2019年03月18日更新

鉄道員から役者、そして寿司屋へ。すし乃池の大将の人生には花と町があるー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.6

作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。この日は穴子寿司と昆布締めの鯖寿司が目玉の「すし乃池」へ。(編集部)

知らないうちに寿司職人になっちゃった


すし乃池の大将、野池幸三さんとは35年の付き合いである。50代の野池さんと20代の終わりに出会い、一緒に歳をとったはずなのに、野池さんは90を過ぎても若々しく元気だ。相変わらず声が大きくハリがある。歌がうまい。手品ができる。何といっても花のある人だ。

「私は信州の生まれ。兄は戦死して、本当は家の跡を取らなくちゃいけないんだが、弟に託して出てきちゃった。この前、弟が死んだ時には涙が出たね。親が死んでも出なかった涙だ。ああ、こいつにみんな背負わしちゃったな、と思ってね」



野池さんは大正末年生まれ。「一つ上の連中は戦争でゴロゴロ死んでるよ。私ん時は徴兵検査は受けたけど、ギリギリで行かずに済んだ」

最初、勤めたのは国鉄。機関士を目指したが、戦後、労働運動が激しい時だった。

「というか、最初はアメリカの占領軍が日本の民主化のために組合を作れと言ったんだ。それがどんどん激しくなったら、今度はマッカーサーも怖くなっちゃって。私ら、職場離脱という戦術をやった。今でいうストライキだな。運転手と車掌を山の中に連れ込んで、汽車を走らせなかったりしたんだ。それで、1948年、マッカーサー書簡に基づく公務員の労働運動を制限する政令201号でやられて配置転換。嫌になってやめたんです。
 あの頃は、職場演劇というのが盛んでね。それを長野でやってたから、上京して役者になろうと劇団にも入ったが、なかなかうまく行かずに、映画のエキストラなんかで食いつないだ。その時の仲間が日本橋の吉野鮨の息子で、店を再建するのを手伝ってくれろと、それで知らないうちに寿司職人になっちゃった」

まあ、無鉄砲な生き方とも言える。鉄道から芝居へ、さらに寿司へ。

「40までは日本橋。寝る場所と食うものはあったが、給料なんてろくに出なかった。カミさんが百貨店に勤めていて、金を貯めてくれたんだ。
 昭和40(1965)年に独立して谷中にきた。寺町なら、法事とか葬式で注文がどっとくる、そう見込んだんだが、きてみたら谷中にはすでにたくさん寿司屋があった。法事の帰りは、ミニバスで上野の東天紅とか広小路の大きな店に行っちゃう。当てが外れたね。その頃は谷中なんて寺町で薄気味悪い。文京区の方が格が高かったんで、谷中三崎坂下でなく、千駄木の団子坂下乃池と名乗ったものなんだ」

確かに、谷中三崎(さんさき)という地名はあるが、三崎坂とはあまり言わなかったかもしれない。今は谷中といえば、精神性の溢れた歴史と文化のある町として、たくさんの散歩者を集めている。

「当時、ここの店も1年以上空いていて、元すり横丁によくきたねと言われた。資金を投資しても回収できずにやめて出て行く、そんなところだと。ただ、広い大きな道に面して、歩道があったのがよかったね。寿司屋はどうしてもゴミが多く出るし、歩道があれば配達用のオートバイも置いておける」

商売をするには目玉がなくちゃいけない


1984(昭和59)年、私と野池さんは出会い、三崎坂に面した大圓寺で「谷中菊まつり」を始める。単なる菊の仕入れと販売では芸がないので、江戸の笠森お仙、明治45年まで続いた団子坂菊人形の記憶を復活することにした。

――おせんの手毬唄(『向う横丁のお稲荷さん』)を練習したわよね。野池さんはどこからか菊人形の頭を借りてきて、自分で小菊で衣装を作ってましたよね。

「もう36回目だ。あの頃、手伝ってくれた町の若手もみんな年取っちゃって。テントを張るのも業者を頼まざるを得ず、金がかかって弱っちゃうよ。あれで次の年は全生庵の和尚さんにお願いして圓朝まつり(故三遊亭圓朝を偲び、墓所のある全生庵を会場として催される)を始め、こっちも35年続いているというわけだ」

