2017年01月26日更新

鯨本あつこのシゴト旅 vol.3ーなんにもなさそうな島にこそ宝があると思ってこの旅を続けているー

前回、前々回と、「離島経済新聞(リトケイ)」立ち上げまでの物語、リモート体制で行われる編集部の働き方、子育てと仕事の両立など、あっちこっちを旅するように書き綴ってくれた鯨本あつこ編集長。3回目は「島の魅力」を考えます。

そもそも鯨本さんは「離島」のどこに心惹かれたのでしょう? リトケイの考える「経済」とは?

(バックナンバー)
★鯨本あつこのシゴト旅 vol.1ーリトケイができるまでー
★鯨本あつこのシゴト旅 vol.2ー仲間は東京、私は沖縄、出張先は離島ー

「なんで離島なの?」という疑問はごもっとも


ひとことに「日本」といっても、この国をあちこち歩いて回ると、ひと括りにするには忍びないほど、多様性の宝庫だなあといつも感じる。北から南までは約3,000kmの距離があって、各地には「うちの地元はニワトリの足まで食べる」みたいなご当地ネタが山ほどあって、それらを競って面白がるようなテレビ番組が成立するほど、土地の個性は多種多様である。

離島経済新聞社の仕事で訪れる場所は当然、離島が多い。

東京からの出張先としてよく挙がりそうな、札幌・仙台・名古屋・大阪・福岡などの都市よりも、伊豆諸島・瀬戸内海・日本海・東シナ海・奄美群島・八重山諸島の「離島」に出かけるもんだから、身内や友達に「そこどこ?」と言われることもしばしばである。

2010年に離島経済新聞社を立ち上げてこれまでの間に、私が他人から最も多く質問されてきたことは「なんで離島なの?」だった。

たとえば、世の中にある専門雑誌のなかに「ネジ専門」があったとしたら、普段ネジに気をかけていない私は「なんでネジなの?」と聞きたくなる。つまり、自分があまり気にかけていないことを専門にしている人間に対して、「なんで?」と聞きたくなるのは普通である。

日本には人が暮らす離島が約400島あって、全部で60万人ほどが暮らしている。日本の総人口との割合を考えれば、日本中に離島を気にしている人があまり多くなくても、仕方なさそうだ。とはいえ、こと離島については日本中の誰もが、ある程度は気にしておいたほうがいい理由があると私は考えている。

離島を気にしておいたほうがいい理由については、それだけで書籍にまとめたいほど言いたいことはあるが、ここでは2つの視点にしぼって説明したい。

1つ目はハードな視点だが、客観性のある理由として、日本という島国にとっての重要性である。

グーグルマップで世界地図を表示すると、日本そのものが小さな島国だということを、視覚的に理解できる。国土面積は世界で61位。私たちはとても狭い土地の上に暮らしている国民なのだ。

但しそれは「地面」の話で、日本には、東西南北それぞれ約3,000kmに小さな島が点在しているため、国際社会のなかで経済的な管轄権が与えられている「排他的水域」という海域の広さになると、世界6位といわれている。

日本の海には、毎日の食卓にあがる魚から地下資源まで、さまざまな幸が存在している。小さな島国にとっては、自分たちが安心して活動できる海を確保できることにはとても深い意味がある。

加えて、国の資料などには、離島地域が担っている役割のひとつに「防人」と記されていたりする。日本の歴史を振り返ってみると、1274年の「元寇」でモンゴルが日本に攻めてきたときには長崎県の対馬と壱岐から侵攻がはじまり、太平洋戦争で地上戦が繰り広げられたのも沖縄本島を含む島々や、小笠原諸島だった。

最近では、諸外国の船が日本に近づいてきたとき、海上保安庁の目が届かない場合に、最初に気づくのは離島地域で漁業を営んでいる漁師さんだったりする。

離島に人が暮らしていて、そこでしっかりと営みがまわっていることは、それだけでも有事の備えとして小さな島国に暮らす全員にとって貴重な状況といえるのだ。

「こんな田舎、1秒でも早くでていってやる!」と思って都会に出てはみたが


と、ここまでは国の資料をもとにまとめた日本全体における重要性である(日本における重要性はまだまだあるので、気になる方は「離島 役割」で検索してみてください)。

一方、もう1つの理由は私自身の視点であり、ひとりの個人が離島に感じている重要性である。

私は九州の山奥で生まれ育ったので、海も島も近くになかった。集落には小さな商店を除いては、コンビニもスーパーもゲームセンターもなく、隣近所のおじちゃんおばちゃんはみんな顔見知りで、牧歌的な平和さがあった。

ただ、私といえば姉と弟にはさまれる中間子として育ったせいか、家庭内での気性は常に戦闘モードで、はげしい反抗期を繰り広げていた。

田舎で反抗期となればヤンキーへの扉も遠くないが、私の家は市街地から遠く、真っ暗な田舎道を自転車で走りまわるまでの気力はなかったので、ヤンキーになりきれるわけでもなく、ただ家庭内でくすぶり続ける危険因子だった。

