今日のGoogleロゴの人・石岡瑛子の「私」をつらぬく働き方ー徒然WORK NEWS 文月の巻ー

(「シゴトゴト」編集長カワジリが、仕事・働き方に関するニュースや思うことなど、思いつくまま気ままに書いていきます)

7月12日。今日はなんの日? デザイナー・石岡瑛子さんの誕生日だ。で、彼女の生誕79年を記念して、上の写真のように世界各国のgoogleロゴが「石岡瑛子バージョン」となっていた。

今日が終わるまでまだ4時間くらいあるので、間に合う人はちょっと見てみよう。彼女が衣装デザインを手がけた映画「落下の王国」をモチーフにしているようだ。

でも、ちょっと待って。石岡瑛子と言われて、この記事を読んでいる多くの人は「知らない。だれ?」ってなってるかも。なのでちょっと解説します。

Google先生もリスペクトの石岡瑛子さんってだれ?


石岡さんは世界のデザイン界のスーパースター。最初は資生堂に入社し、1967年にはまだ無名だった前田美波里さんをサマーキャンペーンのポスターに起用して、そのあまりに力強く、ぶっ飛んで新しい女性の描き方で、一大センセーションを巻き起こす。街に貼ったポスターはパクられまくったそうな。

1970年代。フリーになった後も当時流行の最先端だったパルコのキャンペーンを次々にブレイクさせ、メディアから引っ張りだこの人気者になった。その頃はちょうどウーマンリブの時代。日本でも「働く女性はカッコいい」という空気が生まれ始め、彼女はその代表格の一人としてもてはやされた。

ところが石岡さんは、1980年代初頭にいきなりプイッとニューヨークに行ってしまう。それほどのコネもない状態で。「日本みたいなこんなユルい国でいい仕事なんてできないわ」というのがその主な理由だった。

そしてNYで大学に入り直して英語を特訓。そのときすでに日本でのキャリアが20年くらいあったわけだから、これは彼女にしても大きな決意だったろう。

しかし、「すべてをパーフェクトにやらなきゃ!」というキャラだったので、向こうでの活動にもガチ&ガチに取り組み、多くの巨匠監督やビッグなミュージシャンたちにその仕事ぶりを気に入られ、カンヌ映画祭の賞やグラミー賞、アカデミー賞など受賞している。

日本ではポスターやパッケージ、ロゴなどいわゆるグラフィックデザインの仕事が多かった石岡さんだが、アメリカでは"キャリア・チェンジ"も成功させ、この頃から映画や舞台の衣装、セットデザインの仕事がメインになっていく。みずから映像も手がけることもあり、ビョークのPVなども演出している。

仕事を通じて「私」を突き詰めた


私が石岡さんに初めて出会ったのは、2008年の北京。石岡さんは北京五輪の開会式の衣装デザイナーだったので、本番1ヶ月くらい前のタイミングで会いに行ったのである。ちょうど今くらいの暑い時期。もちろんインタビューするためだ。

噂では「とっても厳しいお方」と聞いていたので、会う前はちょっとビビっていた。でも、お話するとすぐにとっても優しい人だとわかった。初対面の人にも言うことがストレートで嘘がない感じ。世間の噂やメディアが作り上げるイメージと現物が「全然違う!」ケースがいかに多いか? というのは、この仕事をしていてしょっちゅう思うことだが、このときもそうだった。

それはともかく、そのときすでに私の中で"レジェンド"となっていた「生・石岡瑛子」は、何時間でもしゃべり続ける超パワフルな女性でもあった。そして噂通りとっても厳しい、仕事には。それと、仕事というものに中途半端な気持ちで取り組む人たちにも。

いま思い出しても、石岡さんの仕事や仕事への向き合い方には、学ばされるものが多い。つまり自分の頭の中にある「いいもの」をどこまで形にできるか? どこまで限界までやりきれるか? 

それはデザイナーやクリエイターと呼ばれる人たちだけでなく、あらゆる仕事に関わってくることでもある。

彼女は創作物の煌びやかなイメージや、良くも悪くも「我が道を邁進してしまう性格」などから、孤高のアーティスト的に語られることが多い。でも実は他人との共同作業や仕事のプロセスをとても大事にしていた人でもある。アーティストと呼ばれることを嫌い、自分はあくまでデザイナー、つまり"職人"を自負していた。

それと同時に、人に言われるがままの仕事は決してせず、「私」というものが何者なのか? を仕事を通じて突き詰めようとしていた。

内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”とは?


