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2018年12月19日更新
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.1ー創業67年。町中華の「オトメ」はだれでもふつうに扱ってくれるー
作家の森まゆみさんによる新連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。お店の歴史を掘り起こしながら、「長く愛されるお店とは?」についても考える聞き書きエッセイです。仕事でも暮らしでも、何かと変化が歓迎されやすいこの時代に、変わらないことの良さ、ふつうであり続ける力にも目を向けてみます。(編集部)
最近、谷根千の町は訪れる人が多く、たくさん新しい店ができている。マスコミに取り上げられるのはそうした店が多い。それでむしろ、町にずっとある、頑張っている、素敵なお店を紹介したいと考えた。
「石の上にも三年」「継続は力なり」と言うが、たゆまず努力することに、仕事のコツが隠されているのではないかと思う。
根津商店街のほぼ真ん中、谷中に向かって右側に「オトメ」という町の中華屋さんがあって、新旧の谷根千人に評判がいい。以前、根津銀座はアーケード街だったはずだが、今はそれを取ってさっぱりした。
1984年に地域雑誌『谷根千』を女性3人で始めた頃、書店だけでは売れる部数が限られるので、町中のお店に広告をお願いしたり、雑誌を委託販売してもらっていたのだが、そのときスタッフの山崎が言ったのだ。
「そう軒並み置いてもねえ。それにあそこは安くておいしいから、取っとこう」
そうなのだ。広告主や委託で置いてもらっているお店に行くと、どうしてもこちらは出入り業者になる。気楽にお客としていけるお店、配達の合間にご飯を食べたり、休憩するところを残しておかなくちゃ。というわけで、取材や配達の合間にその頃は通時営業だったオトメに入ると、ああ、ここではお客になれるとホッとしたものだった。
私の一押しはここの柔らかい五目焼きそば。と言っても麺にしっかり焦げ目をつけてください、と注文する。柔らかいそばと、カリッとした焦げ目、そのうえ五目というけど10目くらい具が入っている。
「お客さん、皆さん驚くよ。この前数えた方が10種類以上入ってるって」
私も数えてみた。しいたけ、白菜、人参、キクラゲ、ベビーコーン、銀杏、うずらの卵、豚肉、鳥の唐揚げ、えび……これを少しずつつまみながら、琥珀色の生ビールを飲む、というのが遅い午後の私の至福の時間だ。そして春巻きも、おおきな餃子も、一つから注文できるというのが嬉しい。
その後、「オトメ」の評価は上がることはあっても落ちることはない。そんなに広くはない。満席になっても30人ほどが限界の小さな店だが、そんな混むことはない。感心なのは中華屋さんぽい油っぽさがなく、テーブルの上に一輪挿しが置かれ、バラだの、カーネーションだの、季節の花が飾られていること。
「これを見るとホッとするというお客さまは多いんです」と奥さん。こういうところをケチらない心構えもお店が長く続くコツだと思う。実を言うと、根岸の老舗洋食店のバラの一輪挿しも好感を持っていたのだが、ある日消えてしまってがっかりした。
このお店は昭和23(1948)年創業で、もう70年目。「どういう経緯で始めたんでしょう。元はパン屋さんだったと町の方は言ってます」と聞くと、白い、フレンチのシェフのような上っ張りを着た、おひげの主人は、弱ったように「結構、複雑な話なんですよ」と言った。
「私の祖母は、まず早乙女という家に嫁ぎました。子供も生まれたのですが、その後、夫が亡くなり、今度は落合という人と結婚して、大正13(1924)年にうちの父が生まれたんです。
戦後、早乙女の長男が始めたのが、動坂に今もあるカフェさおとめです。そして次男はよみせ通りの、今、ホテルになっているあたりにオトメパンというパン屋を開き、隣がパン工場でした。 もののない、仕事もない頃、戦争から帰った父は、下の兄と協力して、よみせ通りでパンを焼いていた」
――なるほど。その頃は町で焼くパン屋さん、珍しかったのでしょうね。
「GHQはアメリカの小麦を輸入させて、パン食を奨励したかったのもあるのでしょうね。パンを焼く学校まで経営していました。そこで父も習ったんです。オトメパンでは、近隣各学校の給食のパンも焼いていました。
日本医大の坂の下では伯母(母の姉)が中華料理店をしていて、そこでもオトメパンを売っていました。当時、父は根津のこの場所でパンを販売していたのですが、伯母が体力に自信がなくなってきたこともあって、お互いの店を取り替え、父がそちらの店の仕事を引き継ぐことになったんです。
