一点突破のオタク熱を攻めの仕事につなげたいーダウナー系非コミュ女子の明るい仕事計画vol.2ー

前回も書いたように私はコミュ障だ。

その前提のもとで言ってみるが、「コミュ障≒オタク」だと思う。オタクが先か、コミュ障が先かは分からない。だが、まあまあの確率でコミュ障はオタクな気がするし、大体の人は同意してくれるだろう。

つまり私は、オタクだ。

堅い殻に守られた土俵の中心で特に叫ばない


wikipediaを見るにオタクの一般定義はいまだ未確定らしいが、大体の場合、好きなものには強烈に熱中するが他のことには関心が薄い、みたいな話のはずだ。何かしら世界が限定されていて、その中と外を隔てるのは王蟲の殻みたいな堅固な壁。内側にいると深い安心感に包まれて、両手足を充分に伸ばしていられる。そういった人種。

前回書いた話だが、飛び抜けて成功しているコミュ障は相手を自分の土俵に乗せるのが巧いと思う。その「土俵」こそ、オタクが自分の安住の地と思える分野を意味するのではないだろうか。その土俵は世界の中心でアイを叫ぶ社会現象アニメかもしれないし、恐ろしく原価率の低いチェキを瞬間的な笑顔とともにツーショットで撮って買わせてくれる地下アイドルかもしれないし、もしくは長年応援し続けているスポーツチームの場合もあろう。

筆者のまわりにはモータースポーツへの造詣が極端に深いタイプの方が多い。もちろん幕末ネタについてなら寝食を忘れて3日くらい喋り倒せる系の方もいらっしゃれば、元素記号図鑑でご飯3杯食べられますなんてケースも考えられる。

まあ、対象は何でもアリだ。それが大量の時間を費やしてくれるものであれば。人生に時間はそこそこある。キラキラした人種の皆様は、人とコミュニケーションを取ることでその時間を潰すのであろう。

コミュ障にそれは期待できない。だから何かに極端に打ち込むのだ。たとえば週末にライブがあるなら、平日というのはそこに向かってひたすら稼ぐためだけに存在している。ボロボロにくたびれるまで仕事をして、ひとりぼっちの家に帰ってコンビニの惣菜をついばむだけの日々だろうと、全ては週末に向かっている。何ひとつ虚しくない。同僚と飲み屋に行って延々上司の愚痴を聞かされる時間があるなら、DVDでも観て予習しておきたいのだ。誘わないでくれ。

「夢中になれる力」と「コミュニケーション力」はトレードオフなのか?


オタクというのは自力で一定水準まで満たされることができるから素晴らしい。ない私財を投じることでも対象にたぶん多少の貢献はできるし、何かしら物理的に得ることもできる。自由になる持てる限りの時間を注ぎ込めば、自分は他者よりもそれに近い、詳しいという自己満足を得られる。

世の中一般のコミュニケーションは相手ありきだからこうは行かない。相手に対する期待は裏切られるかもしれない。いや、もちろんアイドルだろうがバンドマンだろうが裏切るときは鮮やかに裏切るんだけれども。それでもオタクは自己完結力が高い生き物なので、コミュニケーションアレルギーとは親和性が高く、オタク深まればコミュ力は自然と失われるのが摂理だ。

いや、別にオタクを語りたいわけではなく、オタクというのはひとつの素養だと言いたいのである。物事を突き詰める能力だ。その分野において人より知識を有することに快感をおぼえる性質だ。コミュ障もオタク的に何かを追求していくと、その範囲においては次第に雄弁になっていくと思う。単純にそれは自信が持てるからである。

そりゃあ人生のほとんどを一つ事に傾けて過ごしていれば、その点に関しては寝てても正解が言えるようになるだろう。語れるからといってコミュニケーションが上達するわけではないので、そこは注意が必要だが。まあ、大概は膨大な情報量を詰め込んだトークを至極一方的に相手に向かってぶっ放すことになる。それで楽しいからいい。そして恐らくそんなときのオタクは周りにも活き活きして見える。

だから、コミュ力が溢れ出るような、人に不快感を一切与えない笑顔と頷きでもって、非常にソツなく仕事をこなしている既婚の彼女は言うのだ。「夢中になれるものがあって羨ましい」と。一見イヤミにも聞こえかねないこのセリフ。意外と本気らしい。そうだろうと思う。人付き合いのための人付き合いは何せ時間をくう。コミュ力があると何かに夢中になる暇もないだろう。こちらはイヤミだ。コミュ障はひねくれているのだから仕方ない。



