浅生鴨の「働かない働き方」最終回ーいいか。職はお前らが選ぶものじゃないってことを知っておけ。職がお前らを選ぶのだー

 長年にわたって職を転々としながら、俺はいわゆるブラック的な働き方ばかりをしてきたし、今ではできるだけ働きたくないと思っているので「働くことについての連載なんて無理です、無理無理。俺には無理ですよ」と断ったはずなのに「なるほど。それでは働きたくないことについての原稿を」と言われて気づけばなぜか始まっていたこの連載ももう6回目だ。何だかいい調子じゃないか。毎回、勢いだけで書いているから読むお前らは大変かも知れないが、書いている俺のほうはそれほど大変でもないのだよ。毎回、締め切りに大胆なくらいに遅れている俺が言うのもアレだが、こんな感じでいいのなら、ずっと続けられそうだぞ、わははははは。と、高笑いしたところで、どうやら今回で終わり、これが最終回らしい。おいちょっと待て。終わりってことは、何やら終わりっぽいそれらしいことを言わなきゃならんだろう。できるのか俺。どうする俺。どんなものごとでも、始めるのは簡単だが終わらせるのはよほど難しいってのは、お前らの周りにあふれているバカなプロジェクトや、国や役所がうっかり始めてしまったあれやこれやの取り組みを見ればわかるだろう。



「仕事しすぎじゃないですか?」と言われた俺は「仕事などしていない」と即答した


 ともかく、なんとか最終回にふさわしいことをなんとか捻り出してみることにするが、捻ったからといって出てくるとは限らないんだなこれが。だははははは。金を払わなくても水道はなかなか止まらないってことは、この連載の第一回に書いたが、それでもやっぱりずっと払っていなけりゃ止まるときには止まるわけでな、そうなるとあとは公園の水飲み場なんかに行くほかなくなるんだが、あ、ぜんぜん関係ない話だなこれ。要するに捻っても何かが出てくるとは限らんのだよ。えーっと、こういう無駄な前置きが長々と続いてしまうのはよくないんだが、なぜかそうなってしまう俺がいる。そしてお前らがいる。そう、この原稿は俺とお前らのコラボレーションなのだ。いま適当に考えただけだけどな。まあ、お前らは変なおみくじでも引いてしまったと思って諦めることだ。

 さて、もう何度も書いているので飽きているかも知れないし、またかという気になるかも知れないが、それでも俺はチャレンジャーなのでもう一度書いておくぞ。最終回だしな。働かない働き方とはとてもシンプルなものだ。それは、自分が楽しむ働き方、自分のために働く働き方だ。だからこそ、他人の評価など気にせず、競争を避け、スケジュールを空け、できるだけ他人に時間を渡さないようにするのだ。自分が楽しいと思うことをやるか、今やっていることを楽しむのだ。向き不向きは別として、それが本当に嫌いなことでなければ、きっと楽しむ方法は見つけられるのだ。

 もちろん何でもかんでもそんなにうまくいくはずがないって事は俺だって知っている。流されるままに職を転々と変え、ときにはブラックの極みのような働き方もしてきたのだから、目の前に横たわる仕事が、いつも楽しめるものばかりじゃないって事もよくわかっている。でも、だからこそ俺は、働くなと言いたいのだ。

 よく「とても忙しそうですね」と言われる。先日も、とあるテレビ番組の撮影現場でそう言われた。うむ。確かに忙しい。ものすごく忙しい。忙しすぎて物事が何もわからなくなるほど忙しい日もある。だが「仕事しすぎじゃないですか?」と言われた俺は「仕事などしていない」と即答した。いいか。俺は今ほとんど働いていない。基本的に好きなことしかやっていないから、これを仕事だとは思っていないのだ。人生をかけて壮大に遊んでいるだけだ。大人になってから、大規模なごっこ遊びを続けているだけなのだ。これができるようになると、楽しいぞ。わははははは。だから、お前らも思い切り遊ぶといい。



お前らは職とは何かを考えたことがあるか?


