さて第二回だ。第二回ということは当然のことながら第一回もあったわけだが、その貴重な第一回で俺は自分がどれだけ仕事をしたくないかをくどくどとしつこく並べ立てたわけである。
どうだまったく役に立たなかっただろう。わはははは。せめて今回は多少なりとも役に立つことが書ければいいとは思っているが、もちろん一切約束はできないので、期待はしないで欲しい。期待とは常に裏切られるものだし、愛は惜しみなく奪われるものだからしかたがない。
いや、どうも前置きが長くなってしまいがちだな。すまぬ。どうしてこうなってしまうのかは俺にもよくわからないのだが、とりあえず、こういう場合はぜんぶ学校と社会のせいにしておけばいい。尾崎豊もハウンドドッグもそうしているから、お前らもそうするといいぞ。自分が悪いくせに何かのせいにできるのって楽だよな。わははははは。ま、バイクは盗んじゃダメだから、盗んだバイクが手元にあるお前らは、あとでこっそり返しておけよ。
俺にとって仕事とは、頼まれたり、誘われたり、巻き込まれたり、騙されたりしてどうにも断りきれずうっかり始めるものであって自分から進んでやるものではないのだ
よし、それではようやく「働かない働き方」の話をするが、その前に、俺自身のことを少しだけ書いておこう。またこうやってなかなか本題に入らないわけだが、いちいち細かいことは言うな。俺はぜんぜん気にしないからお前らも気にするな。
思えば俺はこれまでずいぶんといろいろな仕事を渡り歩いている。その中には、もちろん俺自身が望んで就いた仕事もあるが、その気が無いのに就いた仕事もたくさんある。
高校を出てからスーパーのバックヤードで野菜を切ったあと、ゲーム会社やレコード業界でディレクターやプロデューサーをしていた。グラフィックやテレビCMといった広告を制作する一方で、舞台監督やイベントの音響・照明を請け負い、ナレーターとしてスタジオに赴き、インターネットの普及期には官庁のWEBサイトの構築をやった。もはや時系列はあやふやだが、美術家の個展を手伝い、医学関係の学会運営をサポートし、自動車メーカーの海外プロジェクトに関わり、企業や団体のロゴをデザインし、一時期は専門学校の先生までやっていた。つなぎを着てバキュームカーに乗り、郊外の工場で機械を組み立て、放送局でテレビ番組をつくった。
こうして自分で覚えている仕事を並べただけでも、かなりめちゃくちゃだが、特に考えてそれぞれの仕事に就いたわけじゃない。ただ行き当たりばったりでやってきただけだ。うちに来ないか、うちで働かないかと誘われると、いつも俺は断らなかった。いくつかの仕事は自分から手を挙げたが、ほとんどの場合はただ流されただけ、受注しただけ。その結果がこれだからお前らも驚くだろう。俺だって驚くよ。あまりにも一貫性がなさすぎる。バカじゃないのか。もちろんバカだ。受注体質にもほどがある。もうちょっと人生のことを考えろよ。
今は小説を書きつつ、広告や商品の企画などをたまにやっているが、小説にしても某雑誌の編集者から「小説を書いてください」と言われて書き始めただけで、自分から書こうと思ったことは、実は一度もない。俺にとって仕事とは、頼まれたり、誘われたり、巻き込まれたり、騙されたりしてどうにも断りきれずうっかり始めるものであって自分から進んでやるものではないのだ。
働き方もバラバラだ。一部上場企業ではいわゆる正社員としても働いたが、契約社員やアルバイトといった非正規雇用だったり、時には個人事業主だったりもした。零細企業の役員も非営利組織の職員もやった。当然のことながら無職の時期も何度か体験している。
俺自身は無職もそれほど悪くはないと思っていたんだが、金がないのだけは辛かった。かなり辛かった。いや、マジで辛かったよ。ただでさえ辛いのに、役所から心にトドメを刺すようなことを言われるアレはどうにかならんのかね。思い出すと愚痴が止まらなくなりそうだからこの辺にしておくが、弱っているんだからもっと優しくして欲しいものだ。役所の人、そこんとこ頼むよ。で、今の俺は個人事務所の社長だが、社員は俺と猫だけの会社だから実質的にはフリーランスだ。
ともかく、そうやってたくさんの職場とそこで働く人たちを見てきた経験から、俺はだんだん「働かない働き方」こそが理想だと思うようになったわけだ。ふう。ここでやっと本題だよ。いやあ、ずいぶん長く待たせたな。俺も待ちくたびれたよ。
嫌なことする代わりに金をもらうのが仕事だと思い込んでいるお前らは、長く職場にいること、苦労すること、疲れることを仕事だと考えがちだ
