伝統技術ディレクター・立川裕大「仕事」を語る(後篇)ー「これだけは人に負けないもの」を自分の肩書きにしたー

伝統技術ディレクター・立川裕大さんへのインタビュー後編です(前編はコチラ→伝統技術ディレクター・立川裕大「仕事」を語る(前篇)ー人が大勢いる場所で仕事をしても勝ち目は出てこないー)。

日本の伝統技術とデザイナーをつなぐ、ものづくりのプロジェクト「ubushina(産品)」を2000年に立ち上げて以降、「日本の職人や技術」と「建築家・デザイナー」を結びつけることで、様々なプロダクトを産み出してきた立川さん。それと同時に早くから日本の産地の現状に向き合い、活性化のための様々な取り組みを行ってきました。

後編は伝統技術ディレクターの「地域との関わり方」と「仕事への向き合い方」を中心にお話をうかがいます。

聞き手:河尻亨一(銀河ライター/仕事旅行社・キュレーター)

日本の本来を将来につなげるために


ーー立川さんが伝統技術ディレクターになるまでの道のりやデザイン界の巨匠たちとの交流、「ubushina(産品)」の初仕事のエピソードなどおうかがいしてきました。ところで以前トークイベントの際におっしゃっていた「日本の本来を、日本の将来に。」という言葉が印象的だったのですが、ここからはそういったお話も。

立川:「日本の本来を、日本の将来に。」は松岡正剛さんからの啓蒙なんですけど、伝統技術ディレクターとしてまさにそういう仕事を心がけています。

僕は職人さんや産地の方々とのおつきあいが多いわけですが、やっぱり一番いいのは「その人じゃなければできないこと」ですよ。

逆に言うと、「その人じゃなくてもできること」だったら別にいいじゃないですか? その人じゃなくても。そしたら安いほうを選べばいいということになってしまって、伝統技術が未来につながっていかない。その意味では僕らの仕事は、まず職人や産地のアイディンティティを見極めてそれを活かすことができるかどうか。次に生態系のある仕事かどうかが大事で。

ーー「生態系のある仕事」というのはどういったものですか?

立川:木に例えるとわかりやすいんですけど、まずその木を育む"土"が「歴史」や「文化」だと考えてみてください。土地の歴史が堆積していて、木はそこに根をはっている。

木の幹や枝葉を包む"大気"は「社会」なんですけど、その環境は変化するんですよね。寒くなったり、熱くなったりと。僕らはそこの間に立ってますから、環境の変化に応じて幹や枝葉も適応させていく必要があるわけです。

最終的にはその木に花が咲いたり、果実ができたりして、それが仕事のアウトプットだとすると、それは土から来て土に還るものですよね? 

生態系はずっと繰り返すわけですから。その意味では、一番やってはいけないことだと思っているのは、クリスマスツリーのデコレーションを作るような仕事。一瞬きれいに見えるじゃないですか? でも風が吹いたら落ちちゃうし、落ちたところで土にも還らない。そういう仕事は左手でもできるけど、生態系から外れているんですよ。

ーーいっときのブームみたいなことで終わりかねないということですね?

立川:そう。で、ほとんどだれの記憶にも残らないみたいな。僕、そういう仕事はやりたくないと思ってます。例えば「売れる商品を作ってください」なんて言うのは典型的なオファーですよ。でも、僕がやりたいのは、やがては生態系に還っていくような健全な木の姿なんですよ。

つまり、僕らの仕事は「庭師」みたいなものかもしれませんよね。庭木の見栄えを良くするだけじゃなく、根っこや幹から全体を見ていかないと、やがて木は枯れちゃいますから。その上で未来につながる果実を収穫したい。あくまでイメージですけど、「そういうのがいい仕事の仕方かな?」と思っていて。

もう長いお付き合いになるんですけど、「能作」っていう会社のコンサルティングも、そういう考え方でやっているんです(※能作:富山県高岡市にある1916年創業の鋳物メーカー)。

4月に地元で4000坪の新工場のオープンを控えているのですが、あそこを高岡の産業観光のハブになる場所にして、地域全体に還元していこうとしている。最初は一社のコンサルと思ってものづくりから始めたんですが、いまは全体を見ながらその会社を「高岡の木」みたいに捉えていて。