「自分は○○オタク」と言えるようになったコミュ障は強い。相変わらず相手が投げた会話のボールを明後日の方向に打ち返すかもしれないが、こと自分の土俵に入ったら、どこまでも深く、どこまでも自信を持って話せる。極端な一方通行であっても、相手の心に染み入るまで語れるかもしれない。たとえばそれが仕事に関わる分野だったら。そういうスタンスこそ尊敬と信頼を集めうると思う。

私自身は、そもそも出身が世間で言う「バンギャル」だった。ヴィジュアル系のバンドをわりと必死で追いかけるアレである。オタクの中では比較的メジャーなカテゴリだと思う。

バンギャルはとにかく調べる。誕生日・身長・家族構成・雑誌でひとこと触れただけの「好きなタイプの芸能人」あたりは訊かれれば反射神経で答えられる。お気に入りのバンドマンのことなら何でも知りたいのだ。オフィシャルじゃない情報はもっと知りたい。画像ならなんでもほしい。SNSでの発言は全て把握している。ここで磨かれる探求力はなかなかのものだった。端的に言えば、Googleでワードを組み合わせてネットの深海に埋もれている情報を検索するようなスキルが上がる。

で、私の場合。その探求力をわりと仕事に応用してきたように思う。

例えば…詳細は割愛するが、とあるタイミングで仕事のテーマが「お寺」になった。お坊さんと話をする必要が生まれた。そこでまずは、それなりに信用してもらえる程度に会話ができるようになろうと仏教の書籍を買い集めて読んだ。業界誌にも手を出した。流行りの寺カフェ、坊主バーに足を運んで御朱印を集め、宗派ごとの違いを学び、坐禅にチャレンジし、仏像彫刻のワークショップにも参加した。袈裟を見て宗派がピンと来るくらいにはなったし、お坊さんとお話する上でなんとなく弁えておきたいマナーは察せると思う。最初は仕事ありきだったのだが、調べ物を始めるとついついオタク気質を発揮してしまい、人が知らなそうな情報を探し求め、仏教に夢中になっていた(実際、仏教は面白いのだ)。

まあ表面的には、そこまでする必要があったかは分からない。だが、何か基準をもって比較したわけではないが、そのとき少なくとも会社では誰より私が仏教にのめりこんでいただろう。話し出すと止まらない。相手が社長であろうと、仏教に対する熱量は自分の方が上と思っていたので大体のことを自信を持って言い切れたし、何か尋ねられても迷わず答えられた。相手が知らない情報を持ち出せば説得力は5割増しだ。「詳しい(と感じさせる)」ことは正義だ。結構いろんな話がサクサク通った。

上手な受身が不得手なコミュ障は、オフェンスに特化したほうが生きていけると実感した。これは特殊な例だとは思うが、大抵仕事をしていてどこか一部くらい、オタク性を発揮できる場はあるのではないか。スプレッドシートにめちゃくちゃ萌える、とかも全然アリだと思う。

非リア充を誇ってガンガン発信すると"引力"発生するかも


オタクなコミュ障のあなたは、あとはガンガン「発信」するともっといいかもしれない。別にSNSからで構わない。これはよく言われることだが、「アウトプットすることが、さらなる情報を引き寄せてくれる」。自分はこの分野に興味がある。詳しい。こんな話を知っていますか。と、日常的に発信し続けていると、自然に「こんな人がいますよ」「こんな話は知っていますか」と言われるようになるのだ。オタクの引力はバカにならない。

実際私はSNSで随分と仏教に関心があることを事あるごとに表現していた。すると周りにその様子をどう認定されていたかは分からないが、「仏教にまつわるこんなサービスがあったよ」とか、「こんなお寺があるよ」と紹介してもらうことが増えた。仏教に関連したイベントに誘われるようになり、ますます密度が濃くなっていった。縁がどんどん繋がっていく不思議な感覚。それがまた仕事に還元されていく。

SNSで繋がっているけれど会うのは久しぶりという相手に「最近すっかり○○狂いだよね」なんて言われれば、もういっぱしである。その土俵なら、あなたは堂々と闘えるはずだ。やたらオシャレだけど味は普通なカフェだったり、海外の海だかプールだか分からない場所で目線を逸して自撮りした写真を上げているよりよっぽど意味がある。

ただリア充をディスったみたいになってしまったが、オタクの、もといコミュ障の価値のひとつは、外部とのコミュニケーションにリソースを割かないことで生まれる一点突破の熱量のような気がしている。

(続く)

記事:高橋弓子(Webディレクター)

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★コミュ障を受け入れ自分を客観視するところからすべては始まるーダウナー系非コミュ女子の明るい仕事計画vol.1ー
読みもの&連載もの:2017年08月08日

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