(※新連載。銀河ライター・カワジリが、仕事・働き方に関するニュースや思うことなど、思いつくまま気ままに書いていきます)
「前前前世」聞きのがしたので「昔昔昔の話」でも読も
年末は人並みに大掃除というものをやる。編集という仕事柄、部屋には紙類が多い。書いている本の資料やらボツになった哀しい企画書やら混じり合い、それらがうず高く何列も積もって何が何やら皆目わからない。気合いを入れて片付けると、奥のほうからテレビが発掘された。
「あ、そう言えばうち、テレビあったわ」と思い出し、「人並みに紅白歌合戦くらいは見るか! ピコ太郎とか出るらしいぞ」と、なんとなくワクワクしながら、ピコッとスイッチ押してはみたが知らないタレントが熱唱していて約10秒で消す。
「だれだよ? この人。ていうかRADWIMPS出てねえじゃん…『前前前世』聞けねえじゃん」。
もはや私の脳はインターネットな毒に侵されており、自分の知らないものも出てくるテレビな娯楽を、すでにカラダが受け付けないのか? あるいは年とるにつれて気が短くなって見たいものが即見られないとイヤなのか? それとも両方か?
IT化が原因で、
「人間の集中力持続が金魚以下になってる?(金魚9秒、人間8秒)」みたいな衝撃的内容の記事も最近目にしたが、そうだとすれば不幸なことである。
というわけで一気に暇。なので本でも読むことにする。「前前前世」聞きのがしたなら、せめて「昔昔昔の話」でも読もうか。そろそろ正月だし。そしたら古典か? みたいな短絡マインドで、「徒然草」と「方丈記」と「枕草子」が全部まとまってる一冊に挑む。
もちろん現代訳だ。いかんせん私の集中力持続は8秒。原文は読めそうにもない。幸い最近では新しい読みやすい訳も出ている。
そしてその本がこちらとなります。
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 全30巻「枕草子/方丈記/徒然草」
鎌倉時代の新しすぎるワークスタイル
とりあえず「徒然草」から読む。内田樹氏が訳したものだが、書き出しがイケてる。「徒然なるままに日暮し硯に向いて」というアレ。向かっているのはPCだったりスマホだったりするが、大晦日のフィーリングにぴったりだ。
原作者である兼好は、仕事もなく暇だからこれを書いた。いや、ほんとに。本人がそう書いているのだから仕方ない。この方はいま風にざっくり言うと、お年を召されたニートである。「隠居」といったほうが正確なのかもしれないが、自宅警備職という意味では同じ。若い頃の蓄えがあったのか。どうやって生活費稼いでいたのか知らないけど、ちょっとうらやましい境遇にも思える。
徒然草の特長とされる「なんとなく思いついたこと、とにかく書いてくから!」的な執筆スタイルも、「読者ウケはどう?」とか「それPV取れる?」とか、あーだこーだ気にすることで、結局コンテンツ・パワーが衰えてしまう文章も多い現代に比べて、なんだか楽しそう、かつ気楽そうにさえ思えるので、私もこの連載では踏襲してみよう。
こうやって改めて読んでみると、教科書によく出てくる「少しのことにも先達はあらまほしきことなり(ものごとを教えてくれる人って大事だよね)」的な説教くさい話より、あまり表に出てこない知られざるエピソードのほうが面白い。
「徒然草」には実はヘンな人がいっぱい出てくる。
例えばーー
「芋が大好きで仕事中も芋ばっか食べてて、病気になっても『芋食えば治る!』とか言い張って実行、本人貧乏なので将来を心配したボスがオフィス(寺)とかお金あげてもすべて芋代に使ってしまい、とはいえイケメンでトークが上手く、頭も良いので仕事はできて高い役職には就いていて、だが万事マイペースで『やる気が出なくて…』とか言ってはしょっちゅう長期休暇を取得し(1~2週間)、家にこもってずっと芋食べてるわ、デカいプロジェクト(法要)後の飲み会でも、クライアントいるにもかかわらず自分だけ飲み食いして満足したらサッサと帰っちゃうわ、かと思うと夜通しずっと大声で歌いながら散歩するなどライフスタイルもメチャクチャで、はっきり言って変人なんだけど、キャラ的にはいいヤツなので『実は大物なのでは?』ってことでみんなから愛されてました」みたいなお坊さん
ーーとか(第60段より要約)。
これには笑った。そういう意味でつけたネーミングじゃなかろうが、まさに「徒然に草生えるわwwwwwwwwww」である(徒然草には日本人のココロとして、意外と2ちゃんとかにも通じる何かがありそうな気がする)。
それにしても新しすぎるワークスタイルだ。仏のココロを語るトークショーなどでも、一人だけうず高く芋積んで、それを食べながらやってたらしい。お坊さんだからこれで許された面もあるかもしれないが、「どんだけフリーダムに働いてたんだよ? 鎌倉時代(中期)の日本人…」って話でもある。
作者・兼好は思うこと、だれかから昔聞いて思い出したことを徒然なるままに書いてるだけなので、それぞれの話にまったく脈略がないところもいい。
やたらクドクド説明しているエピソードがあったかと思えば、
「改めても役に立たないことは、改めない方がいい」 (第127段 ※内田樹訳より)みたいにサクッと1行だけつぶやいて終わったり。
