いま話題になっている水木しげるの「幸福の7か条」は、働き方のヒント集として読むこともできます。子供の頃からの“水木マニア”で、仕事旅行ファンのグンマスター氏が追悼文を寄せてくれました(「仕事旅行」編集部)。
コンビニのトイレで涙がとまらなくなった
11月29日、僕は行きつけの古本屋で水木しげるの妖怪辞典を2冊買った。
妖怪辞典を買ったのは10年以上ぶりだったと思う。東京の古本屋街ならまだしも、北関東の地方都市である地元でその妖怪辞典に出会えたことに感激し手に取ってしまったのだ。思わずInstagramにその妖怪辞典をアップした。
次の日、水木しげるが亡くなった。
11月30日正午。月末の月曜日にも関わらず、勤務先である銀行の窓口は空いていた。営業フロアには案内係の女性スタッフしかいない。突然営業フロアにあるテレビから緊急ニュース速報の音が鳴った。
普段そんな音が鳴っても気に留めることがなかったが、そのときはなぜか立ち上がって、少し離れたテレビの方を見た。水木しげるの訃報のニュースだった。
上司に水木しげるが亡くなったみたいですよと他人事みたいに伝えた後、頭が真っ白になっていた。何が起こったかわからない、というのはこういうことだと思った。
なぜ今この書類を整理しているのか、なぜ自分はパソコンと向き合っているのか? 気づくとパソコンに向かっている自分の背中が見えていた。
昼休みになって近所にあるセブンイレブンに向かった。近所と言っても職場から徒歩で10分はかかる。
「近くて便利」と謳う近所のセブンイレブンに「近くない」といつも思っていたが、そのときばかりは遠くて良かったと思った。いつも真っ先に向かうおにぎりのコーナーではなく、気づいたらトイレの中にいた。上を向いていた。味わったことのない感情が込み上げてきた。
スマホを取り出し、昨日アップしたInstagramの妖怪辞典の写真を見た。妖怪辞典が2冊写っている。自分の顔がぐしゃぐしゃになっているのがわかった。それと同時に幼い頃の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
アニメの鬼太郎を見ながらオープニングソングを歌う自分、のんのんばあとオレを見て怖くなり眠れない自分、クリスマスプレゼントに鬼太郎の漫画をねだる自分、お年玉を妖怪図鑑や水木しげるの漫画につぎ込む自分。「世界妖怪会議」に参加したくて鳥取までつれてってほしいと親にお願いして断られる自分、他人の目を気にして大好きだったはずの水木しげるから離れていった自分…。
自分の本当に好きなことに気付いたのは、大好きだった人の死だったなんて皮肉だった。そう言えば、僕の小さい頃の夢は水木しげると一緒に仕事をすることだった。
僕は狭いトイレの個室の中でありがとうとごめんなさいを繰り返しながら号泣した。
幸福の7か条は仕事の心構えでもある
前置きが長くなってごめんなさい。僕が幼い頃から水木しげるに惹かれたのは鬼太郎や妖怪図鑑の影響でしたが、社会人になった今改めて考えてみると、水木しげるの働き方についても参考になることが多い気がして、この場を借りてみなさんにもシェアしたいと思いました。
ネットでもかなり話題になっていたので知っている方も多いかもしれませんが、『水木サンの幸福論』(角川文庫)という本に「幸福の7カ条」というものが書かれています。
紹介させて頂くと
幸福の7カ条
第1条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第2条 しないではいられないことをし続けなさい。
第3条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第4条 好きの力を信じる。
第5条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第6条 なまけ者になりなさい。
第7条 目に見えない世界を信じる。
というものです。
働き方のヒントにもなりそうな7項目ですが、僕はこのうちの3つ(3条と4条、6条)が特に重要だと考えています。
水木しげるは漫画を描くことが本当に大好きで、どんなに売れなくても描き続けました。また、若い頃はその日食べるのにも困っていたにも関わらず、原稿料の大半を漫画のストーリーを考えるのに役立ちそうな本や妖怪図鑑を描くのに役に立ちそうな資料の購入に充て、より良い漫画を描こうと努力をし続けた結果漫画家として成功をおさめます。
水木しげるの凄いところは漫画家として成功した後も、妖怪や漫画を描くことを辞めず、体調を崩し亡くなる前まで連載を持っているほどでした。
