お笑いコンビ「あわよくば」のファビアンさんが妄想の赴くままに書き綴る、仕事をテーマにしたショートショートシリーズ第4弾。ワーカホリックかつ浮気性なデキる男を襲った根深いトラブル。(編集部)
気がついたら飯も食わず、トイレにもいかず、パソコンの前に座り16時間が経過していた。 もう会社に残っているのは私だけだった。部長に仕事を押し付けられたとはいえ、明日もあるし帰らないといけない。私は支度をしようと、席を立った。
ん? あれ?
なんかおかしい。腰は上がるが、足が上がらない。 よっ。
勢いをつけても同じだった。 私はしゃがんで靴の裏を確認した。驚くことに、そこには「根」が生えていた。そう、あの植物の根だ。それが靴の裏からではなく足の裏から生えているということは、皮膚感覚ですぐにわかった。靴を貫通していたのだ。
同じ体勢でいすぎたのがいけなかったのか? 私はもう一度、まじまじと根を確認した。片方ずつ、100本以上は生えていた。よくもまあ、こんなに育ったもんだ。その立派さに思わず笑ってしまった。この時の私は、まだことの重大さに気がついていなかった。
尿意が襲う。立ち上がったことで膀胱が刺激されたのか? やばい、我慢できない。いてもたってもいられなくなり、私はのたうち回った。いや、のたうち 回りたかった。根が抜けない。私は足の裏を地面につけたまま、腰を前後に動かすほかなかった。根は全く抜ける気配はなく、私とタイルの床をしっかりと結びつけていた。
幸い、デスクの上には電話があった。外線で同僚にかける。 「おい、米田! 大変なんだ! 足から根が」
『岩井さん? 夜中になんですか?』
「足から根が生えてるんだよ、助けてくれ」 『ちょっと声大きいですよ。子供が起きちゃうじゃないですか』
彼がそう言った時、すでに私は失禁していた。パンツとズボンだけではその容量を吸収しき れず、地面は尿びたし。米田はまだ何か文句を言っていたが、私は電話を切り、急いでズボンを下ろした。しかし根のせいで私の肉体からズボンを遠ざけることはできず、床に置いただけだった。
どうしたらいいんだ。 こんなところを誰かに見られたら会社にいられなくなる。 セクハラどころじゃすまないぞ。
辺りを見回すと、隣のデスクの上、マグカップの中にハサミを見つけた。よかった、これで助かる。だが手を伸ばしても届きそうにない距離だった。私はどうにか取ろうと、勢いをつけてデスクに倒れ込んだ。
その瞬間だった。
ブチブチブチ。根がちぎれる音とともに、足の裏に激痛が走った。この世のものとは思えない痛みだった。尋常じゃない。昨年、業務のノルマが達成できず部長にマウスで殴られたことがあったが、そんなレベルの痛みじゃない。さらに言うと、以前胆石ができたことがあった が、それよりはるかに痛い。3本ちぎれただけでこんなに苦痛なのか。恐る恐る下を見ると血が流れていた。靴の裏、尿に混じってゆらゆらと揺れる血液。すでに根には、神経も血管も通っていたのだ。
私は、根を抜くことができるのか?