世間にはよく「私らしく」「自分らしく」働きたい! みたいなことを言う人がいる。なかなか耳障りの良い言葉で、私も記事タイトルなどに用いることもある。

しかし石岡瑛子的に言うと、そんないかにもそれっぽい「らしさ」なんてものは大嘘で、ちっとも「私」ではない。あまりにもふんわりしすぎている。

石岡さんは流行りの「ソーシャル」や「つながり」についても疑問を持っていた。確固とした「私」さえ持てない人が、結局だれと心からつながり合うことができるのだろう? というわけだ。

急速なデジタル化が我々の仕事にもたらす影響についても、早い時期から鋭い考察を行っていた。例えば、2005年に出版された『私デザイン』という著作の序文には、次のようなくだりがある。

「デジタル化はエンターテイメントの世界に影響を与え、文化、ライフスタイル、そしてもちろんアートやデザインの領域をも根底から変えていって、その速度は止まることを知らない。(中略)

このような時代をサヴァイヴしていくために最も大切なことは、内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”を培うことかもしれない。

宙を舞う塵の数ほどもある情報も、使いようによっては確かにこの混沌とした世界をサーフィンしていくための武器になるかもしれないが、情報収集のパッチワークのような考え方や表現を世に向かって提示してみても、結局は人の心をつかむことはできない」(石岡瑛子著『私デザイン』より)


いまこそ重い言葉だと思う。世界の偉人たちの記念日をそれとなく紹介していくGoogleのロゴが今日なぜ石岡瑛子をピックアップしたのか? それも情報取集のパッチワークのカタマリみたいなシステムが…。その点、私はわからないが、「内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”」は、時をへても滅びないということかもしれない。

"フリーの極致"のような働き方


石岡さんが創作(仕事)に際して、みずからに課していたハードルが3つある。

1.Timeless
2.Original
3.Revolutionary


いつの時代でも通じる仕事。その人にしかできない仕事。本当の意味で新しい仕事。この3条件をクリアすることは大変難しい。でも、世の中には挑戦しようとする人もいる。

私が石岡さんに最後に出会ったのは、2011年のNY。6月。大地震の後で日本はまだ騒然としていた頃。そのときもインタビューで訪れた。いろんな話が聞けた。彼女がどういう思いでいまの仕事をしているのか尋ねてみたところ、こう語ってくれた。

「日本でグラフィックデザインといわれる分野の仕事をしながらも、私はしょっちゅう疑問を持っていたわけですね。芸大で基礎を勉強していたときは、目の前にいろんな可能性が無限に広がっていたわけだけど、食べていかなきゃいけないという前提のもとに、ほぼ全員が企業に就職するわけでしょう? そうするとほとんどが広告の仕事になってしまう。

でも、私が考える広告はみんなの考える広告とちょっと違って、もっと世の中をガッと撹拌できるような仕事がデザイナーでもできるんじゃないかな? っていう野心が湧き上がってきたのね」

野心、本気、勝負--近頃では敬遠されることも多い、そんな言葉を石岡さんはよく口にした。「ユルくていい」「ラクしたい」「努力とかムダ」みたいな発想がとにかく嫌いで、いい仕事をするためには自分を鍛えて、鍛えて、鍛え抜くしかないと言う。

これは何も体育会系の根性主義を礼賛しているわけではなく、それくらいの厳しさがないと「自由」を手にすることはできないという考え方である。なにより石岡さんは大企業などの組織のしがらみも嫌っていた。

それと同時にこんなことも言う。

「自分の成し遂げたい表現をやるんだけども、自分の考え方をごり押しする方向じゃなくて、やっぱりほかの人たちも巻きこむ。フレキシブルにしなきゃならないところはフレキシブルにする。そうしないと、大きなシステムの中で、最後に自分がウィナーになることはできないですよ」