やがて、父と一緒に仕事をしていた下の兄が亡くなったこともあって続かなくなり、パン屋のほうは閉めたんです」
――昔のオトメパンの袋を持っている方から「谷根千」に問い合わせがあって、「オトメ通りというのはどこのことですか」と聞かれました。
「一時期、オトメパンはよみせ通りの本店と、日医大下と、藍染大通りのこの前まで印刷屋さんだったところと、こちらと、4店舗あったんですね。本店や工場のあったよみせ通りのあたりが、オトメ通りと呼ばれていたそうです」
――なるほど。それで、谷根千の思い出話にオトメパンの話がよく出てくるわけです。
「私は昭和26年に根津で生まれ、いったん日医大の坂の下の店に越して、根津に戻ってきたのが昭和40年、東京オリンピックの翌年です。中学生の頃から手伝わされていましたね。日医大の先生方がランチをたくさん取ってくださいました。ラーメンじゃなくて、鳥の唐揚げとか、しゅうまいとか、盛り合わせたランチを届けていました」
――この味はなんという料理でしょう。
「たまたま雇った人が広東料理に長けていた。その技術を惜しげもなく伝授してくれました」
――湯麺もおいしいし、中華丼がまたおいしい、しかしこんな130種類もの料理を自在に出すには、たくさん材料も揃えなければならないから大変ですね。とくにオススメなものはありますか。
「うちのレバニラ炒め、レバーが新鮮なので、レバー嫌いのお子さんも食べられるって。新鮮じゃないと、血抜きしたりしているうちに、旨みもみんな出ちゃうんですよ。野菜嫌いのお子さんも、うちの炒め物は喜んで食べるとお母さん方が驚かれます。おたくの水餃子で育ちました、という人もいる」
そう言われると、味見してみたくなる。まあ、驚いた。レバーは最初に味をしっかりつけてあって、思ったよりよく炒めてある。それとニラやもやしのシャッキリ感がたまらない。他にも練りゴマで作った「オトメそば」、夏はさっぱり「トマトそば」、さらにこれからの冬は「冬瓜の炒め物」などが人気だ。
ご主人の秀雄さんも渋い二枚目だが、奥さんの都さんもまたいつまでも歳をとらない、きれいで親切な方。
「実はね、来年の2月にいったん閉めて、再来年の年初めまで、建て直すんです。もうさすがにガタがきましたので」
「根津を長く見てこられて、印象に残る方は?」と尋ねると、「近隣の方のお顔が思い浮かびますね」という答えが返ってきた。
「小さい頃、このあたりの路地で騒いでいたりすると、近所の大人たちから「うるさいよ! 静かにしな」なんて怒られて。こっちも『うるせえ、ババア』なんて、悪態ついたものですけど。あと、当時は銭湯だったから、『水、出しっぱなしにするな』とか、『きちんと身体を拭いてからあがれよ』なんて注意されたり。そうやって、まわりの大人たちが、子供のことをちゃんと見ていてくれた。今は失われてしまったけど、そういうのが根津だよね」
「前、『谷根千』で話を聞きに来てくれた頃は父(光さん)がやってたと思うんですが、父も母(貞子さん)も90過ぎて、もう店はやっていませんが元気です。でも、大方の見るところ、お袋がいなかったら店は続かなかったと思いますよ。
お袋は、今も買い物に行ってくれたり、パッパッと自分でよく動きます。家族だから、言いたいこと言いあって衝突することもあるけど、細かいところまで目が届くし、がんばり屋ですよね。そうじゃないと、やっぱり商売、つとまりませんから」
ご主人はそう言って、奥さんへ目を向けた。たしかに、おかみさんの笑顔がなければ、店は成り立たない。カーデガン姿の近くのおじいちゃん、東大の学生さん、家族連れ、遠くから来るファン、誰にも平らな応対が嬉しい。
「できるだけ今のスタイルを壊さないように建て替えたいんですがね」
ぜひ、そうしてください。お願いします。
取材・文:森まゆみ
当連載のアーカイブーSince 2018ー
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。上野奏楽堂、赤れんがの東京駅の保存、不忍池等の環境保全に関わるなど、地元の景観を守る活動を続け、また、「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」共同代表として、新国立競技場のありかたを見直す活動をおこなってきた。著書に『鷗外の坂』『東京ひがし案内』『青鞜の冒険ーー女が集まって雑誌をつくるということ』『お隣りのイスラーム』『東京老舗ごはん』ほか多数。
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