 就職についての情報満載のこのサイトの連載でこういうことを書くのもどうかと思うんだが、どうも俺は就職活動ってのが不思議でしようがないのだ。第1回にも書いたが、どうしてお前らは働きたいのか。なぜわざわざ仕事をしようとするのか。いや、その前に就職っていったい何なんだってことさえ考えてしまう。どうだ。お前らは職とは何かを考えたことがあるか。

 お前らの話を聞くと、どうもお前らは職に就こうとしていないんじゃないか。単にどこかの会社に入ろうとしているんじゃないか。そんな気がするのだよ俺は。だが、それは本当に就職なのか。職に就くといえるのか。チッチッチッ。ちがうんだよ。あのな、どこかの会社に所属することを就職だと思っていたらそれは大間違い、イッツアビッグミステークだ。いいか、就職というのはな、就社じゃないんだ。職ってのはな、役目なんだよ。役割なんだよ。係なんだよ。お前らがその時々にやるべきこと。それが職だ。
 
 俺はまったく責任を取るつもりがないから、本当に適当なことを言うが、もしも今やっている仕事を辞めたい、変えたいと思っているのなら、まず辞めてみるのがいい。次のことなんて考えなくていい。貯金のことなんて考えなくていい。未来のことなんて考えなくていい。たいていの場合、なんとかなるから。そう。お前らに足りないのは「なんとかなる」という楽観的な態度だ。もちろん俺にも何ともならずにのたうち回った時期がある。どうして俺には運がないのか、どうして何をやっても上手くいかないのか、もっといえば、どうして何かを始めるための土俵にすら立てないのかと地団駄を踏んだ時期もある。特に無職になったばかりのころは辛かった。職とは役割だと言ったが、役割がないってのは本当に辛いものだ。いや、辛いというよりも寂しいんだな。何せ、お前は要らないと言われているわけだからさ。で、俺はふと気づいたわけだ。いや待てよ、俺はこれでもいいんじゃないかと。結局俺は、他人から認めてもらおうとしていたんじゃないかと。そう思った途端、いろいろなことが楽になったわけだ。それまでの俺が考えていた「なんとかなる」は「俺もきっと、あいつらのようになれる」とか「みんなから認めてもらえる」だったわけだ。そして俺はそれを捨てた。生きていること自体を楽しむことにしたのだ。これにはまあ深い事情があって、それを書き出すとかなり長くなるので、ざっくりと簡単に書いておくが、俺はかつて交通事故で本当に命を落としかけたのだ。救命救急で俺を受け入れた医師が、俺が今でもまだ生きていることに驚いたくらいの事故で、それからずいぶん長く病院で暮らし、退院してからもずっと車椅子での生活を続けていた。要するに、まずは生きているだけで充分だなと思ったわけだ。どうだ。ここまで「なんとかなる」の基準を低く設定しておけば、もう何があっても平気だぞ。生きていればそれでいいんだからな。



いよいよこの連載も終わりが近づいてきたので、もう一つだけいいことを教えてやろう


 いやまあ、もちろんお前らに俺と同じ基準になれとは言わない。俺の基準は特殊すぎるからな。だがな、お前らがあれこれ悩んでいるのは、ほとんどは他人と比べて評価されたいだの、他人が持っているものが欲しいだの、結局は他人のことが原因じゃないか。だったらやっぱり基準を自分の中に持つのがいいぞ。お前ら自身が楽しいかどうか、お前ら自身がやりたいかどうか、それだけを基準にすればいいのだ。

 俺が子供のころはまだ自営業の割合が3割くらいはあったし、俺の育った場所は商店が多かったこともあって、周りを見ればあからさまに魚屋の息子だのお好み焼き屋の娘だのがごろごろいた。俺自身、親も祖父母も商売をやっていたわけで、要するに、いろんな大人たちが、俺の目の前でそれぞれまるで違う働き方をしていたわけだ。もっと言えば、街の中には何をどうやって暮らしているのかさっぱりわからないような大人たちさえウロウロしていた。特に会社勤めをするわけでもなく、どこかの店で働いているわけでもなく、たまにどこかから車を借りてきて何やら荷物を運んでみたり、みんなで書類をのぞき込んでソロバンで勘定していたり。いったい何をしていたのかは今でもよくわからないが、それでもなんだか毎日楽しそうに暮らしていたのだ。いやもう本当にうらやましいぞ。俺が働きたくない、毎日ゴロゴロしながら海外ドラマを見たり本を読んだりして、それだけで暮らしたいなんて虫のいいことを願うのは、そういう大人たちを見ていたからかも知れないな。わははははは。

