2018年04月25日更新

4000人の遺影を撮影してきた写真家、能津喜代房。広告の世界を捨てて選んだ「遺影写真家」という生き方。(前編)

東京、中野のひっそりとした住宅街に、その写真館はある。

館内に入ると、目に入るのは三脚にカメラに照明、そして加工に使うのであろうデスクトップパソコン。一見すると、どこにでもあるような街の写真館と同じ光景が広がっている。一点だけ、壁には何枚もの「遺影」が飾られていることを除いては。

ここ素顔館は、全国でも珍しい「遺影専門」の写真館だ。館長は能津喜代房さん。2008年に素顔館をオープンして以来、4000人もの遺影を撮ってきた「遺影写真家」である。

60歳になるまで、およそ40年にわたって広告写真の世界で活躍してきた能津さんは、いったいなぜ遺影写真家という生き方を選んだのか。その背景には、亡き義父への思いがあった。

<後編はこちら。>
4000人の遺影を撮影してきた写真家、能津喜代房。広告の世界を捨てて選んだ「遺影写真家」という生き方。(後編)

声が聞こえる写真は良いと思うんです。


本人らしい1枚が、僕は一番いい遺影写真だと思う。そういう考えで素顔館では写真を撮らせてもらっているの。普段帽子をかぶっているのだったら、その姿は家族の方が見慣れている、自然な姿なわけです。だから、家族にとって違和感のない姿の、帽子をかぶった写真でいいと思うの。その姿を見ただけで家族の人は、「ああ、お母さんって帽子好きだったよね」「いつも出かけるとき帽子かぶってたね」とか、そういう話になるわけじゃない?


取材後に遺影の撮影をお願いすると、能津さんは快く受け入れてくれた。能津さんは撮影の前に、雑談で相手の気持ちをやわらげる。「これから遺影写真を撮るのだ」と思うと緊張してしまうが、話すうちにだんだんと心がほぐれてくる。

これはあくまでも僕の考えなんだけど、この写真がもし遺影になったら、残された家族の方が見続ける写真なんだから、かっこつけるよりも、でれっとした隙のある顔でいいから、その人らしい、お父さんらしい、お母さんらしい写真がいいでしょうと。

だってね、これが本当に遺影になったら、家族の方は写真を向かい合って話をするわけです。なにか辛いことがあったとき、「ねえねえ、お父さん」と話しかけたら、「そんなこと気にすることねえよ」とか、そういう声がフッと聞こえてくる。そんな、声が聞こえる写真というのは良い遺影写真だと思うんです。

目が笑うというのは、心が笑っているの。


僕は遺影写真で一番大事なのは「目」だと思っているの。うちの写真を見てもらっても、すてきだなと思っていただけたと思うんだけど。これなぜかと言ったら、目が笑っているんです。目が笑うというのはつまり、心が笑っているの。

写真を撮るときに「はい、チーズ」と言われて、口角は上がっても、目が笑っていないことがあるでしょ。でも、素顔館の写真は目が笑っているの。だから芸能人でもなんでもない、知らない人だけど、見ていて、こちらも幸せな気持ちになると思うんです。

どうやって目が笑っている写真を撮るかというと、お客さんがおみえになったら、まずここに座っていただいて、こうやってお茶を出して、雑談するんです。好きなものとか家族とか、おじいちゃんおばあちゃんだったら、お孫さんの話とかをするの。

お客さんは遺影写真を、人生最後の1枚を撮るつもりでみえるわけ。だからみえた瞬間は緊張されているんです。僕だって緊張しているから、お客さんはもっと緊張している。それでいきなり、「はい、いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。」「はい、できました。さようなら」って、いかにも商売みたいなやりとりでは、やっぱりいい表情は撮れないのね。

自分が好きな話をすることによって、お客さんは一息つけるし、僕はお話しながら、顔をチラチラと見て観察して、「このお客さんだったら、今日こういう光で撮るといいな」とか、いろいろ考えながら話しているわけです。で、少し緊張が解けたところで、「じゃあちょっと撮りましょうか」って、こちら(撮影場所)へ座っていただいて撮るわけ。写真を撮るときも、ずっとしゃべりっぱなしなんです、僕は。

写真から「おはよう」とおやじの声が響いてくるわけ。


僕がこの写真館をオープンしたのが、60歳だった2008年のことなんだけど、この遺影写真館をやろうというのは、実は50歳の頃に思っていました。というのは、そのときに家内の父を亡くしたんです。

僕は義父からは、経済的にも物理的にも精神的にも、ずいぶん助けてもらっていたんですよ。その義父が亡くなったときに、写真がなかったの。僕、1枚も義父の写真撮ってなかったんですよ。写真を職業としていながらね。

家族写真として「はい、撮るよ、こっち向いて」といって撮ったのはあるけど、「お父さん、ちょっと座って」って、ちゃんと向かい合って撮った写真はなくてね。結局義父の遺影写真になったのは、僕が「やめればいいのに…」と思っている、どこかに旅行に行ったときの、誰が撮ったかわからない1枚の写真だったのね。それがとても残念で、義父にも家族にも申し訳ないという気持ちがすごくあって、後悔したのね。

だからこれはせめて、自分の親だけは撮っとかなきゃいかんと思って。僕、実家は山口県なんですけど、実家に帰ったときに、「ちょっと、お父ちゃん、お母ちゃん、そこに座って」と言って、撮った写真がこの2枚。



