね。典型的な地方から出てきた方の成功談です。

「まあ、一時、お金が入って、遊びすぎましたかね。母ちゃんに怒られた。うちでは母ちゃんが、出汁を取るんです。醤油とみりんと酒と、かつぶしで。これが一日4斗作って足りなかった。今はそんなことはありません。出前は人手がないのでやめました。もう90ですから、そのくらいがちょうどいいです」

――潮時というのですか、無理なさらないから続くのですね。町の仕事はなさいましたか。

「乃池の大将が立派にやってくださってますから。あとについていけばいいんです。あの人は大した人ですよ。僕は商売が第一で、地域や業界団体などの派手なところにはいかないが、付かず離れず、手を抜かないくらいにはやってます」

久吉さんが野池さんと協力してテントを張ったり、後片付けをしている姿は目に残っている。現在、お店を仕切るのは長男の富久さんだ。すらりとした渋い男だ。久吉さんが歯医者さんに行くと出て行った後、話を引き継いでくれた。



「爺さんの不動産の自慢話、聞きましたか」とニヤリ。「やっぱりあの歳の人の話は味があるから、僕ら叶わない。あの歳で現役というのはそれ自体、リハビリみたいなもんだからね。うちは家内営業で、姉も手伝っています。

うちは、さっきも言ったように、街の駄蕎麦屋で、気楽に入って欲しい店なんです。脱サラして、リキが入って採算度外視で営業しているような名店とは違います。特に材料にこだわったりはしません。でも、基本はちゃんとしたことをやっていますよ。かつぶしを丸のまま洗って、削るのから、冷たいそばのつけ汁は3日寝かせないと出しません。あれはソース。温かいそばのつゆはスープ。まったく別物です」

――お店側として自慢の一品はなんですか。

「カレー南蛮とか、ま、一番シンプルなたぬきそばとかがおいしいと思いますね。店の味のベースは父と母ですが、今は僕の好きなようにやっています。
谷中は住みやすい土地ですよ。この上品で来やすい雰囲気を壊して欲しくないね。谷中銀座はもう、立ち飲みとかで朝から酒の匂いのする飲んだくれの街になってしまったように思います。町の濁らない雰囲気を大事にしたいですね」

故郷から桑折を背負うて一旗あげたお父さんと、谷中育ちの肩の力の抜けた息子さん。対照的な親子である。お蕎麦屋さんなのに、ヨーヨー・マのチェロが流れる。これも富久さんの好みなのだそうだ。



取材・文:森まゆみ




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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。


谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/


連載もの: 2019年12月11日更新

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