「そりゃそうだろ!」とツッコミたくもなりながら、同時に「なるほど、そうだよな…」という気もしてくるなど、よくわからないながらすごい説得力がある。この執筆スタイルからしてフリーダムだ。
全243エピソードの中には愚痴っぽい話も多い。例えば、こういった話は現代に通じるものがある。一部、引用させてもらおう。
「寺院の号をはじめ、すべてのものには名前を付けるが、昔の人は奇を衒わず、ただありのままに素直に名前を付けた。最近の人はものに名を付けるとき、妙にこねまわして、才覚をあらわそうとする。厭味なものだ。人名にも見慣れぬ文字を充てることがあるが、無益なことである。」(116段※内田樹訳より)
ってキラキラネームじゃねえか、これ。いまで言う「星凛(きらり)」とか「奏夢(りずむ)」みたいなそういうノリの。兼好、鎌倉時代の言葉の乱れには結構ムカついていたようで、これに似た嘆きの章は何回か出てくる。
いまは昔、昔はいま? 君の名は「時代」
「働き方」の話と捉えて差し支えないエピソードもたくさんあり、その中で筆者がひとつ繰り返し語るものがある。それは現代風に言うと、「いつやるか? いまでしょ」みたいな教訓の話だ。例えば、こんなエピソードもあった。長い章だが、前半の一部を。
「ある人が我が子を法師にしようと思い『学問をして因果の道理をわきまえ、説教などをして世を渡る術を身につけよ』と言いつけた。子は親の教えのままに説教師になろうとして、まず馬の乗り方を学んだ。輿も牛車も持たぬ身であるから、法事の導師に招かれたときに馬を差し向けられることがある。そのときに桃尻で鞍から滑り落ちてしまっては困ると思ったからである。
次に仏事のあとに施主に酒を勧められることもあるだろうが、法師がまるで無芸では檀那の方も味気ないであろうからと早歌という芸を学んだ。乗馬と早歌、この二つの芸を習ううちにやがて佳境に入り、ますます身を入れて稽古していたら、気がつけば説教を習う間もないうちに年老いてしまった。
この法師ばかりでない。世の人はだいたいこんなものである。(中略)あれもしたい、これもしたいと執着していると、一事もなすことができない。」(188段※内田樹訳より)
なので、様々な情報に惑わされず、「とりあえず資格でも取ろうか?」などと思うのでもなく、「自分が何をやりたいか?」を明確にして、あまり考えすぎず、まずは行動してみるのがオススメ!と言う。
「徒然草」を通読して感じたことがある。作者・兼好も自分が何をやりたいのかよくわからないまま、虚しく年をとってしまった人なのではないだろうか? フリーダムに生きた同時代の人々へのリスペクトのようなものがある。
ちなみに、同じ一冊に収録されている「枕草子」(作:清少納言/訳:酒井順子)、「方丈記」(作:鴨長明/訳:高橋源一郎)も面白かった。
ご存知のように「枕草子」は、兼好よりもっと昔の平安バブル期のお話。秒速でゼニを稼ぎまくった貴族がゴロゴロいた頃のエッセイ集であるが、これまたご存知の通り清少納言はカワイイもの、キレイなものを絶賛しまくるかたわら、やれ「おばあさんが梅を食べてすっぱそうな顔をするのがイラっとくる」とか、やれ「貧乏人の家に月の光がキレイに差したり、雪が美しく積もるのはもったいない」とか、いまなら「炎上間違い無し!」の上から目線ぷりが逆に清々しいくらいでいとをかし。
宮廷での仕事は高給でありつつ、人間関係に異様に気を使うぶん不自由で、イジメや陰口も多く、ストレスはすごかったんじゃないだろうか? コミュ力みたいなものがモノを言う職場だったのだろう。
「方丈記」は枕草子よりおおよそ200年後の話、平安末期から鎌倉初期のことを描いている(徒然草より約100年前)。当時はすでにバブルも弾けて景気は最悪、都あたりでも大火事や大地震などが続発し社会は乱れ、政治も混乱を極めて源氏による軍事政権が成立、「もう理想の働き方とか、人生とか考えてる余裕なんてない!」時代だった。
荒廃した都会を逃れ、京都の山奥にIターンした筆者・鴨長明は、田舎にスモールハウスを建て、自然大好きアウトドラライフを営みながら、昼は被災地をめぐって被害の状況を調べ、夜は琵琶をかき鳴らして「前前前世」みたいな無常感ひそむソングを歌っていたとか、いないとか。この人はミュージシャンとしても人気があったそうな。
いずれの話もいまは昔。だけど裏を返せば「昔はいま」ってことでもあるのだろうか?ーーといったことを考えていたら、近所の寺の鐘がゴーンと響いて新しい年が始まった。
執筆者プロフィール
河尻亨一(かわじり・こういち)
銀河ライター/東北芸工大客員教授。1974年生まれ。雑誌「広告批評」在籍中に、多くのクリエイター、企業のキーパーソンにインタビューを行う。現在は実験型の編集レーベル「銀河ライター」を主宰し、取材・執筆からイベントのファシリテーション、企業コンテンツの企画制作なども。仕事旅行社ではキュレーターを務める。アカデミー賞、グラミー賞なども受賞した伝説のデザイナー石岡瑛子の伝記
「TIMELESSー石岡瑛子とその時代」をウェブ連載中。
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