占い師・大悟さんの仕事観。着たい服と似合う服は違うー田中翼の「あの人の仕事場に行ってみた日記」vol.6ー

「占い」はなぜ人の心を惹きつけるのだろう? いつの時代も。

いまから4000年以上前、すでに「占い」は存在していたという説もある。これだけ科学が進歩した21世紀になっても、それが世界中で行われているのは不思議と言えば不思議だ。

世間には占いに関する情報は多い。様々な「占い」の方法があり、「人気占い師」とされる人々もたくさんいる。

一方で、人類最古の仕事のひとつとも言えそうな占い師を、"職業"という目線でとらえた記事はそれほど多くないのでは? それもなんだか不思議な話だ。 

占い師たちはどんな人生経験をへて、この仕事にたどり就いたんだろう? どんなモチベーションで"他人の未来"を読み続けているのか? 前から気になっていた。

そこで今回は、ずいぶん前から仕事旅行のホストもしてくださっている手相鑑定士の大悟さんの話を聞くことにした。"彼"が手相鑑定を始めるにいたるまでのストーリーや、仕事への向き合い方についてストレートに質問を投げかけることで、「職業としての占い師」に迫ってみたい。

東京に出会いを求めたピーターパン


大悟さんは函館で生まれた。母は専業主婦で、父は堅めの企業に勤めるサラリーマンだったという。一人っ子だった。父親が転勤族だったため、稚内にいたり岩見沢にいたりと、北海道内を引っ越すことも多かった。

"彼"は学生時代から周囲の人々には、ちょっとユニークな人と映っていたらしい。学校に革のコートを着て行ったり、ネクタイの代わりにスカーフ巻いたりして登校していたとか。つるむ仲間もいわゆるヤンキー。勉強はあまり好きではなかった。

「中学ぐらいまでの間っていうのは好きにやってたわけよ。自分の個性を前に出して面白おかしくね」(大悟さん)

行動も少しファニーな部分があった。授業中に突然何か言い出したり、落ち着きがなくなる。その姿を見ていた教師が、心配して心理テストのようなものを実施したほどだった。結果は「ピーターパン症候群」。

これは当時「モラトリアム人間」といった言葉と同時に世間の注目を集めた言葉で、現代の若者の多くが持つ「大人になりたくない」心理性向を指す。"彼"もいつまでも夢を追い続ける永遠の少年の一人なのかもしれない。

先ほどから、"彼"とカッコ付きで表記していることにはワケがある。大悟さんは見た目は男性だが、心はそうでないところがある。色気づく中学生の頃から男性に魅力を感じるようになっていた。

「告白されたりしたこともあるんだけど、女性は性の対象には思えなかったのよね。それより男性のほうが素敵! と思うようになっちゃって」

しかし、そのことを隠すわけでもなく、あっけらかんと周囲にアピールしていたため、「面白いね」と学校では注目を集めていた。ちなみにIQテストではかなり高い成績をマークした。しかし、その関心は学校の授業には向かなかった。

勉強が苦手だった大悟さんが進学できる高校は、地域の男子校だけ。いわゆる体育会系の学校だ。

休み時間は好きなアイドルの話で盛り上がる。そんな世界では、素の自分を出せなかった大悟さん。いまで言う「オネエ」なトークスタイルもここではウケなかった。大悟さんは居場所を求めてお金を貯めては、東京に通う生活を繰り返すことになる。

飛行機に乗ること自体趣味だったそうだが、東京に頻繁に通ったのは素敵な男性との出会いを求めた部分が大きいという。当時流行っていた出会いのサービスを利用して、多くの男性と知り合ったという。

「いろんな男たちに出会ってきたもん、いいのから悪いのから(笑)。つらい思いをたくさんした。だって(出会う人のほとんどが)男が好きじゃない男だったから」

そうやって出会った男性の数は千人を超えるという。出会いを通じて、様々な人生を垣間見た。しかし、残念ながら恋愛として形になることはほとんどなかった。

英語と株取引に目覚めた学生時代


学校にはバイトの理由を留学費用を稼ぐためとだと説明していた。学校からの提案でオーストラリアへ留学する話が進み、1カ月ほど現地の学校に通うことになる。

帰国すると、英語の成績が急激に伸びていた。下から数えたほうが早かった英語のテストの結果が上から2番目に。英語を使う仕事に就こうと考え英語専攻科のある東京の専門学校に通うことにした。



いざ通い始めると、周りは大学受験を失敗したために専門学校に入学したという後ろ向きな学生が多かった。プライベートは楽しかったものの「このままで自分の人生いいだろうか」と考え始めた大悟さん。

そんな思いから、昼は学校、夜はスナックでバイト、週末は予備校という生活を経て、専門学校2年生を終えた後、青山学院大学へ進学する。

大学に通い始めると、バイトはきっぱり辞めた。一方で、生活費や遊興費を稼ぐために始めたのが株取引だった。「お金はすっごいいっぱい稼いでた。一番お金があったのは大学時代だった」とまで言う。

なお、稼いだお金のほとんどは海外旅行に費やしていたという。

大悟さんの学生時代、世間は就職氷河期と言われる時代だった。旅行好きだということで、先生から旅行会社を紹介されツアーコンダクターになった。

しかし、わずか半年ほどで退職する。

ツアーコンダクターとして仕事を始めると、色んな場所に出かけられるし、様々なお客さんとの出会いもあった。しかし、拘束時間が朝5時から夜の8時という体力的な厳しさと、自分がいいと思えるサービスをお客さんに提供しても、会社での評価につながらないことが引っかかった。

