2018年04月27日更新

4000人の遺影を撮影してきた写真家、能津喜代房。広告の世界を捨てて選んだ「遺影写真家」という生き方。(後編)

60歳の時に遺影専門の写真館をオープンして以来、4000人もの遺影を撮ってきた「遺影写真家」、能津喜代房さん。

広告写真を仕事にしている時代には、ストレスがあったという能津さんだが、遺影写真家の仕事をしている今はストレスがまったくなく、むしろ「すごく幸せなんです」と目を細めて語る。能津さんにとって「遺影を撮る」とは、どういうことなのだろう。後編では、能津さんの遺影写真に対する想いにせまる。

<前編はこちら。>
4000人の遺影を撮影してきた写真家、能津喜代房。広告の世界を捨てて選んだ「遺影写真家」という生き方。(前編)

遺影写真は100年後も残っているんですよ。


僕は40年くらい広告のカメラマンをやって、そのあと60歳で遺影写真館を開いたんですけど、正直今の遺影を撮る仕事って、カメラマン冥利に尽きると思ってます。

というのは、広告の仕事というのは消えてなくなる仕事なんです。流行の移り変わりによって、世の中からも、人の記憶からもね。

広告の仕事というのはかっこいいわけ。派手なのよ。電車に乗ったら、自分が撮った写真が中吊りであって、駅を降りたら、ポスターがある。たくさんの人が見てくれていて、「これ、俺の写真だよ」って言えるでしょ。

だけど、半年経つとリニューアルして新製品が出ちゃうわけ。そしたら、前に撮ったこの写真は世の中からも、人の記憶からも、サーッと消えちゃうの。それが広告の世界なんですね。


取材後、遺影写真を撮影していただいた。撮影のあとに自分で遺影写真を選ぶ。能津さんは「どっちがいい?」と声をかけ、能津さん自身が決めることはない。「僕がこっちのほうがいいと思っても、お客さんは違うのを選ぶこともあるんです。そうしたらその写真をお渡しして、僕が好きな写真は作品として残させていただくようにしています」と能津さん。

でも、遺影写真は100年後も残っているんですよ、その方の家に。しかも引き出しの中に100年眠っているんじゃなくて、家族の方に見続けられているわけ。自分の写真が100年後も残っていて、それもずっと見続けられているというのは、こんなに写真家冥利に尽きる仕事はないと思うの。

だからこそ、いい加減にはできないんです。いい加減に撮っていると、自分が恥をかいちゃうでしょ。100年後に、「あの写真撮った人下手だね」って言われてる自分がいると思うと、嫌じゃない? 逆に、「あの写真撮った人、上手だよね」って100年後に言われてると思うと、こんなに幸せなことはないわけ。

僕は自分のためにも恥をかきたくないから、持てる力を100パーセント出して、そのお客さまの1枚を撮らせていただきたい。だから、僕は1点1点、しっかりお客さんと向かい合って撮っているんです。

僕が泣いて、お客さんは笑って。


忘れられないエピソードですか。そうだねぇ……。

やっぱり、がん患者のお客さんがいらっしゃることは多いんです。余命何ヶ月、ということを宣告されて、写真を撮りにみえる方はね。

僕はご予約の電話で、「どういう理由で写真を撮るんですか?」とは聞かないんです。それは、「いらっしゃいませ」という最初の出会いをすごく大事にしているから。「今日いらっしゃるのはどんなお客さんなのかな」って、楽しみに待っているわけ。事前にわかっちゃうと、自分の中で計算しちゃうでしょ。それをしたくないから。だから、お客さんの事情を僕は知らないの。

だから、そのときも電話でご予約を受けて、「じゃあ何月何日何時ね」ということで、お見えになったの。それでお話をしているときに、「まあ、今日撮る写真は別に、人生最後の1枚じゃないし、また5年10年お元気だったら撮りましょうね」という話をしたら、「実はね、能津さん。わたし実は、あと半年なのよ」って。そう言われると、もうドキーっとしちゃうわけですよ。

でも、そういうお客さまって、逆にすごく強いのね。ニコニコしながら僕に話すの。僕なんかもうボロボロ泣いてるんだけど。僕が泣いて、お客さんは笑ってね。

「能津さんね、私今から思うと、がんになって良かったと思ってるのよ」って言うから、「え? どうしてですか?」って聞くじゃない。「だってね、能津さん、自分がいつ死んでしまうかわかる? わからないでしょう? でも私はね、もうわかったのよ。だから今やらなきゃいけないこと、伝えなきゃいけないこと、残したいこと、全部準備できるんです。これって幸せだと思いません?」。

そんなふうに言われたら、もう何も言えないよね。

そういう会話ができるまでは、大変だったと思いますよ。一人泣いたときもあったと思うんです。でも、気持ちを切り替えてそういうふうに思えるまでになったのだろうね。そういうお客さんは、すごく僕にとっては印象に残ってます。

自分の元気な姿を家族の方にプレゼントしてあげましょうよ。


僕は遺影写真に対する、世の中の意識を変えたい。遺影写真を撮ることはタブーなことじゃなくて、大事なことなんですよ。自分の生き様、自分の元気な姿を家族の方にプレゼントしてあげるということなんだから。

そういうふうにみなさんの意識を変えるには、僕一人が頑張っても変わらない。街にある営業写真館ががんばらないと。

営業写真館は、遺影写真を撮るということをタブーとしていたのね。結婚式や成人式や七五三みたいに、おめでたいことは店先にのぼりを立ててやっているんだけど、「遺影写真を撮ります」なんていうのは、チラシを見ても一行も書いてないの。

