2018年10月12日更新

新橋のたね(前編)ーーあわよくばファビアンの仕事ショートショートvol.3

お笑いコンビ「あわよくば」のファビアンさんが妄想の赴くままに書き綴る、仕事をテーマにしたショートショートシリーズ第3弾。仕事帰りの居酒屋などでお楽しみください(編集部)

第一志望の最終面接が終わった。

緊張していなかったと言えば嘘になる。椅子から立ち上がるとき、手のひらを開くと汗でびっしょりだった。そりゃそうだ、人生かかってるんだから。退室する際、ドアノブで手が滑ったのはさすがに恥ずかしかった。僕はヘラヘラと照れ笑いを浮かべ、そのまま一目散にビルから出た。深呼吸。多少の解放感はあったが、まだ心拍数は下がらない。体力のない僕はよろよろとビルの壁にもたれ、面接で貰った水をガブガブと飲んだ。

ふうーーー。

何とか落ち着いた。空を見ると、ひこうき雲が濃く伸びていた。合格していますように。休憩を終え、新橋の地下街へともぐった。受かっていたら飛んで喜ぶけれど、落ちたら……。やはり、どうしても結果が気になってしまう。早く知りたい。もう結果は出てるんだろうな、たぶん。そんな事を考えながら歩いているうちに広告にまみれた空間は終わり、駅へと続くエスカレーターが顔を見せた。右側の開けられたスペースに何人ものビジネスマンがなだれ込んでいく。彼らのために開けられているような場所。黒や茶色の革靴で颯爽と登ってゆく姿は日本を支えている気がして頼もしかった。


この街を歩く人は速い。いや、速いと言うより「せわしい」という言葉のほうが似合う。ゆうだちで家路を急ぐペースで全員が行動している。それほど時間に追われているのかな。本当に雷雨が降ったらもっと早いスピードが出るのかな。山手線の駅対抗の競歩大会が開催されたら優勝するのは新橋だろうな。でも決して走らないのは何故だろう。早歩きと駆け足の臨界点を常にキープしている。面接でどっと疲れてノロノロ歩く自分と新橋を本拠地としている人との行動ペースの違いは、体力だけでは補いきれないと感じた。

僕は来年の四月からこの街で社会人としてやっていけるのだろうか。あんな早いペースで歩けるだろうか。一抹の不安におそわれる。いや、待て。まだ最終面接を受けただけだ。イキルチカラ株式会社に勤めることが正式決定したわけではない。否、落ちている可能性だって十分にある。

一年後の自分はどうなっているのだろう……。

そんな事を思いながら水を飲み干し、ゴミ箱に捨てようとした。すると、ラベルに印字された企業ロゴが目に飛び込んできた。受かりたい。僕は足にグッと力を入れ、身体の向きを変えた。捨てると言う行為が、縁が断たれる事へと繋がっているように感じたからだ。暗示。僕はペットボトルをカバンに閉まい、結果が出るまで大切に持っておこうと決めた。効果があるかどうかはわからないけど、これも受かるために出来ることの一つのように感じられた。

改札に入り、ホームからSL広場を眺める。狭い。その時、フォーーッと汽笛が鳴った。隣のビルの時計は正午を指していた。僕は汽笛が聞けて幸せだと思った。街が歓迎してくれているようにも感じた。短い短いウェルカム・ミュージック。ビジネスマンたちは音など気にしていない様子で相変わらずせわしく、自分だけが注目しているフォーーッだったことも何だか嬉しかった。

ふとホームを見ると、一車両ほど離れた場所に杖をついた老爺が歩いていた。整えられた白髪は艶が出ていて美しく、ひげは髪の数倍長い。絵本から飛び出したような風貌だった。歩くペースはかなり遅く、新橋との相性は良くない。だが一つだけこの街に相応しいところがあった。スーツを着ていたのだ。パリッとした藍の光沢。それが背景色となり、白いヒゲがさらに目立っていた。只者ではないと感じた。もう少し彼を観察していたい。

老爺は少しずつ僕の方に近寄ってくる。彼の口元はもぞもぞと動いていて、何か言っているようだった。僕は喋りかけようとしたが、特に用事はないし、なんと言っていいかわからなかった。じっと見ている間に電車が到着した。彼は乗る素振りを見せなかったので、僕も見送ることにした。山手線は数十秒の停車時間を与えて、僕らの前から去っていった。

「豊作じゃ」

ブツブツと呟いていたのは、それだった。頭にハテナが浮かぶ。

「豊作じゃ、豊作じゃ」

老爺は何度も繰り返しながら僕の前を横切った。何の抑揚もない台詞だった。感情が読めない。一体何が豊作なんだろう。それに豊作ならもっと喜べばいいのに。おぼろげな瞳には何が映っているのか。見るかぎり老爺の目線の先には疾走ビジネスマンしか確認できなかった。僕は興味がないふりをしながら、一定の距離をキープする事につとめた。しかし彼はヨタヨタと歩きながら同じセリフを繰り返すだけだった。ただの変人なのだろうか? 