ーー高岡は最近、伝統産業の世界で「勢いがある」と評判のようですね。

立川:元気がありますよね。ただ20年くらい前、僕が初めて行ったときは悲惨な状況だったんです。最盛期に比べて売り上げが真っ逆さまに落ちて、人もどんどん辞めていき、廃業が続いてましたよね。で、「なんとかしなきゃ!」ってなったときに、とりわけやる気のあるのが能作さんだったんです。能作が産地の停滞した状況に風穴を開けたと言っても過言ではなくて。

その意味では、まずはひとつの成功事例がとっても大事なんですけどね。結果、全体がついてくるとも言えますから。いずれにせよ高岡は僕の重要な生産背景で、いまも多くの仕事を高岡の職人に発注してます。

能作は昨年、創業100年を迎えたんですが、それを記念して高岡の100人の職人に「100のそろり(真鍮のスタンダードな一輪挿し)」を制作してもらったり。その職人たちの仕事をひとつひとつ紹介していくとスゴいことになってしまいますが、例えばーー彫金師、金工師、溶接師、着色師、旋盤師、仕上師、加飾師、漆芸師、仏壇塗師、塗師、原型師、鍛金師、研磨師、錺具師、青貝師、蒔絵師といった方々ですね。

まさに高岡に息づく職人技術のアーカイブになりました。100個が一堂に会した様はとんでもない迫力で、100年後の職人たちが見たらいったいどう思うか楽しみなんです。


「100のそろり」展ポスター(写真提供:能作)

「ないもの」をねだるのではなく「あるもの」を生かすことで産地は盛り上がる


ーー話を聞くだにスゴそうです。立川さんが深く関わってる地域としては、ほかにどんなところがあるんでしょう?

立川:波佐見町ですね。僕は長崎出身だから波佐見とは元々関わりが深いんですけど、人気あるんですよ、波佐見焼って。ただ、後継者の問題がやっぱりあって、その解決のために「ガイドマップを作りましょう」って提案をしたりとか。

それもいわゆるショッピングガイドとか、名所ガイドにするのではなく、人にフォーカスするガイドにしています。「こんなに面白い人たちでこの町は構成されている」ってことを伝えるのが大事だと思って。職人たちはキャラが立ってる面白いおじさんばっかなんです。でも、それって来てみないとわからないし、後継者を探すにも、まずは移住してもらわないといけませんから。

あえて紙媒体にしたのは、焼き物が毎日、日本中に出荷されるからですね。その箱の中に入れようっていう作戦で。で、波佐見焼を買ってくれた人に、まずは興味を持って来てもらおうっていう。それなりの部数を入れるわけですから、なかには土地を気に入って移住する人も出てくるでしょう? だんだん成果が現れ始めていますが、そういう人に後継者になってほしいんですよね。

去年も秋に代官山で展示をやりましたがこれも反響が大きくて(長崎・波佐見焼展「あいもこいも」)。


ガイドマップ「ディープ波佐見町!!」(左)と長崎・波佐見焼展「あいもこいも」の様子(写真提供:立川裕大氏)

ーー商品開発から展示の企画まで、伝統技術ディレクターの仕事の守備範囲の広さがうかがえますが、いまの波佐見のお話でも、さっきおっしゃった「生態系」をどう生かすか? がポイントなんでしょうね。

立川:その通りです。単体のメーカーがどうのこうのといった話ではなく「町全体がどうあるか?」という話だから。日本で一番幸せな産地にしたいんですよ。波佐見は町の人口が1万5千人で、その規模だと実現可能だと変な確信を持っているんです(笑)。

いまはこんなにネットが発達して、自分たちで情報が出せるから産地もやりやすくなってます。良いコンテンツがあればどこからでも人は来る。世界の中心に行かずとも、自分たちが世界の中心になれるんですよ。コンテンツの質さえ高ければ。

ホームに来てもらえれば生産背景をきちんと見せることでもできます。そうすると定価でも大満足で買ってくれる。「こんなに手間暇かけて作ってるんですか? 安いですね」って。

でも、同じ品でも例えば東京のお店の棚に並んでいたりすると、「あら? 高いわね」ってことになりやすい。消費者は大量生産された安価な商品との違いがわからないし、ものづくりの背景を知らないからそうなるんですけど、そこに合わせて売ろうと思うと安売りしかなくなりますよね。

そうやって都会のマーケットに狙いを定めて「槍」を投げるようなビジネスばかりをしていると、産地は結局疲弊してしまう。そうではなく絶え間なく地元に「網」を仕込むんですよ。こっちに手繰り寄せるように。そんなこんなで僕の出張先は産地が多いんですけど、仕事をしていて楽しいですよ。消費地より産地のほうが。

