2017年05月15日更新

能楽師・武田文志さんはなぜひとつの仕事を続けられるのかー田中翼の「あの人の仕事場に行ってみた日記」vol.7ー

生涯雇用の時代は終わったといわれて久しいが、実際世の中の平均転職回数は平均2.8回と案外少ない。

ただ、これは現在の就労人口(60代まで含む)ものであるため、今後増えていく可能性が大きい。自分の周りを見回してみても、一つの会社に一生いるつもりという人は殆んどいないことから、やはり転職は身近なものになりつつあるのではないだろうか。

一方で、ずっと一つの仕事を続けている人は日々どんなことを考えながら働いているんだろう? とも感じる。異業種への転職さえ当たり前になってきている時代だが、人生を賭けてひとつの何かを極めようとする職人的な仕事に関心を持つ人も多いだろう。

そこで今回は、伝統芸能の世界で働く人の話を聞いてみたいと思い、仕事旅行のホストでもある武田文志(たけだ・ふみゆき)さんに会いにいった。彼の職業は「能楽師」。ご存知のように能楽は基本世襲である。

その家に生まれたからには職業選択の自由はなく、「イヤでもあとを継がなければならない」といったイメージも持っていたのだが、実際はどうなのだろう? 人生や芸で壁にぶち当たった時はどうやって乗り越えてきたのか? ひとつの仕事を続けることで何が得られるのか? あるいは失うものもあるのか? そのあたりを率直に聞いてみた。

家に舞台があることが普通だった


能の世界には、家元を頂点としたピラミッド社会である。武田文志さんは観世流シテ方の家に生まれた。プロの育成に当たる「職分」と言われる家柄で、武田さんは師匠でもある彼の父(武田志房氏)と26世宗家・観世清和氏、人間国宝の野村四郎に師事している。

武田家は曽祖父の代から続く能楽師一家。ここに生を受けた男子はみな能楽師になるのが当然という家系だ。家族に加え、住み込みで修行する弟子が多いときは2人、少なくとも1人は常時家にいたという。

そんな名門一家の次男坊として生まれた武田さん。嫡男の家なので、長男が次期当主として生まれながらに決められているが、弟の武田さんも小さい頃から能の舞台を踏んできた。「物心ついたときにはそういう生活だったので、それに対して好きとか嫌いとか、いいとか嫌とかの感覚は無いんですよね」。朝起きて夜になったら寝るっていうのと同じぐらい舞台は当たり前だったという。

学生時代の話も興味深い。小中高と都内の私立校に通っていたが、同級生には市川海老蔵や尾上菊之助、武田家と同じく能楽の家柄である坂井家の子供も通っていたという。

「友人たちの家にも舞台があるわけですよね。代々続く芸能一家というのも一緒。だからそれが結構自然な環境というか。そのためか、悪い意味での重みっていうか負担や重圧は全然なくて」

能は「やりたいことがないからやる」といった気持ちで進める道ではない


武田さんは次男で末っ子なので、ほめられたい思いが強かったという。兄が長男なので厳しく育てられる一方、兄の稽古を見ていたので、怒られないやり方を心得ていた。要領よく稽古に臨んでほめてもらえる。彼にとってお能はある意味では自己承認ツールのひとつでもあったという。

意外に思ったのだが、武田さんは強制的に能楽師にさせられたわけではない。

中学・高校くらいになると、大きな変声期があり、体格も定まらない。そのため、一般的に子供は表舞台から離す。思春期でも能を練習させる家もあれば、好きなことをさせる放任主義の家もあるそうだが、父の考え方から武田家は完全に後者だった。

例えば中学のバスケの試合と舞台が重なったことがあったが、父からは「試合はお前いなきゃ困るんだろう。舞台はお前いないでも困んねえからそっち行っていいよ」と言われたという。

とはいえ、将来能を職業にするなら、中学の終わりから高校の初めから徐々に大人としての舞台の役付けや稽古をし始めなければいけない。中学卒業が迫るころ、「能をやらないつもりなら、もうちょっと学校の勉強をしろ」と父親から決断を迫られた。

ほぼ同時期に、観世流の御宗家に立ち話で将来を問われたことがあった。何の気なしに武田さんが「(能をやるかは)まだ分かりません。他にやりたい事があったら、そちらをやるかも知れません」と口走ると「お能は他にやりたいことがないからやるとか、そういうもんじゃない」と諭されたという。中学生ながらにその言葉が心に残った。

周囲の助言も得て、武田さんは能楽師の道を自分の意志で選ぶことになり、日々芸を磨く。この世界では「若手には難しい」と言われるような大きな役にもトライした。

白血病を機に能楽の原点に立ち戻る


芸にさらなる磨きがかかり始めた頃、武田さんに人生を揺るがす一大事が起こる。36歳の誕生日に白血病であることが発覚したのだ。今後、お能ができなくなるどころか、命の危険もある状況だったが、幸いにして回復した。生死の境を経験することで、価値観が変わったという話はよく聞くが、武田さんもこの経験を通じて考えたことがあった。

