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2019年02月15日更新
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.4ー若い二人が引き継いだ「BAR 天井桟敷の人々」には悲喜こもごもの物語がある
作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回は37年前にオープン、藝大生たちも通うバー「天井桟敷の人々」さんに。(編集部)
根津の不忍通りに面したビルの2階、バルコニーからそのまま入れる場所に
「天井桟敷の人々」
というバーを見つけたのは、「谷根千」を始めて間もない頃だった。早速、雑誌を置いてもらうことにした。
普通、夜の居酒屋やバーに販売を委託しても、3カ月して行ってみると、どこかお酒の下に隠れていたり、お酒で汚れたりしていた。酔っ払って、また持ってかれちゃったわ、と支払いを渋る経営者もあった。
「天井桟敷の人々」のマスターとママは一度もそんなことはしなかった。預けておいた10冊なり20冊分の雑誌代を即座に払ってくださった。
夜の配達コースというのがあった。子育て中の私たちが昼間に行っても、バーや居酒屋に人はいない。子供にご飯を食べさせ、お風呂に入れて寝かしつけ、寝静まったら、地域の両端から配り始める。そしてちょうど真ん中、根津の「天井桟敷の人々」が合流点。そのころ私たちは異常に貧乏だったが、「マスター、これで飲ませて」と出たばかりの500円玉をカウンターに転がすと、それで1杯飲ませてくれた。
「そういう人でした」と学生時代からアルバイトをして、今は堂々の風格、小百合さんは言う。
「マスターは佐野さんといって、元は繊維関係の会社の経営者で、銀座でよく飲み歩いた人です。ママは銀座のバーに勤めて、根津で初めてお店を持ったんだと思います。2人はパートナーでした。今年でお店が37年目ですから、昭和58年、『谷根千』の1年前に始めたのだと思います」
散々、あちこちのバーを経験した佐野マスターは、インテリアの趣味もよく、何よりマルセル・カルネ監督の映画『天井桟敷の人々』に惚れ込んでいた。これは「犯罪大通り」にあるパリの劇場を舞台に、落ち目の女優ガランス役のアルレッティ、パントマイム芸人バチストを演じたジャン=ルイ・バローなど、名優たちが繰り広げる愛と自由の物語。それもフランスという誇り高い国が、ドイツに占領されてヴィシーに傀儡政権ができていた、まさにその時期に作られた。脚本は、私が大好きな詩人ジャック・プレヴェール。
黒っぽい木で作られた暗い店内、一番大きな壁に、まさにその天井桟敷に群がる観客達の映画のスチールが貼ってある。原題は「天国の子供達」。
「マスターは最初、毎週ここで、上映会を開いていたそうです。初期の頃からの常連さんで、もう何百回も見た、いや見せられたという方もいます。佐野マスターはお店を始めて10年経たないうちに体を壊して、美智子ママは自分のご両親と、佐野さんと3人の介護をしながら、お店を続けました」
――小百合さんはいつお店に関わったのですか。
「私は九州の太宰府の生まれです。一浪して藝大に入ったんですが、その頃、藝大は学科によっては倍率が数十倍くらいでした。私は染色やテキスタイルが専攻ですが、一浪の私が一番若いくらいで、みんな大人で、それだけ美術の世界についてはみんな詳しかった。友達がこの店の手伝いをしていて、最初恐る恐る生まれて初めてバーという場所を知りました。それからご縁でアルバイトをすることになりました。藝大生をアルバイトにしているのもこの店の特徴でした。
佐野さんが書かれたカクテルの作り方や、つまみの作り方の細かいメモがあるんです。美智子ママも介護で大変だったから、早い時間は藝大生の若い2人でやって、そのあとママが来たら後はおまかせみたいな時代もありました。そのうちにママまで体を壊して、2014年に亡くなってしまって。亡くなる前日まで働かれていたんですが」
最後の頃はあまりお客さんも来なくなって、経営もよくなかったという。常連の間で、どうやって存続させるか、やめるか、議論があった。小百合さんのパートナーのコウタさんが、福祉の仕事を辞めて、小百合さんとお店を続けることにした。
たまに、この店に行くが、根津あたりにこんなに本格的なバーがあるかと不思議なくらいである。お酒はウィスキーでもバーボンでもなんでも揃っている。何か変わったのを、と言うと、今日はインドのウィスキーを出してくれた。スコットランドで、私一人で歩いて回った蔵元ボウモアのシングルモルトなどもあったりする。
つまみは小百合さん、今日は隣の高級魚屋、根津松本の白子ポン酢。お肉がいい人には、腰塚のおいしい自家製コンビーフがある。地域と共存共栄しているのだ。
「地元の味を楽しんでいただきたくて」
そのほか、小百合さんの作る焼うどんは長年、評判がいい。
「7時から開けていても、混んでくるのは10時くらい。ようやくお店をやっていけそうな感じです」
7時過ぎには数人の客がいた。毎日のように遅い時間に来る常連さんもいる。東大生や藝大生も多い。地域の若者は「てんさじ」と略して呼ぶ。
「佐野マスターと同じで、この人、若いお客さんからお金が取れないのよね」と小百合さん。うんと若返ったお店、コンサートなどのイベントのほか、お店とは別に小百合さんが企画をしているアートイベントのコモゴモ展を、上野恩賜公園の噴水前広場で開催するなど、お店を根城に外にも飛び出す。
「藝大生は難しい試験に受かっても、アーティストとして暮らしていくのは大変です。それにお客さんの目に触れるチャンスがないと、作品に進歩もありません。音楽の方も、みんなクラシックの基礎はできているんですが、自分がやりたい音楽はまた別のものだったりする。それを聞いてもらう場もなかなかない。年に4回の上野公園でのイベントは、悲喜こもごも、からとったのです。いろいろあっても諦めないでみんなで頑張ろうと」
若いお二人の店、次世代のアートの拠点になりそうである。
取材・文:森まゆみ
当連載のアーカイブーSince 2018ー
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
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