僕はいちおう「新橋 じいさん 豊作」と検索してみた。しかし飲食店以外は出てこなかった。

その時、幸か不幸か、若いビジネスマンが僕にぶつかってきた。スマホは地面に落ち、僕は尻もちをついた。

「痛ってえ」

すぐに振り返ったが、ビジネスマンは颯爽と去っていった。謝らないのがこの街のルールなのだろうか?

「大丈夫かの?」

その声の主は、老爺だった。いつの間に僕の隣に来たんだ。

「ひどい人がいるもんじゃ……」

「いや僕が悪いんです。よそ見してたから」

「ついてないのう」

老爺は落としたスマホを拾って僕に手渡した。顔を見ると、その優しさとは裏腹に殺気立った目をしていた。畏怖。只者ではない、その直感に信憑性を与えるには十分だった。それに、若い。目の奥に覇気を感じる。おそらく年齢的には引退世代なのだろうが、まだ何かの現役なのだろう。僕が立ち上がると彼は歩き去ろうとしたが、この瞬間を逃すわけにはいかなかった。

「何が豊作なんですか?」

「ああ……。聞こえとったんか」

「何度も」

「知りたいかい?」

老爺はそう言って歩き始めた。付いて来いと言われた気がして僕も後を追った。ゆっくりだけど追い抜くわけにはいかない。エスカレーターに乗るときは手を貸し、地下街では人にぶつかられないようにボディーガードをしながらも、彼に付いてゆく。不思議と会話はほとんどなかった。ひとこと「種まきが見えるかもしれんよ」とだけ告げられ、「何のですか?」と聞き返したが返答はもらえなかった。種まきや豊作という言葉からは、野菜と果物しか想像できない。新橋に畑なんてあるのだろうか。

「あれ」

老爺は告げた。伺の指し示す先には面接を受けたビルがあった。

「え?」

「もうちょっとじゃ」

気が乗らなかった。好奇心より、面倒な事にならなければいいけどという気持ちがすぐに膨らんだ。就職に関してはそっとしておいてほしい。面接官にも会いたくない。何で戻ってきたのかと尋ねられても何と言えば良いのかわからない。受け答えによっては合否に響きそうだ。

待てよ、老爺は関係者なのか? だとすると、社長? そんなうまい話があるか? いや会社HPで社長の顔は見たことがある。老爺より30歳は若い。まあ、どちらにせよ面接を受けたことを言った方が良いのでは……。

僕が尻込みしているにも関わらず老爺はどんどん進んでいく。彼を一人で向かわせるのは裏切ったことになるような気がして、仕方なく後ろを付いていった。それ以外、選択肢がなかったのだ。

とうとうビルの前に到着した。自動ドアが開くと、老爺は慣れている様子でエレベーターまで向かった。イキルチカラ株式会社は6階にテナントで入っている。何階に行く気だ。伸びる手を見ながらドキドキした。しかしボタンは押されなかった。彼の指は地下のボタンの下のスペース、指紋認証をする液晶に触れた。すぐさまエレベーターが動き出した。どうやら下へと向かっている。何があるんだ。しばらく待ってみたが相変わらず説明はしてくれなそうだった。

「地下ですか?」

「ほほ」

「何にも教えてくれないじゃないですか」

「ほほほ」

 エレベーターにしては長い時間乗っている。

「まだ着かないんですか?」

「ほほほほ」

体感では1分弱だろうか。地上だとしたら30階くらいに相当する。

「何が豊作なんですか? 何の種まきですか?」

僕は答えを急かすように、まくし立てた。

「新橋じゃよ」

老爺がそう呟くと、ちょうどエレベーターが止まり、扉が開いた。

僕は愕然とした。目の前には、だだっ広い畑が広がっていたのだ。

信じられない。都会でこんな大自然に出会えるなんて。感動よりも驚きが強い。遠くには働いている人がいて何かの種を撒いたり、水をやったりしている。規則正しく区切られた畑の間には用水が流れていて、苔や水草が生い茂っていた。水面にはアメンボ、底には幾匹かのタニシが水に揺らいで見え、愛おしい風景に輪をかけていた。奥の方にはビニールハウスとスプリンクラー。全てが旅行パンフレットで見た田舎の風景そのものだった。