「昔はちょっとした風邪で亡くなる方も多かったわけですよね。そう考えると白血病なんて命を失う病だったはず。これまで医療を発展させてきた研究者や亡くなった方たちのことを思うと、そのぶんしっかり生きねば」と考えたという。こういった発想は、先祖代々に渡って築き上げてきたものを、現在、未来へとリレーする伝統芸能の一家に育ってきた武田さんならではの感覚かもしれない。

「病気を機に、そもそも能が何のためにあるのっていう原点に立ち戻ったんです」。

まず頭に浮かんだのが能の創始者ともいえる世阿弥の言葉である「衆人愛敬」。能というのは、どこの誰が見ても楽しめるものでなくてはならないという教えだ。

もう1つは、「遐齢延年」と「寿福増長」。能は人々の寿命を永らえさせて、幸福感を高めるものでなくてはいけないということである。

これらの言葉に立ち返ってみることで、武田さんは「現代の能楽師の世界は内向きになっているのでは?」と感じた。創成期には誰もが楽しめる庶民的"エンターテインメント"だったお能が、現代では「ただこ難しいもの」であるかのように捉える風潮もある。その原因のひとつとして、変われない能楽界の体質というものもあるのかもしれない。

何年も仕事を続ける中で、自分もモチベーションも変化する


とはいえ、無闇に大げさであったり派手な試みをやったところで、課題が解決するわけではない。現在の武田さんは、能楽界を変えていきたい気持ちを胸に秘めながらも、それを一義的に考えるのではなく、まずは「自分を磨き上げる」こと、自分自身が必死に生きることで「他人に何ができるか?」を考えることの方が重要であると考えているという。

そのために自分が得意なことを生かして、草の根的にじっくりと能の醍醐味を伝えていきたいと思っている。

「病気になったことがきっかけで、僕みたいにしゃべるのが得意な人間は、能の魅力をもっと世に発信していくべきなのではないか? と思ったんです。それ以来、ネットラジオでパーソナリティをしたり、講座も積極的にお引き受けするようになりました。仕事旅行のホストもそういった活動の一環ですね」

多様な業種、業界の人たちと関わる中で、ビジネス業界の人脈も増えているそうだ。SNSでの発信も行い、意図したわけでは無いが、結果的に能に興味を持つ人も増えてきている。

当たり前のことではあるが、長年働いていると、仕事に対するモチベーションは変化する。目の前の仕事が嫌で離れるというのも手ではあるが、きっかけさえあれば、同じ仕事でもそれに対する感じ方、向き合い方は変わる。

家柄や古くからのしきたりを重んじる能楽の社会は、ある部分では企業社会より縦型で閉ざされた世界かもしれない。目に見えないしがらみや重圧も大きいだろうと推察する。しかし武田さんは自身の心の持ち様をしなやかに変えつつ芸を磨き、発信も行うことで能楽師という"仕事"への情熱を抱き続けている。

基本的に能は世襲の世界ではあるが、「何かひとつの仕事を極めたい」と思う人にとって、武田さんの能楽への向き合い方にはヒントがあると話を聞いていて感じた。

Profile

武田文志(たけだふみゆき) 
観世流シテ方 武田志房次男 父及び、26世宗家・観世清和、人間国宝・野村四郎に師事
3歳にて初舞台、以後12歳まで子方(子役)として活躍。歌舞伎役者・市川海老蔵、尾上菊之助とは小・中・高の同級生で、学生時代を共に過ごす。中学時代には共にクラブ活動でバスケットボールに明け暮れ、互いの家に泊り合い、また舞台鑑賞も行き来する中で、伝統芸能の世界に生きる事はごく当たり前の事として育つ。
高校生の頃より大人の能楽師として本格的な勉強を始め、20歳頃より普及・啓蒙活動にも従事。同時期、愛好者に対する稽古も開始する。これまで延べ100番程のシテ(主役)を勤め、数々の大曲にて年少記録を更新。海外公演多数。 ワークショップやプロの後進指導にも力を注ぎ、現在は年間100を超える舞台出演の傍ら、毎月100名程の愛好者を指導している。

最近ではインターネットラジオ「ポッドキャスト」にて若者の悩みに答える人生相談番組のパーソナリティーを務める他、経営者向けの「能楽に学ぶ事業継承」の講義を開催するなど、多方面から注目を集めている。人々を魅了する事で、多くの人の「花を掴む心」を拡げ続ける、魂の能楽師。

Interviewer

田中翼(たなか・つばさ)
1979年生まれ。神奈川県出身。米国のミズーリ州立大学を卒業後、国際基督教大学(ICU)へ編入。卒業後、資産運用会社に勤務。在職中に趣味で様々な業界への会社訪問を繰り返すうちに、その魅力の虜となる。気付きや刺激を多く得られる職場訪問を他人にも勧めたいと考え、2011年に「見知らぬ仕事、見にいこう」をテーマに仕事旅行社を設立し、代表取締役に就任する。100か所近くの仕事体験から得た「仕事観」や「仕事の魅力」について、大学や企業などで講演も手掛けている。
読みもの&連載もの: 2017年05月15日更新

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