ーー「伝統技術ディレクター」という仕事がどういうものなのか、少しわかってきた気もします。

立川:さっきもお話したように僕は、職人とクリエイターの仲立ちをする"ミドルウェア"ですから、そのミッションは職人や技術の価値を開拓して市場で最大化すること。ときには自らのOSをアップデートしたり、入れ替えるようなこともチャレンジとして必要です。でないと、お客さんから見放されていきますから。

エルメスでもどこでもそうなんですが、ヨーロッパ勢のブランドの最大の強みはミドルウェア層の厚みで、日本の弱点はそこの人材不足ですね。だから日本には素晴らしい伝統の技術が山ほどあるのに、スーパーブランドが生まれないんです。けっして職人の技術で負けているわけではないんです。

ーー伝統技術だけでなく、ほかの領域でも同じことが言えるかもしれません。

立川:もったいない話ですよね。宝のもちぐされというか。ないものねだりをするのではなく、「あるものをいかに再編集するか?」がとても大事で、僕は日本の伝統技術に対して「日用品」「インテリア」「地域づくり」の切り口を入れてきました。そしてこれからは「現代アート」「スーパーブランド」の切り口を新しく入れていこうとしているんです。

ーーその視点はとても大事だと思います。立川さんがどのように伝統技術を再編集しているのか、その発想法、切り口の入れ方についてもう少し教えていただくと?

立川:例えば産地や職人の中に「鋳物は仏具にするもの」という思いこみがあるなら、「切り口を変えて日用品にしたらどうなるだろう?」と考えてみるんです。そしたら一気に可能性が広がるじゃないですか? 実際、能作の風鈴など、そのアプローチでとんでもなく売れるようになったわけです。だってそもそもお鈴を作っているんですからね。

わかりやすい例えで説明すると旭山動物園ですよね。珍獣・奇獣を連れてきてお客さんを呼ぼうとするのではなく、ありふれた動物園に「行動展示」という新しい切り口を入れて、動物たちが生き生き暮らす様を見てもらう方法を編み出した。そしたら日本中からいっぱいお客さんが来るようになったわけですよ。

好奇心と覚悟がその人の働き方を変えていく


ーーところで、さっきおっしゃった「現代アート」という切り口も気になったのですが。

立川:舘鼻則孝さんというアーティストをご存知ですかね? レディ・ガガの靴作りなども手がけている人なんですけど。一昨年末(2015年)に、その舘鼻さんと能作とのコラボレーションで行ったアートプロジェクトを発表することができました(Traces of a continuing history)。

ーーそれはどういったものなんでしょうか?

立川:舘鼻さん自身のガイコツを作品にしたものですね。

ーーガイコツ?

立川:ええ。舘鼻さんがCTスキャナーに入り、彼の骨格のデータを長い時間をかけて3Dプリンター用のデータに置き換え、骨すべてを樹脂でプリントしたんです。さらにその樹脂型を「能作」に持ちこんで真鍮製のアートに仕上げた。もちろん原寸大でね。


「Traces of a continuing history」(写真提供:立川裕大氏)

伝統だけでなく最先端の技術も用い、10数人のスゴ腕職人たちが情熱を傾けてくれましたが、発表まで足かけ4年かかりました。昨年も舘鼻さんが岡本太郎美術館で「呪力の美学」という個展をやりましたけど、「ubushina」でシルバー特殊塗装を担当しています。

ーー伝統技術に「日用品」や「インテリア」「地域づくり」といった切り口を入れていく場合に比べて、「現代アート」はまた違う難しさもあるのでは?

立川:ええ、そうですね。日用品と違って現代アートに臨む場合は、職人が全能力を注ぎ込まなければ追いつかないほどの技術的精度を要求されますから。

スーパーブランドの商品も同様ですが、数を作れない現代アートに比べてリピート生産ができます。技術の向上と経済性を一緒に手に入れるためには、この二つの新しい切り口が必要なんです。

ーーそうやって産地や職人の価値を高めていくのが伝統技術ディレクターの仕事だと思うのですが、おっしゃっている「切り口を変える発想」や「再編集の手法」はほかの仕事でも生きそうです。

ところで、この「仕事を語る1万字インタビュー連載」では、いまのところ立川さんが最年長でもあるのですが、いま仕事をしている人、これから仕事をしようとしている人たちに向けて、「こういうことを大事にするといいのでは?」といったアドバイスなどありますか?