しかし、誰もが水木しげるのように自分の好きなことを仕事に出来るわけではありません。水木しげるも「好きの力を信じろ」とは言っていますが、好きなことを必ず仕事にしろとは言っていません。ただ自分の好きなことは続けなさいと言っています。
実際、僕は自分の好きなことを仕事に出来ていません。僕は広告やアートが好きで、平日の空いてる時間や土日は都内まで足をのばし、広告系のイベントやセミナーに参加したり、首都圏や地方の美術館などに足を運んだり、好きなアーティストの作品を購入したりしています。水木しげる関連の本やグッズもヤフオク他でどれだけ落札してきたことか…。
もちろん、好きなことをするためにはお金がかかります。僕は好きなことをするために仕事を頑張っていると言っても過言ではありません。自分の好きなことをするためですから、どんな辛い仕事でも頑張れますし、高いモチベーションをなんとか維持することが出来ます。
最近、仕事の席でお客様にアートのことを熱く語っていたらアートに関われそうな話があり、少しずつですが実を結んでいる実感もあります。自分の好きなことがいつ仕事と結びつくかわかりませんから、自分の好きなことを信じて頑張り続けることは大切だと思います。
3つ目は「第6条 なまけ者になりなさい」です。
一見すると「仕事は程々に」とか「マイペースで仕事を頑張りなさい」に見えますが、違います。
「若いときはなまけないでとにかく努力をしろ」と言っています。
僕なりにする解釈すると「若いうちは出来るだけ努力や苦労をして、中年になったら苦労したぶん自由に楽しんだ方がいい」ということだと思います。水木しげるは40歳で売れ始めるまで食べられない時代が続き、休みなく働いていました。
やがて売れっ子になってからも漫画や妖怪を描くことを止めることなく、それでいて努力を惜しまず、中年になるまで10本以上の連載を続け、妖怪図鑑も出し続けます。
目に見えない世界が、働く力をくれる
ところで僕は何十冊と妖怪図鑑や妖怪辞典を持っています。そこに載っている妖怪はほぼ同じものにも関わらず。なぜでしょう? それは、日本妖怪辞典、東西妖怪図絵と言った具合に妖怪が国別に編集されていたり、子どもや大人向けに編集されているからです。同じ妖怪が載っていても妖怪辞典としては別物なのです。
それを可能にしたのは、水木しげるが何十年にわたって描き続けた1000体以上の妖怪の画のストックをのおかげです。1000体以上の妖怪の画を描きためておくことで、将来妖怪辞典を出す時に、改めて新しいものを描かなくても編集や修正をするだけで出版することを可能にしました。
妖怪の画に限らず漫画にも同様のことが言え、苦労して描き続けた鬼太郎シリーズは登場以来何度も復刻出版され、何度もアニメ化もされています。そのおかげである程度の年齢にいってからは仕事を減らすようになりました。
この第6条が発表された当時は、上記のように「若いうちは出来るだけ努力や苦労をして、将来は楽しんだ方が良い」というふうに解釈していました。しかし、定年退職年齢が65歳になり、働き方が変わり始めた現代においては「将来中年になって体力が落ちても自由に働けるように、若いうちは苦労や努力をして、自分の財産になるような色々な知識やスキルを身につけた方が良い」と解釈しても良いのはでないかと思い始めています。
これは「なまけ者になれ」と言いつつ、90歳を超えても働き続けた水木しげる生き方そのものだと思うのです。
自分やほかの方の働き方のヒントになると思い、幸福7カ条のうち特に重要だと思う3つについて紹介させて頂きましたが、どれも実行するのは簡単なことではありません。
たとえ好きなことを仕事に出来た場合においても、働くこと自体が大変ですし、それを続けることはさらに大変です。そんなときは「第7条 目に見えない世界を信じる」が参考になると思います。
これは妖怪や幽霊などの存在そのものを信じろという話でなく、嫌なことや悪いことが起こったら、目に見えないもののせいにして人生を気楽に考えようというものだと僕は解釈しています。仕事の上では、理不尽なことっていっぱいあると思いますが、逐一自分や他人、会社や世の中のせいにしていると身が持ちませんよね。
ですから、今後どれだけIT化が進んでも、“妖怪”は求められ続けるでしょう。働き方はますます変わってくると思いますが、この第7条はいつの時代も輝き続ける宝石のような言葉だと僕は思うのです。
(文/写真:グンマスター)
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