どうしたらいい。
考えろ。
考えるんだ。 初めて焦りというものが私に訪れた。それは恐怖とも言い換えられる感覚だった。
コツコツコツ。
誰か来た! 私は息をひそめた。下半身が裸なのだ。バレたらクビになるだろう。足音はどんどん近づいてくる。どうしたらいい。カードキーをかざす音がなり、ドアが開いた。現れたのは警備員だった。見られる前に何とかしゃがんだ。そうするしかなかった。予想通り、再びブチブチと根がちぎれる音がして激痛が走った。私は歯を食いしばってなんとか耐えた。涙が床に落ち、尿だまりで汚く跳ねた。
「残業ですか?」
「え、ええ」 机の上にちょこんと顔を出して答える。机の下には電源コードがひしめき合っているので、 しゃがんでいても不思議ではあるまい。
「ビルの退出時間ですので」 時計を見ると23時50分だった。終電には乗れないことが確定した。 「わかりました。すぐに出ます」
そう伝えると、警備員は去っていった。
正直に話した方がよかったのではないか? しかしこの状況を何と説明すればよかったんだ? とっさに、助けてもらう事よりクビにならない事を選んだ。そして我に返って後悔している。
いや、でも、当たり前のことだ。私は妻も子もいるサラリーマンなのだ。会社で下半身を露出してクビになったりしたら、幻滅されるどころではすまない。思春期に突入する間近の娘に、 思春期に突入する前に嫌われてしまう。それに何より、優子を悲しませてしまう。優子というのは私の浮気相手で、下の階で労務を担当している。私の給料は彼女のおかげで少し水増しされているのだ。
しばらくして電気が消え、空調の音も止んだ。警備員は私が会社を出るのを見届けることなく帰ったらしい。少しの安心感と激しい後悔に苛まれながら私は椅子に座ろうとした。その瞬間、私は尻もちをついた。ブチブチブチブチ。痛ってえ。再び激痛が走り、意識が遠のく。 何とか振り返ると、先ほど尿を我慢して取り乱した時に掴んでいた椅子が、いつの間にか遠くへ転がっていた。キャスターの馬鹿野郎。椅子にかけたジャケットにスマホも入っているのに。どこまでもツいていない。厄日にもほどがある。
私はデスクに肘をつき、再びパソコンの電源を入れた。そして「足から根」「同じ体勢 根」「sole root」など、色々なワードで検索をかける。何が何でも現状を打破したい。しかし私にとって有益な情報は何ひとつヒットせず、出てきたのは植物の根のことばかりだった。当たり前と言えば当たり前の結果だった。
前例のない症状なのか? 頼む、頼むから夢であってくれ。そう願って下を見ると、根ははっきりとそこに見え、先ほどより一つ一つの根体が太くなっているように感じた。
パソコンをいじっていると24時30分をまわっていた。急いで妻にパソコンからラインを入れ た。正直に言っても信じてもらえそうにないので、残業で終電を逃したとだけ綴った。私のことなどどうでもいいのか、既読にはならなかった。さらに調べ続けたが、手がかりを掴むことはできず、次第に睡魔に襲われた。だがこんな体勢では眠ることができない。立ったままなのはきついし、体重を乗せているので肘はしだいに痺れてくる。かといって床には尿がある ので座るわけにもいかない。私はカバンから睡眠薬を取り出し、唾で飲みこんだ。いつもの量では足りなく思い、倍ほどの量を服用した。そして両腕に満遍なく体重をかけ、ゆっくりそ こに頭を置いた。
目覚めると7時半だった。まだ誰も出勤していない。根は? どうなっている?
確認しようと下を見ると、腹が見えた。パンパンに膨れあがっている。どうしたんだ? 私はどちらかというとスリムな体型だ。私生活はだらしないが、体型だけには自信がある。だがよく見ると、膨れ ているのは腹だけではなかった。腕も、手も、首も、腰も、おそらくだが、太ももやふくらはぎも、一回り、いや二回りほど大きくなっている。これはいったい......。
「岩井さん! 早いですね」 そう言って出勤して来たのは左郷だった。よりによってこいつが来るとは。彼は私がもっとも嫌いな部下なのだ。こいつは私と優子の関係を知っている。新宿でホテルに入るのを見られ、カメラで撮られたことがある。翌日ニヤニヤして見せてきやがった。「ホテルから出勤ですか?」 誰もいない時、堂々と私の浮気をテーマに会話をしてくるところも鬱陶しい。「そんなわけないだろ」
私はしゃがんで昨夜と同じく、机の上に顔を出して答えた。 「優子ちゃんこのあいだ泣いてましたよ」
「なんで!」
私は驚き、声を張り上げた。