――野池さんはどちらも実行委員長を務めていますが、率先垂範で、自分が先頭に立って体を動かすから、みんな黙ってついてきますよね。それから三崎坂商店街振興組合の会長、三崎町会の会長、谷中の14カ町連合町会長、いろんな要職に就かれていますが、口ばかりでいばるばかりの会長でなく、いつもお家に行くと夜中に一人でお祭りの会計とかなさっている。商売は大丈夫なんですか。

「商売は相当前から弟子まかせさ。でもいい子が育ったから。河岸(魚市場)だけは朝一緒に車で行くよ」



乃池の目玉は穴子寿司と昆布締めの鯖寿司、築地の穴子は乃池さんが買い占めているんじゃないかという噂も飛んだ。

「商売をするには目玉がなくちゃいけない。他所で食べられないその店独自のものが必要なんだ。穴子寿司を食べたい、と思ったらうちにきてくれる。最近、谷中周辺でも、似たようなカフェとか、専門性のないお店が増えたね。ありゃまずいね」

野池さんは読書家で、圓朝まつりを始めるとなったら、すぐ圓朝全集を買い込んだり、お寿司についてもいつも何か教わることがある。

「握りずしというのは、江戸の頃に両国で華家与兵衛という人が始めたんです。元々は酢や塩を入れた保存食だった。『鮨』という字はそもそも、2200年くらい前の中国の『爾雅』という字引きの中に出てくるんだけど、そのすしの場合ご飯が入っていないんです。それから何百年かたって『鮓』というのが出てきて、それはご飯が入ってるんですよ。

うちの寿司は江戸前だから、すし飯に砂糖だのみりんだのは全く使ってない。酢と塩だけ。江戸の頃はこんなにネタのバラエティはなかったので、まあ、うちの寿司は明治の寿司だね。マグロなんかより白身の魚を握ったものです。銀座の有名店みたいに、小指の先みたいなすし飯にはしない。谷中の客は、口は肥えて懐は渋い。それにしっかり召し上がる。
 河童巻きとかしんこ巻きは、昔はなかったよ。鉄火巻きはあった。あれは鉄火場で博打をやりながら片手で手を汚さずに食べるというので、あんな名前になったらしい」

――トランプをしながら食べるというサンドイッチみたいなものですかね。

「いくらやうになんて、形にならないから昔はなかった。海苔で巻いた上にぐにゃぐにゃしたネタを乗せればいいと、これは軍艦に乗っていた海軍上がりの寿司職人が考えついたものでしょう」

町がよくなればうちもよくなる。そう思ってやってきた


――へえ、なるほどねえ。ところで長く商売を続けるコツはなんですか。

「自分ちの儲けだけを追求しないことだね。町がよくなればうちもよくなる。そう思ってやってきた。それで町に客も増えたし、お祭りの繋がりとか、いろんなことで繰り返しきてくれるお客さんが増えた。死んだおばあちゃんがこのお店を好きだったからくるという人もいる。共存共栄で行かなくちゃね」

――野池さんは付け台の中に最近いらっしゃらないけど。

「寿司を握るのは案外力がいるんだね。90では握れません。でもさ、中にいるときは人生をお客さまに晒してきました。喋りながら作る飲食というのは寿司だけですよ。蕎麦屋の主人がおしゃべりしたりしないでしょ。つまり付け台というのは寿司職人にとっては舞台なんですよ」

――まさに、野池さんは芝居をやって、名優でした。じゃあ、谷中ってどういうところですか。

「商売で儲けるだけの街じゃない。暮らしがしっかりあるんです。そこが魅力で、外国人もそれを見にくるんだよ。寿司を食べにくるだけじゃなく、散歩とか買い物とか、猫と遊ぶとか、他の楽しみもあるからね。古い建物がなくなったら谷中じゃない。だから町並みを守りたいんだが、道路計画もあり、それを外すと却ってビルが建つ。痛し痒しで困ったもんだよ」

今日は昼で、カウンターはいっぱい。名代の穴子寿司が一つ入った特上を注文。穴子もおいしいが、このマグロの質の高さはどうだ。これで2500円。安いと思う。大きな茶碗には「谷中寺町花のまち」と書いてあった。穴子寿司をお土産に持ち帰るお客さんも多い。

付け台の中にいる職人さん、少年だった彼も今は渋い男前。目が真剣勝負であり、店の奥にかける言葉も貫禄がある。

「いつまでもケンちゃんじゃ失礼ね」と言うと、「その頃から知ってるんだから、森さんはケンちゃんでいいです」とにっこりしてくれた。

取材・文:森まゆみ



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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

連載もの: 2019年03月18日更新

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