それくらいタブーとしていたんだけど、僕の考えとしては、遺影写真は営業写真館がやる仕事。全国の営業写真館が、「皆さん遺影写真を撮りましょう、お撮りしますよ」という声を一斉に上げれば、世の中の意識が変わるんです。


出来上がった遺影。

ちょうど僕が素顔館を始めたタイミングで、『おくりびと』という映画があったんです。あれ、賞をもらって話題になりましたよね。それから新聞も雑誌もテレビも、今までタブーとしていてあまり扱わなかった葬儀とか、死に関わることを特集するようになったんです。それで、少しずつ僕のほうに追い風も吹いてきたの。そのうちに、エンディングノートとか終活とかも話題になってね。

そういう追い風もあったから、「みんなとにかくやろうよ。世の中を変えようよ」と声を上げたかった。だから、「今まで七五三や成人式や結婚式でいっぱいもうけさせてもらったんでしょう。じゃあ、その人の最後になるかもしれない1枚の写真くらいは、お金もうけのためじゃなく、本気で、いち写真家として撮ってあげましょうよ」というのを、営業写真館協会という組織の集会があるときに、講演させてもらったりしました。

店番から電話番も、全部一人でやろうって決めたんです。


僕、今の仕事にストレスがないの。すごい幸せなんですよ。

広告時代というのはもうストレスだらけだよね。だってやりたくないもの。「ああ、今日あの仕事かよ」と思って、朝起きるの嫌だし、「えー、あの人とまた今日会うの?」とかね。

「ありがとう」の一言でも全然意味が違うんですよ。広告時代も、クライアントさんから「能津くん、いい写真撮ってくれてありがとう」と言ってもらうと、まぁうれしかったよ。でも、その「ありがとう」には、「いい写真撮ってもらってありがとう」だけじゃなく、半分は「これで商品売れて、もうかるからありがとう」の「ありがとう」があるんだよね。

でも、遺影写真館のお客さんの「ありがとう」は、100パーセント「能津さんいい写真撮ってもらってありがとう。私うれしいわ」という「ありがとう」なんです。だから僕も心から「こちらこそお会いできてうれしかったです。ありがとうございます」と言えるわけじゃない?  これは幸せなことなんですよ。

もちろん僕だって生活もあるし、営業写真館だから、利益も上げなきゃいけないんです。だけど、始めた時から「よし、今度この仕事でもうけてやろう」という意識がみじんもなかったから、全然お客さんが少なくても、食べていければなんのストレスもないんだよね。プレッシャーもないし。自分で月のノルマを決めていたら、もうイライラするわけじゃない。全然そういうのがないから。

今スタッフは僕しかいなくて、もう10年間一人でやっているの。これも僕なりの考えがあってね。やっぱり人を雇うのは、経費的に考えると大変なんです。それこそストレスになってくるわけ。やっぱり従業員の生活を考えるでしょう。生活は保障してやらなきゃいけないとか、今度ボーナス出してやらなきゃいかん、いくら出してやろうかな、とか。



僕がこの仕事をやるときに考えたのは、いかにして多くのお客さまの写真を撮らせていただけるか。やっぱり高齢者の方が多いだろうから、年金生活をしている方でも来ていただける料金にしよう。ちょっと外食を1回か2回我慢したら来ていただける料金にしようということで、料金を考えたんです。

だから正直、安いわけ、素顔館。よそと比べても半値ですよ。でも、出来上がりは絶対に負けない写真を撮りたい。それにはどうしたらいいかって、やっぱり経費をかけないほうがいい。じゃあまず一番は人件費をかけないことが必要だと思って、店番から電話番からお茶を淹れることから、全部僕は一人でやろうって決めたんです。

年齢にかかわらず、自分らしい一枚を撮りましょうよ。


遺影は、「80歳になったから、そろそろ準備しましょう」ということじゃなくて、「年齢に関係なく、とりあえず10年に一度、自分らしい写真を撮りましょうよ」ということを提案しています。

人の命は明日どうなるかわからないでしょう。毎日のように若い人も亡くなっているわけじゃない。遺影を撮ったけど、その後10年元気だったら幸せなことなんだから、10年経ったらまた撮ればいいわけ。パスポートだって10年経ったら更新するじゃない。

東京には1,000万人も人がいるわけでしょう。この中野区だけでも40万近く人がいるんです。そんなの、僕一人じゃ撮りきれないよ。だから営業写真館がみんなで手分けして、みんなで撮ってあげましょうよっていうことは、これからも営業写真館のみなさんに伝えていきたいです。

一方で、僕が遺影写真館をはじめて10年だけど、世の中は少しずつ変わってきていますね。今まで「遺影写真を撮るのにどこに行けばいいんだろう」と困っていた人に、「今度あそこの写真館に行ってこよう」と思っていただけるようになってきた。それはすごくうれしいことです。若い方でも、自分の人生を振り返る機会になるから、気軽に遺影写真を撮りにきてほしいですね。


<前編はこちら。>
4000人の遺影を撮影してきた写真家、能津喜代房。広告の世界を捨てて選んだ「遺影写真家」という生き方。(前編)

執筆者プロフィール
山中康司(やまなか・こうじ)
働きかた編集者。「キャリアの物語をつむぐ」をテーマに、編集・ライティング、イベント企画運営、ファシリテーション、カウンセリングなどを行う。
仕事旅行ニュウス: 2018年04月27日更新

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