「奥さんと別れるって言って、全然別れてくれないって」 私は確かに半年ほど前にそう言ったことがある。初めてベッドを共にした夜だった。それから一度もそんな話にはなっていないが、覚えていたのか。 「ダメですよ。そんな気がないのに、離婚宣言なんて。上手く遊んでくださいよ。女の子は一 度言うと覚えてるんですから」
「ああ」 「根に持ったら怖いですよ」
私の脳内に「根」というワードが突き刺さった。何をやっているんだ、私は。今は優子のことなど考えている時間はない。根だ、足の裏のおぞましいあれを早くどうにかしないと。 「岩井さん、最近太りました?」 私はその問いかけに答えることなく、左郷にこちらに来るように指示した。彼はデスクをぐるっと周ると、まず私がズボンを抜いでいることに驚いた。
「何やってるんですか?」
「誰にも言うなよ」 左郷の秘密が一つ増えたってどうってことはない。問題は、こいつ以外に知られずにどう解決するかと言う事だ。あと一時間もしないうちに早い社員は出社して来る。私は事情を全て話した。はじめ左郷は根をみて驚いていたが、椅子をとってきて私を座らせ、尿を拭いてくれた。さらにズボンでハサミを切り、下半身が裸なのがバレないようブランケットをかけてくれた。こいつ優しい一面もあるんだな。
「とりあえず今日はこれで過ごしてください。で、なぜ太ったんです?」 「それが私にもわからんのだ」 そう答えた時、他の社員が出社してきた。左郷は席に戻ったので、PC上でやり取りをした。 だが解決の糸口は見つからなかった。
就業時間が始まり、気が気でなかったが何とかタスクをこなした。ランチは左郷が買って来てくれたので、空腹をしのぐことができ、デスクの上 で1日を過ごした。運がいいことにこの日は会議もなく移動せずに済んだ。
「これからどうします?」 終業後、私が尿をしたバケツを運びながら左郷が問う。
「私にもわからん」
「奥さんは?」 「妻には今日も仕事で帰らないと言ってある。問題なさそうだ」 「浮気して家に帰らない日があるのが、役に立ちましたね」
「ああ」
反論する気にもならなかった。
「ちょっといいですか?」 左郷はそう言うと、私の足の裏を覗きこみ、根を確認した。 「朝より太くなってますね」 何となく気が付いていた。そして腹も腕も首もさらに一回り大きくなっていた。 「まさか、吸収してるんじゃ......」
「何を?」
「養分、ですかね」 「何の?」 「......ビルの」
予感は的中した。翌朝、同様に睡眠薬で眠り目を覚ますと、体は灰色に変色していた。体格がさらに大きくなっていたのは言うまでもない。器官が痛く、息がしづらい。昨日は何とか 仕事をすることが出来たが、今日は無理だろう。私は隣で眠る左郷を起こした。 「どうにかしろ!」 「そう言われましても。いくら調べても何も見つかりません。根が生えるのに、思い当たる節 はありませんか?」
「あるわけないだろ」 そう答えた時、バタバタと人がフロアに雪崩れ込んできた。 「9階にも1人いました」
「よし確保だ!」
「もう大丈夫ですよ!」 私は酸素マスクを咥えさせられ、毛布をかけられた。 「8階に1人、7階と6階には2人づついました」 「よし、10階に向かうぞ」 そう言って彼らは上に向かった。レスキュー隊のような風貌だった。
「佐郷、下を見てこい」
「わかりました。何かあったら連絡します!」 数分後、彼からラインが届いた。そこにはいくつか写真が添付されており、拡大すると私と同じように根が生えた男が写っていた。体も私と同様、少し灰色かがり大きく膨らんでい た。まさか、こんなことが......。ディザスター。何でよりによって私なんだ。そう思いながら写真をスライドすると、そこには信じられない景色が写っていた。何とビルの1階、エントランス の柱がやせ細っていたのだ。それほど養分を吸収したというだろうか。 佐郷とともにレスキュー隊が戻ってきた。
「私は、私はどうなるんですか?」 「今のままでは危険です。とりあえず、ビルと根を切り離すしかありません」 彼らはそう言うと、ドリルで床に穴を開け始めた。振動が辛い。ダイレクトに体に伝わってく る。麻酔をして虫歯を治療している時の、どこか気持ち悪いあの感覚。神経には遠いのに何かを触られているような違和感。気持ちが悪い。
「あと少し、あと少しです」 そう言われた時、再び激痛が走った。今までとは比べ物にならないほどの痛みだった。視界が狭まっていく。下にはコンクリートを染める血が見える。人生で初めて死にたいと思った。いっそ殺してくれ。
「終わりましたよ」 告げられた時には、朦朧としていた。私の体はコンクリ土台のついたまま寝かされ、私自身もそのまま目を閉じた。
まぶたの裏に出てきたのは優子だった。 「私の苦しみがわかった? どう? 根に持つ女は怖いでしょ?」
こいつのせいなのか?