そんな子どもの心には「こんな田舎、1秒でも早くでていってやる!」という気持ちが強力に張り付くので、18歳になった私は、喜び勇んで都会に飛び出した。

それから福岡で美容学校に通い、卒業後は出版社に就職するも、多忙に負けて離職。大学に進学した友達が4年生になる頃にはフリーターになり、福岡という懐の深い街に甘えて、呑んだくれダメ人間になりかけ「このままじゃまずい」と思って上京した。

上京から離島経済新聞社を立ち上げるまでのことはvol.1でおさらいいただきたいが、その後、経済出版社で働くようになってしばらく経つまで、私は地元をふりかえらなかった。

福岡から東京へ、ステップを踏みつつ都会に出た私は、それなりに都会暮らしを楽しんでいた。ファッションも、グルメも、イベントも、有象無象に存在するあらゆるものごとが田舎にはないものに見えて、新しくキラめいた世界に、稼いだお金をきれいに使いながら暮らしていた。

そんな暮らしを続けているとき、vol.1で綴った「自分は何のために働いているのか?」という考えがよぎりはじめ、「せっかく働くなら誰の役に立ちたいのか?」をぐるぐると考えるうち、のちに離島経済新聞社を立ち上げる仲間と出会い、離島に出会った。

私は気づいた。「大きなお金を動かす」ことだけが経済ではないと


vol.1で綴った離島に仲間たち訪れたとき、そこで感じた田舎っぽさは、正直にいえば自分の地元と変わりがなかった。

ただ、そんな田舎で「この島は宝島なんだ」と健やかに笑っていたおじちゃんのインパクトは強く、かつては1秒でも早く出て行きたいと思っていた田舎のような場所こそが「宝島かもしれない」と感じて、自分の気持ちが大きく揺らいでいった。

振り返ると、私は確かに、ヒト・モノ・コトが多い都会にあこがれて田舎を離れ、それなりに楽しんでいたものの、次第にヒト・モノ・コトの多さに、ハテナを感じるようになっていた。

あるとき、ペットボトルの水を買うためにコンビニに寄って、十数種類のミネラルウォーターが並ぶ陳列棚を目の前にして、「めんどうだな」と感じることがあった。私はただ、喉の潤いを癒したいだけなのに、毎度毎度、水を十数種類から選ばなくてはならないことは、むしろ面倒ではないのか? と。

それまで私のなかでは、たくさんのモノの中から自分好みのモノを選ぶことが「豊かさ」や「幸せ」の価値基準になっていた。でも、だんだんその基準にハテナが生まれ、ヒト・モノ・コトの少ない離島で「宝島」と言われたとき、自分の持っている価値基準が必ずしもすべてではないと気づいた。

実際、私が生まれ育った田舎や離島には、都会ほど多くのヒト・モノ・コトはない。だけど、じっくり振り返ると「豊かさ」や「幸せ」がないわけではなかった。

離島経済新聞社を立ち上げる前に勤めていた経済出版社で取り扱っていたのは、世界経済や日本経済の話題が中心だった。その世界にある価値基準で測ると、大きなお金を動かし、たくさんのヒト・モノ・コトを効率的にマネジメントできることが「すごい!」と言われ、そこで求められるのは、種類の豊富さ、規模の大きさ、新しさ、効率性のようなことだった。

世界はいろんなレイヤーでできているので「経済」だけで考えても、世界経済、日本経済、地域経済、家計、といったいくつかのレイヤーにわけて考える必要がある。それぞれが大事なので、どれが必要でどれが必要でないということはないが、気をつけたいのは、人間ひとりひとりの「豊かさ」や「幸せ」の価値基準を考えたいときには、規模の大きなレイヤーでは測りにくいことである。

離島経済新聞社には「経済」の文字が入る。離島で人々の営みを維持するためには、島々のサイズにあった規模感で、その場所に暮らす人や想いのある人によって健やかにまわせる経済が必要だから、その土地の暮らしを維持していくために、小規模でも成り立つ理想の離島経済を考えていくことが大事だと思っていて、その気持ちを経済の2文字に込めている。

ヒト・モノ・コトがふくれあがって、何をどう捉えていいのかわからなくなるような現代社会には、ヒト・モノ・コトがそんなになくても「宝島」と思って暮らしていける価値観が存在する離島のような場所が必要だと思う。

そういうと私のシゴト旅は、離島にフォーカスすることで日本に暮らす「豊かさ」や「幸せ」を再発見していくことかもしれない、と書きながら思った。

執筆者プロフィール

鯨本あつこ(いさもと・あつこ)

1982年生まれ。大分県日田市出身。NPO法人離島経済新聞社の有人離島専門メディア『離島経済新聞』、タブロイド紙『季刊リトケイ』統括編集長。一般社団法人石垣島クリエイティブフラッグ理事。地方誌編集者、経済誌の広告ディレクター、イラストレーター等を経て2010年に離島経済新聞社を設立。

編集デザイン領域で、地域メディアのプロデュース、人材育成、広報ディレクションを担当。世田谷区三宿エリアの活性化事業「世田谷パン祭り」、奄美群島のフリーペーパー「奄美群島時々新聞」、石垣島にゆかりのあるクリエイターを掘り起こす「石垣島Creative Flag」等のプロジェクトに携わる。2012年ロハスデザイン大賞ヒト部門受賞。2013年TEDxTokyo登壇。美ら島沖縄大使。『離島経済新聞』
連載もの: 2017年01月26日更新

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