なんだか"フリーの極致"のような働き方である。

日本はそろそろ石岡瑛子を思い出したほうがいい


その日も4時間にわたってパワフルな話を聞いたが、石岡さんはすでに病魔に冒されていた。そして約半年後の2012年1月21日に亡くなった。

訃報に接して、NY Timesのウェブサイトを見ると、彼女の仕事の軌跡をたくさんの写真付きで詳しく紹介する追悼記事が出ていたが、日本のほとんどのメディアは小さく取り上げるかシカトだった。

私は当時、ある美術大学で講義を持っていたので、デザイン科の学生メインの教室で「石岡瑛子さんというデザイナーを知っていますか?」と聞いてみたのだが、約80人のクラスで手を挙げたのは2人。

後半生の活動がアメリカだったので、これは致し方ない面もあるが、紫綬褒章さえ受けている日本を代表するクリエイターへのリスペクトが"それっぽっち"なのは不思議な気もした。

たった3〜4年ばかりの短い交流に過ぎなかったが、どこまでも率直でストレートな彼女と話すたび、自分の仕事への活力ももらっていた私は、ご遺族のご了承のもと石岡さんの伝記を書くことにした。

それがウェブ連載『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』(http://eiko-timeless.com/)である。

もちろん、本人はこの世にもういない。なので写真家や映像作家や編集者、そしてほかのクリエイターたちーー仕事を通じて彼女とアツいものづくりを体験した人々へのインタビューから、いろんな石岡瑛子像を浮かび上がらせる。チャーミングなところも、恐ろしいところも。

このインタビューでは、どの人も「石岡瑛子」を語りながら「自分」をも語ることになる。そのあわいにある人間同士の"ぶつかり"が面白い。1960年代から2010年代までを必ずしも時系列ではなくランダムに追い、一人の主人公を通して「時代と表現」の関わり方の変化をドキュメントする狙いもある。その向こうに人間にとっての「時間」というものの不思議さを描いてみたいのだ。

だが、この仕事において"お手合わせ"する相手は石岡瑛子とその仕事(石岡さんは"お手合わせ"という言葉を好んだ)。着手してすでに3年目に突入したが、まだ3章までしか進んでない。最終的には7章構成になる予定なのだが。

しかし、それもまた致し方ないこと。こんなの1〜2年で書けたらヘンだ。私が抱える様々な仕事のあいまの"私ゴト"として、ジワジワと書き進めている。

まずはネットで公開下書きをして(無料)、完成したらそれを劇的に再構成して書籍にしたい(有料)。

今日はGoogleロゴも出て良いタイミング。石岡瑛子を知らない人にも、「そんな日本人いたんだ!」ということを知ってほしくてこの記事を書いた。

「ここまで激しく仕事に打ち込んだ人もいるのか!」ということで、興味をお持ちの方はご一読を。時間とか場所とかあえてMIXさせるコラージュの手法で書いてるので、どこから読んでも大丈夫。

そんじょそこらの「自己啓発」とか「自分らしく」みたいなステレオタイプを吹っ飛ばす、型破りな"私働き方"の話として読むこともできるか? と思います。

記事:河尻亨一(銀河ライター・東北芸工大客員教授)

当連載のバックナンバー
1:どんだけフリーダムに働いてたんだよ? 昔昔昔の日本人て
2:イマドキの"働きマン"はカメレオン? 星野源『働く男』を読んだ
3:1000人くらいの仕事でスゴい人たちにインタビューしてわかったこと
4:仕事の電話はいまだ得意ではない
5:求ム!思いきり失敗できて愚か者であり続けられる才能を:ワイデン+ケネディトウキョウ

プロフィール

河尻亨一(かわじり・こういち)
銀河ライター/東北芸工大客員教授。1974年生まれ。雑誌「広告批評」在籍中に、多くのクリエイター、企業のキーパーソンにインタビューを行う。現在は実験型の編集レーベル「銀河ライター」を主宰し、取材・執筆からイベントのファシリテーション、企業コンテンツの企画制作なども。仕事旅行社ではキュレーターを務める。アカデミー賞、グラミー賞なども受賞した伝説のデザイナー石岡瑛子の伝記「TIMELESSー石岡瑛子とその時代」ウェブ連載を2年のときをへて再開。
読みもの&連載もの:2017年07月12日

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