ロンドン名物2階建てバスで会社からの北ロンドンにある自宅へ帰宅途中のことです。車内が騒然としてきたことに気付いた私は手持ちのスマホから目線を上げ、イヤホンを外します。車窓からはいつもとは違う景色が広がりました。
バスは正規の運行ルートとは違う迂回(diversion)ルートに入ったようです。ロンドンのバスは故障、事故、事件、道路工事などで道路が封鎖されると、いつもと違う迂回ルートを頻繁に走り出します。いつもと違う街並みを眺めると新しい発見があるのですが、迂回ルートが自分の停留所を飛ばすのではないかと不安になる乗客は運転手の車内アナウンスを待ちます。
「皆様、案内を申し上げます。ルートを間違えました。しばらくしたら正規のルートに戻りますから」
迂回ルートではありません、単なる運転手の間違いです。ホッとした空気と共に微かな笑い声が漏れます。
ロンドンでは交通費が安い(給料に交通費は含まれません)という理由でバス通勤をしていました。北ロンドンからテムズ川南岸にある勤務先に通勤する1時間程の通勤時間を計算して早朝からバスに乗り込みます。朝の太陽が反射するテムズ川をロンドン橋で越えるあたりで会社モードに入ります。帰りは北ロンドンの緑豊かな公園の間を抜けていくときに窓から入ってくる緑の香りでリラックスしていました。
地下鉄とは違うバスのルートは市内の様々な場所を走り、その公共交通空間ではリアルなロンドン市民の生活を感じることが出来ました。走る地域によって肌の色が違い、車内の雰囲気も微妙に違ってきます。
車椅子やベビーカーを停めるエリアが1階の後部ドア近くに大きく確保してありました。車椅子ユーザーは一人で後部ドアから勢いをつけて飛び乗り、ベビーカーと共に乗降する母親には誰かが手を貸す。介助犬ではない普通の犬もご主人と一緒に乗車可能です。混雑時に尻尾を踏んだことがありましたが、噛まれたり、吠えられることもありませんでした。犬も公共交通空間での振る舞いをわかっていたのかもしれません。
バスの二階にも犬は上がっています。通常、犬は床に静かに座っています。写真は犬を座席に座らせていた時のものですが、この後、さすがに運転手に注意されていました。
人間臭いバス運転手たちに気付かされた、いろんな働き方と人間力
バス運転手には、世界中から人が集まる都市ロンドンで安全な運行だけでなく、多様な乗客を受け入れるための人間力のようなものがあったように感じました。態度の悪い乗客に対して、個人的なストを敢行する運転手を拙著(『イギリス人の、割り切ってシンプルな働き方− “短く働く”のに、“なぜか成果を出せる”人たち−』)では紹介しましたが、バス運転手を通していろんな働き方があることを気付かされました。
捨て台詞と共に下車した態度の悪い若者たちに対して、わざわざドアを開けて言い返す。若者たちは走ってバスを追っかけるのだが、バスに追いつく訳がない。乗客はそのプチカーチェイスに付き合わされる。手すりをつかむ手にも力が入る。
バス2階の後部座席で騒ぐ若者が、車内でタバコを吸っているのを監視カメラで確認するとわざわざ上がって来て注意します。
連続爆破テロがあった頃には運転手が放置してある荷物に気付き、乗客に声を掛ける。車内に一瞬緊張が走り、上の階から、持ち主が声を上げる。運行の安全はもとより、乗客の身の安全を守るのも彼らの重要な仕事です。
一方、ゆるい感じの運転手もいました。現金を支払って乗車していた頃はお釣りがないと「じゃあ、いいよ」と黙って促すように首を振り、タダで乗車させてくれたり。
かと思えば酔っぱらっているのではないかと思うぐらい陽気な運転手もいました。彼の歌声がマイクを通して車内に響く。当時、仕事で悩んでいた私は、仕事を楽しむべき、と彼の声に癒され笑ったものです。
文句をいい、怒り、怯え、悩み、陽気に歌う。バス運転手に人間臭さが感じられました。彼らも私たちと同じ目線のロンドン市民です。過度に抑圧的ではなく、過敏にへりくだっているわけでもありません。
ロンドン名物である二階建てバスは、ロンドン市民の息遣いが聞こえてくるリアルな場所です。
もし、ロンドンで生活、もしくは訪れる機会があったら、ハイヤーなどに乗らずバスを乗り継いでみるとよいでしょう。スマホ画面から目線を上げ、イヤホンを外せば、毎回、文化人類学の講義に匹敵する出来事に出逢えるはず。そして、人間臭いバス運転手がそれとどのように向き合っているのか、そこから働き方を発見できるはずです。
私が乗り合わせた間違いルートを走るバスは、みんなを不安にさせつつも正しいルートに戻りました。その瞬間、乗客からの暖かい拍手が車内を包み込んだのです。人間味溢れる運転手には人間味溢れる乗客との暖かい関係があります。
文・写真:山嵜一也
(当連載のバックナンバー)
「イギリス人の割り切った働き方」vol.1ー勢いだけで日本を飛び出した私がロンドンで経験したこと
執筆者プロフィール
山嵜一也(やまざき・かずや)
山嵜一也建築設計事務所代表。1974年東京都生まれ。芝浦工業大学大学院建設工学修士課程修了。2001年単身渡英。観光ビザで500社以上の就職活動をし、ロンドンを拠点に活動開始。2003〜2012年に勤務したアライズ・アンド・モリソン・アーキテクツでは、ロンドン五輪招致マスタープラン模型、レガシーマスタープラン、グリニッジ公園馬術競技場の現場監理などに携わる。2013年1月帰国。東京に山嵜一也建築設計事務所設立。第243回王立アカデミー・サマーエキシビション入選、イタリアベネトン店舗コンペ入選、大阪五輪2008招致活動で戎橋筋にオブジェ展示(DDA賞)など受賞多数。女子美術大学非常勤講。2016年『イギリス人の、割り切ってシンプルな働き方− “短く働く”のに、“なぜか成果を出せる”人たち−』を上梓。
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