俺がお前らのことをちょっとだけかわいそうだなと思うのは、そういう適当な大人たちをあまり見たことがないってことだ。周りに雑で適当で、でも何だか人生を楽しんでいるお手本がいないわけだからな。「フーテンの寅さん」なんて、日本映画の金字塔だの何だのと言われているが、寅さんが街の中をウロウロしていたら、まあ、今だと不審者扱いされそうだし、残念ながら、今の日本にはそういう大人がウロウロできるだけの余裕がなくなったんだろう。

 だがな、いいか。彼らだって職に就いていたのだ。どんな役割だったのかはわからんが、とにかく街の中で何かしらの役割を担っていたのだ。誰かを喜ばしていたのだ。それが職ってもんだし、そういう生き方だってあるのだ。いつから会社に所属することだけが職に就くことになったのかは知らんが、別に会社に入らなくても職に就くことはできるって事は忘れずにいろよ。まあ、お前らが職に就きたいならだがな。ウロウロするだけでもいいんだぞ。本当はそのほうがいいぞ。わはははは。

 いよいよこの連載も終わりが近づいてきたので、もう一つだけいいことを教えてやろう。いいか。職はお前らが選ぶものじゃないってことを知っておけ。好きなことをやるためには、今やっていることを好きになるには自分から動けと俺は言ったよな。それが好きか嫌いかを決めるのは、他人ではなくお前ら自身だとも言ったはずだ。いやもう、それはその通りなのだ。自分で動かない限り、ものごとは変わらないし、じっと待っていたら向こうから機会がやってくるわけでもないが、だが、だがな、職は向こうがお前らを選ぶのだ。お前らが職を選ぶのではない。職がお前を選ぶのだ。これは長くあれこれ働いているうちにだんだんとわかるものなので、それをお前らに今すぐわかっておけというのもなかなか無理があるとは思うが、本当に不思議なんだよ。俺のように、騙されたり無理やり巻き込まれたりしながら、まったく何も考えず、ただ流されるままに転々と仕事を変えて来た人間でさえ、ある瞬間、それまでやってきたいろいろなことが全部つながるのだ。いやもうこれは本当にびっくりするぞ。俺は人生設計だのキャリアプランだのを考えたこともないし、やってきたことに一貫性もない。それなのになぜか全てがつながっていく。

 だから楽しめ。辛いことに耐えるのが仕事じゃない。働くことは楽しんでいいのだ。そしてそれが本当にお前らにとっての天職なら、やがて自然にお前らのものになる。いつかお前らは、ああ、これが自分の役割なのだと気づくだろう。さんざんっぱら人生を楽しんだ結果、何かの役割を果たし、見知らぬ誰かを喜ばせることができたら、最高じゃないか。



文:浅生鴨
絵:ぼんち

(当連載のバックナンバー)

★浅生鴨の「働かない働き方」vol.1ー仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ

★浅生鴨の「働かない働き方」vol.2ーそれは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる

★浅生鴨の「働かない働き方」vol.3ー子どものころの"ごっこ遊び"の感覚を覚えているのなら、きっと仕事を楽しむことはできるー

★浅生鴨の「働かない働き方」vol.4ーその仕事が自分に向いているか向いていないかは、あまり自分では判断しない方がいいー

★浅生鴨の「働かない働き方」vol.5ースケジュール帳ってのはな、予定が何も書かれていなければいない方がいいのだよー


執筆者プロフィール

浅生鴨(あそう・かも)

1971年神戸市生まれ。早稲田大学除籍。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクターなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。2016年長編小説『アグニオン』を上梓。
読みもの&連載もの:2017年05月20日

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