もちろん周りからは、「堪え性が無い」とか「世の中そんなに甘くない」とか、「生活はどうするの?」といった厳しい言葉も多くもらったが、株でもうけが出ていたこと、出会い系のバイトでもそれなりのお金を稼げていたため、すっぱりと辞めてしまった。

「私はもっと違うことができるって思ったのね。辞めてからしばらくはふらふらしてたの」


ワタシは「生計を立てるために仕事をしてる」って感覚がないの


半年ぐらいしたときに、縁あって、代官山のあるお店を手伝うことになる。

話はさかのぼるが、恋愛に悩みを持っていた大悟さんは、大学生の頃から趣味で手相を勉強していた。「なぜだか男関係がうまくいかない。何でこういうふうになるんだろう?」と考え、その答えを求めたのが占いだった。

大悟さんは代官山のお店に来るお客さんに、ボランティアで手相を見始めた。これが話題になり、占い目当てでお店に来るお客さんも現れ始めた。

「占い目当てのお客さんも来るようになると、気まぐれで『やる・やらない』が不平等になるよね。そしたら、お代をいただいたほうがいいよ」という店長からのアドバイスに従い、手相鑑定を仕事にすることを決める。

当時はこれ一本で生計を立てるとか、仕事として責任を持つとか、あまり深く考えなかったそうだ。

「そうなっちゃったんだよね、結局。最初は全然そんなの仕事になるとは思ってなかったんだけど」

そして手相鑑定が大悟さんの"本職"になった。しかし、大悟さんにはこの仕事への過剰な気負いはない。

「いまの占い師の仕事は、『やれてる』から『やらせてもらっている』ってこと。それに尽きますよね」

占い師としてそれ一本で生計を立てると深く考えたことは無いそうだ。

「ワタシは生計を立てるために仕事をしてるっていう感覚がないの、全然。お金をもらって楽したいとか良くしたいとか、自分のためにっていう気は一切ないのよね。やっぱり人生って役割があって、ワタシはいまこの役をいただいてる。使命をいただいてるっていう感覚なので、やれるだけやってるっていう感じですよ、仕事は。

そのことでお客さまの力になっていければありがたいなと思ってるわ。可能ならばっていうことよ。それはお客さま自身が決めることだから」


大悟さんは、尊敬するある俳優さんから言われた言葉がある。「人に夢を与える仕事は、なりたくてなれるものじゃなくて、ならされるもの。だから普通の幸せは諦めなくちゃいけない」。大悟さんの人生はまさにこれなのだという。

とはいえ、彼の仕事は順調に見える。占いを仕事にして、数年もしないうちに雑誌での連載を開始。テレビの出演依頼は断っているそうだが、常にお客さんが予約待ちをしている人気占い師である。

だが、本人はこれまで特に営業をかけたことはないそうだ。ただ、目の前のお客さんに真剣に対峙することを続けてきただけというから驚きだった。始めは仕事としてではなく、自分の恋愛を何とかしたくて真剣に手相に取り組み、私自身の人生が明るく拓けたからこそ、今は仕事として悩んだお客様の心に届くアドバイスができると実感している。

大悟さんがよく口にするフレーズに「着たい服と似合う服は違う」というものがある。

「着たい服」というのは、こうしたい、ああしたい、こうでないといけない、ああでないといけないという思いや願いのこと。大悟さん自身も上京したり留学するなど、「着たい服」を身にまとおうと背伸びをしていた時期もあった。

しかし、一方でいくら努力してもうまくいかなかったことや、あきらめて流れに身を任せてきたことも数多くあるという。自分の思いと現実が違う展開になることも多くあった。

大悟さんにとって手相鑑定の仕事はたぶん「似合う服」だ。

「仕事旅行」を通じてたくさんの人に話を聞いてきたが、「自分でやりたいように仕事をしてきた」と語る人は多い。「着たい服を自分で創る」タイプの方々である。

そう思うと今回の大悟さんの話はとても新鮮だった。自分に似合う服はどれか? ときにはそんな視点で働き方を考えてみることも大切なのかもしれない。

Profile

大悟(だいご)
北海道出身。青山学院大学卒業。人生に恋に悩み、独学で手相占いを学ぶ。様々な出逢いの中で占いの道に導かれ、2004年から代官山のバーにて営業開始。2006から三年間、MTVペーパー(フリーペーパー)にて手相診断コーナーを連載。内外の様々なアーティストの手相を解説。an・anの口コミ占い師紹介でも取り上げられ、現在予約は2ヶ月待ち。元気になる手相占いと評判を呼び、女性を中心に幅広い年齢層からの支持を得ている。

Interviewer

田中翼(たなか・つばさ)
1979年生まれ。神奈川県出身。米国のミズーリ州立大学を卒業後、国際基督教大学(ICU)へ編入。卒業後、資産運用会社に勤務。在職中に趣味で様々な業界への会社訪問を繰り返すうちに、その魅力の虜となる。気付きや刺激を多く得られる職場訪問を他人にも勧めたいと考え、2011年に「見知らぬ仕事、見にいこう」をテーマに仕事旅行社を設立し、代表取締役に就任する。100か所近くの仕事体験から得た「仕事観」や「仕事の魅力」について、大学や企業などで講演も手掛けている。
読みもの&連載もの:2017年03月31日

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