とすると、下の階にいた写真の男たちは? 私は質問を投げかけようとしたが、どう話しかければいいのかわからない。優子はそれを察したかのように続けた。 「下のは知らないわよ。でも、誰かに恨みを買っているんでしょうね。根に持つほどの」 私はこれからどうなるんだ?
根は無くなるのか? 「それはあなた次第よ。私も苦しんだんだから、あなたも苦しみなさい。自分だけ幸せにのうのうと生きようなんて、虫が良すぎるわよ」
言っていることはごもっともだ。 私は優子との甘い関係を続け、切羽詰った質問はのらりくらりと交わしながら過ごしてきた。本当に申し訳ないことをした。 「今更遅いわよ。私あなたの携帯を見たことあるの。バカよね暗証番号を結婚記念日にしてるなんて。根掘り葉掘りチェックしたわよ。全部奥さんに言ってやるんだから」
それはやめてくれ。夫婦仲は冷めてるとはいえ、家族なんだ。離婚などしたくない。 そう思った時、大きな音がし、ビルが傾き始めた。根は抜いたものの、養分を吸収しすぎて支柱が耐えられなくなったのだろう。 私が目を開けると、謝りながら去っていくレスキュー隊と佐郷の姿が見えた。追いていくな。 助けてくれ。私は足にコンクリートの塊をつけたまま、机の上で寝返りを打つのが精一杯だった。
うわっ。 机から転がって地面に落ちた。その衝撃でコンクリートが割れたが、時すでに遅し。ビルの 壁の中で巨大に育くまれた根は壁から突き出し、クラーケンの触手のように私を包み込ん だ。ああ、全ては私の蒔いた種。根よ、私の浅ましさ、腹黒さ、汚い部分の全てを貫いて、 一からやり直させてくれ。そう思った瞬間、巨大な根が私の頭を貫き、視界は真っ暗になっ た。
目覚めると、脱水症状になるほどの汗をかいていた。
え。
全て夢か? 夢なのか? そりゃそうだ。私は優子と上手くいってない。頭の中で妄想を繰り返すだけで、浮気などしたことがないのだ。たまに飲みの席で口説いてみたり、セクハラまがいの台詞を口にしてみるが相手にされない。だが相手がその気なら私はいつだって。これはそんな邪な気持ちがもたらした悪夢だったのだろうか。 私は足の裏をチェックしてみたが、小さい頃できた汚いマメがあるだけで、いつもと変わらなかった。根はない。根はないぞ!
よかった。本当によかった!
「遅れるわよ」 妻の声が響く。私は安堵してベッドから飛び起き、汗だくのスウェットを脱いだ。
ん?
あれはなんだ?
枕の上、頭のところには一輪の花が落ちていた。 私はそれを花瓶に入れ、出窓に置いた。 それ以来、そのコンクリートの花を見るたびに、精一杯妻だけを愛そうと心を引き締めるのである。
作:ファビアン(あわよくば)
※このお話はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり実在のものとは関わりがありません
当連載のバックナンバー
あわよくばファビアンの仕事ショートショートvol.1:ゲーソナルコンピュータ
あわよくばファビアンの仕事ショートショートvol.2:脱いで脱いで脱いで
あわよくばファビアンの仕事ショートショートvol.3:新橋のたね(前編)
あわよくばファビアンの仕事ショートショートvol.3:新橋のたね(後編)