だが不満もあった。壁や天井が完全にオフィスのそれで、ここが室内であることを忘れさせてはくれなかった。蛍光灯もあり、空調の音がはっきりと聞こえる。特にエアコンの風穴が左右に動いていたことには、文明やら科学技術やらを感じてとても嫌だった。何より現実に引き戻されたのは、畑の真ん中にはデスクがあり15人ほどのビジネスマンが働いていたことだ。キーボードをカタカタと打つ音が農村の風景を完全に壊していた。むき出しの電化製品は、僕も、老爺も、この場所も、資本主義経済の真ん中にいる現実から目を背けさせてはくれなかった。

一体、ここは……。

少し先まで歩いていた老爺を追った。僕が追いつくと彼は振り返り手を開いた。

「ほら」

そこには黒、灰色、紺の種があった。

「植えてみるかい?」

「え……」

「これが新橋じゃよ」

そう言いながら老爺はにっこりと笑った。初めて彼の笑顔を見た気がした。僕は渡された種を凝視してみたが、僕の知っている植物のそれと特に変わりはない。重さも普通。嗅いでも無臭。これが新橋? 謎は全く解明できなかった。

「ここじゃ」

僕は言われた通りの場所に三粒の種を植えた。すると何処からかドローンが飛んできて、素早く水を撒いていった。デスクからはビジネスマンが手をふり、老爺はそれに伺で応えた。お礼の意味なのだろうか。おそらくデスクが中央司令部的な役割で、室内をコントロールしているのだろう。

「今、案内さすからの」

老爺はそう呟くと、慣れた手つきでスマホをいじり出した。しばらくすると「お待たせしました」と後ろから声がした。振り返るとそこには見覚えのある男が立っていた。

「あ……」

「さっきはお疲れ様」

それは僕の面接官だった。

「戻って来たんだね」

「どういうことですか? 説明してくださいよ」

「まあまあ」

そう言って彼は歩き出したので、僕は後を付いていった。老爺は自分の役目は終わったというような雰囲気でデスクに座り、何かを飲みながら休憩していた。

「あの人は何者なんですか?」

「社長だよ」

「え?」

「ああ、正しくは元社長。今の社長のお父さんで、創業者。今でも現場に出てるけどね」

どうりで若々しいオーラがするわけだ。

「なんで地下に畑が?」

「事業の一つだよ。うちグループ会社だからさ。彼の子会社の一つがイキルチカラってわけ」

「そうだったんですか」

「僕は全ての子会社の採用を任されてる。全部ビルに入ってるから、統括でね」

「え?」

「ああ。実はここ自社ビルなんだよ。9階からB1まで全て子会社。エレベーターに書いてあっ
た他の会社名、見た?」

「いや」

「面白いよ。9階から順番に頭文字を読むと、ホールディングスの名前になってるんだ。ユ
ニークだろ?」

なんだそれ、以外の感想はなかった。別に僕がネットで調べていないだけで、そんなのすぐに検索できるだろう。

「なんて聞いてる? 種のこと」

「新橋の種だって」

「そりゃそうか、説明できないよなあ」

「説明して欲しかったです」

「見た方が早いよ」

あぜ道をしばらく歩くと、白いドアの前にたどり着いた。隣にも部屋があるみたいだ。彼は首から下げたカードキーをかざしてドアを開けた。そこには大きなビニールハウスがたくさん並んでいた。驚いたのは色が透明ではなく、黒、灰色、紺だったことだ。側面には「1M」「3E」など番号とアルファベットが書かれていた。なんの数字だろうと思いながら顔を近づけてみたが、企業秘密と言わんばかりに中は一切見えなかった。

「ここにするか」

彼は「3S」と書かれた黒いビニールハウスに近づき、脇の階段を登り始めた。どうやら入り口は二階らしい。中には何が入っているのだろうか。検討もつかない。僕は不安と少しの好奇心を胸に、階段を踏みしめた。

作:ファビアン(あわよくば)

「新橋のたね」後編はこちら→https://www.shigoto-ryokou.com/article/detail/409

※このお話はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり実在のものとは関わりがありません

バックナンバーはこちら→あわよくばファビアンの仕事ショートショートvol.2:脱いで脱いで脱いで
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