2017年09月15日更新

空気読むのも、いちいち後悔するのもやめたーダウナー系非コミュ女子の明るい仕事計画vol.3ー

私は10年来、webという分野で働いてきた。特にもともとそこを志していたわけではなく、たまたま縁あって新卒で入った会社が某ポータルサイトを運営している会社だったからなのだが、結果、会社を移っても同じwebの範疇に身を置き続け、そうして歩んできた道筋が私の人生にとって功を奏したと思う。

もう「あるべき」は気にしなくていい


webの世界は言っても新しい。もちろん大規模な企業も増えては来たが、小さくて若い会社が山ほどある業界だ。動きも速い。3年も経てばまったく違うものが主流になり、だからかもしれないが人の動きも多い。同じ会社に10年いるようなことはごく稀だ。

なので、他の場所を知らないのでアレだが、web業界の醸し出す世界観は現代という瞬間が切り取る価値観を分かりやすく反映している気がする。仕事をしていて「ああ、こういうのが今の世間の潮流なのかな」と感じられる場面がよくあるのだ。

そしてそんな場面は、大体コミュ障にとって朗報なのである。

ここ何年か、仕事をしていてしばしば問われるのは「お前は何がしたいのか」ということだ。すべての仕事、ひとつひとつの作業に対してすら、源流となる意志を確認することがある。

小さな会社にいれば、別段肩書きのない一社員だろうと、社長と日常的に話し合う。web業界の社長なんてたいてい若いから、さほど目線も変わらない。とはいえ社長って威圧感があったりするのだが、向かい合って議論するときに絶対的に必要となるのが「自分は何をしたいのか」なのだ。

人によってはそれが非常に難しい気がする。そんな明確に人生においてやりたいことが見えている人は、たぶん割合的に少ない。でも私は、これってコミュ障の見せ場だと思うのだ。

自分が在籍する企業において「どうあるべきか」「何をすべきか」ももちろん重要ではある。だが、そこから考えてしまうと恐らく「自分が何をしたいか」は揺らぐ。「世間において優秀であるためにはこうあるべき」なんて視点もあるだろう。

世の中にはうんざりするほど「あるべき」が溢れている。円滑なコミュニケーションをはかろうとする人は、そんなしがらみから逃れられなそうである。

でもきっと今の時代、もうそんな「あるべき」は気にしなくていいのではないか。webとかITとか言われる世界で働いているとつくづくそう感じる。自分がやりたいことを見据えて、時に協調を失ってもそこに進もうとする意志のある人のほうが生きやすいのだ。

言うなれば自己中。空気を読めないくらいでちょうど良さそうである。大丈夫、あなたの発言が場を凍りつかせたとしても、あなたがそれが正しいと思ったのなら、最後は発言したことが正義になる。そう、時代がコミュ障に寄り添ってきたのだーーと私は考えた。

言わないでやり過ごすほうが楽なことも当然あると思う。でも私はある時期から、多少の勇気を出して、自分の感じたことをありのまま表に出す道を選んだ。まあまあ本音のほうが、相手にも伝わりやすい。伝わる内容は、そこまで全否定されることもない。

そのころ新規事業のようなものを担当していたのだが、2人くらいですべてをやらなければならない状況だったので、最も不得手な営業も自分でやることになった。これは本当にしんどかった。初対面の相手に、儲かるかわからない話に乗ってもらわなければいけない。軽妙な話術というスキルもなければ、相手の顔色を読むのも大体ニガテだ。

もうできることといえば、なんとか自分なりの本音で話すことくらい。「ここは自信がない」「でもこんな未来を描いている」そんなことを拙いながらに喋ってまわった。でもそれが意外とうまくいって、まあまあ話を聞いてもらえたのだ。小さいながら、その成功体験は背中を押してくれるものだった。思ったとおりに言うのは、意外と「大丈夫」だ。



ゴールはどっちだ?


多少の開き直りは必要だったが、なんとなく上記のような感覚を得るに至ってから、私は頭に浮かんだことを脊髄反射くらいの勢いで口にすることが増えた(いやもちろん、多少なり脳内で推敲するが)。

仕事はチャットのコミュニケーションが多かったりするので、より気軽なのも手伝って、違うと思うこと、やってみたいこと、仕事とまったく関係ない喜怒哀楽、とりあえず投げる(対面はそれでも緊張がなくならないのが本音だが)。「は? 何言ってんの」みたいなレスもあれば、スルーされることもある。あとから「あ、間違えたな」とか「言う必要なかったな」とどんよりする場合も正直ある。

でもその瞬間において自分としては正しかったのだ。空気読むより言っておきたかったのだ。いちいち後悔するのはやめた。

それなりにコミュニケーションにおいて小さなつまずきはしょっちゅうあるわけだが、別にその程度で失うものは仕事をする上でたいしてない。どうしても毎日誰かと一緒にランチに行きたいとか言う場合は別だが。

ひとつ大事だなと思うのは、「ゴールはどっちだ」の感覚かもしれない。

結局は同じゴールを目指している者同士であれば、目の前の些末な人間関係を犠牲にしたとしても、互いの正義を貫いて結果的に損はしないはずである。同じサービスの売上を伸ばしたい同士だったら、相手の部署が必死にやっている施策を否定することになっても、より効果が見込めそうな案を主張すべきだ。無駄に何かを慮ったりしても共倒れて余計ガックリするだけだ。

というか、そこを分かり合えない相手との数年先に意味を持つかも不明な人間関係を頑張って維持する必要がない。

ここまで来るともう、スキルとしての「コミュ力」なんてこの世に不要なのではないかと思えてくる。コミュニケーションというのは個と個がしっかり存在した上で、その間に結果として生まれるものではないか。「それを積極的に繋ぐのが巧い」に価値を持たせるのは本末転倒な気がする。

合わない相手とは一生合わなくていいし、合わない相手とだって利害は一致するかもしれない。知らぬ間に周りのコミュニケーションを破壊していて、それゆえに"コミュ障"と称されたとて、それは私の生き方でしかないのだ。1ミリだって傷つく必要はないなと思う。コミュ障なりに耐性を身につけて、いつの間にかそれくらい私のメンタルは逞しくなっていた。

(続く)

記事:高橋弓子(Webディレクター)

この連載のバックナンバー
★コミュ障を受け入れ自分を客観視するところからすべては始まるーダウナー系非コミュ女子の明るい仕事計画vol.1ー
★一点突破のオタク熱を攻めの仕事につなげたいーダウナー系非コミュ女子の明るい仕事計画vol.2ー

連載もの: 2017年09月15日更新

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