立川:そうね、なんだろうな? 自分のこととして言うと、学生の頃なんかは好奇心がないとダメでしょう。いつもキョロキョロしてないと、選択肢なんて出てきませんから。就職指導部が言うことや親の安心なんかを優先しちゃうと選択肢がぐーっと狭まるはずなんですよ。

そういえば、伊藤洋志さんの『ナリワイをつくる』という本に書いてあったんですけど、大正9年の国税調査で申告された職業数って約3万5000あったそうなんですよね。ところが現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば2167種類。およそ100年で日本の職種が十分の一以下になってるんです。

そうやって職の多様性を捨てることで効率を上げて「日本は経済成長してきたんだな」って思うんですけど、それは同時に職業の選択肢が狭まってるということでもあって、やっぱり自分から好奇心を持って社会にアンテナを張っておかないと、向いてる仕事には出会いにくいんじゃないですかね。

まあ、それは学生向けの話であって、ある程度の仕事のキャリアを持ってる人が必要なのはやっぱり「覚悟」ですよね。

例えば僕の場合、肩書きを「伝統技術ディレクター」にしてるじゃないですか。でも、実際はほかの肩書きでも大丈夫なんですよ。さっきお話したように「デザインディレクター」でも問題はない。やれと言われればやれますから。

だけどね、僕は「この部分だけでは人に負けない」っていうものを肩書きにしたんですよ。あえて間口を狭めるのには覚悟がいりましたよね。

で、覚悟して良かったなって思うのは、その段階で僕は"専門店"になったわけです。レストランでもそうだと思うんですけど、「中華が得意だけど、イタメシやタイ料理だって結構やれますよ」なんていう人、料理人としてやっぱり歯切れが悪いと思う。掴みどころがなくて、何を頼んでいいのかわからないというか。

何が言いたいかと言うと、「これなら人に負けない」何かがあって、「それをやっていくんだ」という覚悟を表明することが大事だっていうことですよね。そこではじめて皆が共感してくれる。

ただ、その意味では仕事選びってホントに大事で、自分にフィットしない仕事環境にいると覚悟なんて持てないんですよね。もがくだけになっちゃう。そういう人は自分に適した生態系を探し直さないと。それが見つかれば、だれだって生き生き泳ぎ始めるんじゃないでしょうか。どうしてもフィットする場所が見つからないのなら、自分で作るというのもひとつの選択肢だと思います。

ゲスト・プロフィール

立川裕大(たちかわ・ゆうだい)
株式会社t.c.k.w 代表取締役 伝統技術ディレクター / プランナー。1965年、長崎県生まれ。

日本各地の伝統的な素材や技術を有する職人と建築家やインテリアデザイナーの間を取りなし、空間に応じた家具・照明器具・アートオブジェなどをオートクチュールで製作するプロジェクト「ubushina」を実践し伝統技術の領域を拡張している。「東京スカイツリー」「八芳園」「CLASKA」「ザ・ペニンシュラ東京」「伊勢丹新宿店」など実績多数。

長年に渡って高岡の鋳物メーカー「能作」のブランディングディレクションなども手がけており、高岡鋳物・波佐見焼・長崎べっ甲細工・甲州印伝・因州和紙・福島刺子織などの産地との関わりも深い。

2016年、伝統工芸の世界で革新的な試みをする個人団体に贈られる三井ゴールデン匠賞を受賞。

自ら主宰する特定非営利活動法人地球職人では、東日本大震災復興支援プロジェクト「F+」を主導し、寄付付きブランドの仕組みを構築し3年に渡って約900万円を被災地に送り続けた。

インタビュアー・プロフィール

河尻亨一(かわじり・こういち)
銀河ライター/東北芸工大客員教授。1974年生まれ。雑誌「広告批評」在籍中に、多くのクリエイター、企業のキーパーソンにインタビューを行う。現在は実験型の編集レーベル「銀河ライター」を主宰し、取材・執筆からイベントのファシリテーション、企業コンテンツの企画制作なども。仕事旅行社ではキュレーターを務める。アカデミー賞、グラミー賞なども受賞した伝説のデザイナー石岡瑛子の伝記「TIMELESSー石岡瑛子とその時代」をウェブ連載中。
あの人が語る仕事論:2017年02月27日

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