能津さんが撮影したお父さん、お母さんの写真。

この写真を見たときに、すごくうれしかったわけ。僕は東京に住んでいて、両親は山口県にいるから、盆暮れの時期に帰省したときしか顔を見れないわけです。でも、あの写真に僕が「おはよう」と話しかけたら、「おはよう」とおやじの声が響いてくるわけ。

それがもう、うれしくてうれしくて。「すごいな、この写真」と思ってね。僕がこれだけうれしいということは、こういう写真を撮らせていただくと、きっと喜んでいただける。それが遺影となったらば、間違いなく宝物になる。だから、遺影を撮らせていただくのは僕にとって、やりがいのある、いい仕事だと思って、広告の仕事を辞めたら本気でやろうと思ったの。それが20年前、50歳のときでした。

だんだん、仕事がつまらなくなったのね。


本当はもうすぐにでも始めたいところだけれども、20年前はまだ子どもも学生でしたから、お金がいるんで、いきなり辞めることはできない。正直広告でいただくギャラと、遺影写真でいただくお金というのは、桁が一つ違うくらいの世界でしょ。広告の仕事を辞めるということは、収入がなくなるんですよ。だから悶々と、「遺影写真を撮りたい」と思いながら、広告の仕事をやっていたんです。

あと、大体10年前といったら、写真はちょうどフィルムからデジタルへ変わっていったときなんです。それで、仕事がどんどんつまらなくなってきた。フィルムの時代というのは、例えば商品を撮って、ここに埃が一つついただけで駄目なわけです。

だから、シャッターを切る前は、アシスタントがずっとブロワーをかけて、埃をきれいに落として、「いいです!」と言った瞬間、カメラマンがバン!とシャッターを切る。だから、シャッターを切るときのスタジオの中の緊張感というのはすごいわけ。

で、シャッターを切って、現像に出して、2時間後にラボから上がってくるわけじゃない。それで、ビューワーの上にポンと置いて、「おお、やった!」となる時もあるし、「うわー、駄目だ。もう1回!」となる時もあるし。それは現像から上がってこないとわからないことなわけ。その緊張感がすごく醍醐味だったのね。

絶対100点の写真が撮れないんですよ、フィルムでは。「今ここしかない、よし、これだ」と思ってシャッターを切るけど、出来上がりは100点じゃない。でも、100点じゃないんだけど、そのこだわって出来上がった写真は、「僕の写真」なわけです。撮る人によってぜんぜん違うから。



「あ、登山好きなの? 僕も結構登っててさ……」。能津さんは撮影中、趣味の話で会話を自然に広げてくれた。思わず遺影の撮影だということを忘れ、顔がほころぶ。この何気ない会話が「目が笑っている」写真を撮る秘訣だそう。

だからクライアントさんは1万円で撮るカメラマンと、10万円じゃないと撮らないというカメラマンがいるなかで、あえて10万円のカメラマン使うわけですよ。それはなぜかと言ったら、「そのカメラマンの、その光が欲しいから」なんです。そういう世界で生きてきたわけ。それがすごくやりがいもあったし面白かった。

でも、デジタルは100点の写真が撮れちゃうわけですよ。パソコンの加工ソフトでレイヤーを重ねればいいわけだから。僕は化粧品の撮影をすることが多かったんだけど、例えば口紅なんか色がいっぱいあるよね。一発目の最初だけを僕がちゃんと撮っておいて、あとはアシスタントに、「色だけ変えておいて」って任せて、僕は映画観に行って帰ってくれば、出来上がってるんです。100点の写真がね。

そうすると、僕はもうただシャッターを押しているだけなわけ。初めのころは、「デジタルって楽でいいね」とか言いながらやってたの。でもある時、商品を見さえしないで、パソコンを見ながらシャッターを切ってる自分に気づいてさ。「はい、いいよ、次」パチン、「はい、次」パチンって。スタジオの中の緊張感も、なにもないの。それでだんだん、仕事がつまらなくなったのね。

遺影写真の仕事をやればもうかるとかいう意識は全然ないんです。


デジタルになって、僕も仕事がつまらなくなったなと思ってたし、自分が60歳を迎えるときに、子どもたちも社会人になったから、もうとりあえず親の義務は果たしたかなと。そのあとは、女房と僕が生活できる収入があればいい。だからもう自分がやりたい、「遺影写真を撮る」というのを本気でやろうと思って、自分が60歳を迎えるとき、「まだ気力、体力あるときに広告を辞めて、この仕事をやろう」と。それが10年前のことです。

ちょうどのその頃、リーマンショックがあって、広告のカメラマンが仕事がなくなっちゃってね。「能津はすごいな。先を読んでて」って言われたけどさ、何も読んでないわけ。リーマンショックが来ることなんて、知らないよ。たまたま巡り合わせですよ。だから、「俺が正直に今まで生きてきたから、運が向いてきたんだよ」とか言ったんだけど(笑)。

これから高齢化社会になるから、遺影写真の仕事をやればもうかるとかいう意識は全然ないんです。ただ自分が感じた、親の写真から「おはよう」と声が聞こえたときの喜び。あの喜びをぜひ他の方にも感じていただきたい、という思いで、この仕事をしているんです。

<後編はこちら。>
4000人の遺影を撮影してきた写真家、能津喜代房。広告の世界を捨てて選んだ「遺影写真家」という生き方。(後編)

執筆者プロフィール
山中康司(やまなか・こうじ)
働きかた編集者。「キャリアの物語をつむぐ」をテーマに、編集・ライティング、イベント企画運営、ファシリテーション、カウンセリングなどを行う。

仕事旅行ニュウス: 2018年04月25日更新

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