では俺の言う「働かない働き方」とはどんなものなのか。それは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる。え、それだけかよというお前らの厳しいご意見苦情が聞こえてくるが、ああ、わかってるわかってるわかってるとも。
それじゃあんまりだから、そのための方法をこれから適当に書くからお前らも適当に読んでくれ。適当だからほとんどは役に立たないだろうが、もしかするとほんの少しくらいは何かのきっかけになるかも知れない。ただそれはお前らの受け取りかた次第なので、俺には何の責任もないと言っておく。わはははは。だからあまり真に受けるなよ。俺は知らんからな。
前回、俺にとって仕事とは、逃げても逃げきれないもの、やりたくないのに捕まってやらされるものだと書いた。だがもし、それがやりたいことだったらどうだ。これが秘訣なのだ。俺のこれまでの経験から言って、ほとんどの仕事はやってみると案外おもしろい面があるし、俺の知る限り、どんな仕事にでも自分なりの楽しみ方が見つかるものだ。それが見つかればしめたもの。それはもう逃げ回るべき仕事じゃない。自分からやりたいものに変わるのだ。言ってみれば敵が味方になるようなものだ。
自分のやりたいことをやる。自分のやりたいことにする。これこそが「働かない働き方」だ。口では嫌だの辞めたいだのとブツブツ言ってはいるが、正直に言えば今の俺は自分の好きなこと、自分のやりたいことしかしていない。だから俺は堂々と仕事をしていないと言うのだ。俺はもう、これっぽっちも仕事なんかしていないのだぞ。どうだ羨ましいだろう。だははは。
どうしてお前らは好き好んでやりたくもないことに飛びこんでいくのか。青汁を飲んだ時のような面倒くさい顔つきをしながら、楽しくもないことでがんばるのか。それはな、お前らがまちがっているからだ。ルノアールのココアに砂糖を追加するくらい激しくまちがっているからだ。
嫌なことする代わりに金をもらうのが仕事だと思い込んでいるお前らは、長く職場にいること、苦労すること、疲れることを仕事だと考えがちだ。どうだ。嫌なことをすればするほど仕事をした気にならないか。疲れることと疲れないことでは、疲れるほうが仕事をした気にならないか。チッチッチ。それこそがミス、大きなミステークだよ、ブラザー。それ、マジでなんの意味もないからな。そういう働き方をしている限り、いつまでたっても嫌なものからは逃れられないから、よく覚えておけ。覚えられないお前らは油性ペンでメモっとけ。
自分で自分を褒められるようになること、自分で自分を認められるようになることのほうが、他人に評価されることなんかよりも、よほど大事なのだぞ
「働かない働き方」。その第一歩は競争をしないということだ。他人の評価を気にするお前らはとにかく競争する。なんでもかんでも競争する。自分でもわかるだろうが、お前らには根っから競争が染みついているのだ。上司に褒められたい、周りに認められたい。それはぜんぶ競争だ。だがいいか。お前らを褒めたり認めたりするのは他人だ。競争とは他人の基準で生きるということなのだぞ。
よく考えてみろ。褒められたり認められたりするために、お前らは本来の仕事のほかに他人に認められるための作業をやっていないか。やっているだろう。くだらん、実にくだらんよ。そんなものに時間を使うのはバカバカしい。もちろん他人に評価されないと不安になる気持ちは俺にもよくわかる。だがその不安がお前らを無駄な競争に駆り立てているのだ。そんな競争からはさっさと降りてしまえ。
どれだけ他人がお前を評価しようとも、それは結局他人だ。奴らはお前らの人生を肩代わりはしてくれない。これだけ職を転々としてきて俺が知ったこと。それは、最後の最後に他人は逃げるということだ。期待は常に裏切られる。そのとき、お前らに残されるのはお前ら自身だけだ。いいか。珍しくマジメなことを書くが、自分で自分を褒められるようになること、自分で自分を認められるようになることのほうが、他人に評価されることなんかよりも、よほど大事なのだぞ。
それは、わざわざ褒められないように、認められないようにしろということじゃない。褒められるに越したことはない。俺だって褒められたら嬉しいし、チヤホヤされたら興奮する。かなり興奮する。興奮してまちがいなく調子に乗る。でも俺はそれを目的にはしない。そんなことのためにがんばる気などまったくない。俺は俺が楽しめればそれでいい。無意味な競争はしない。
勘違いしてもらっては困るのだが、俺は楽をしろと言っているわけじゃないぞ。競争がなければ楽だとは限らない。競争していないのに辛いことだってあるのだからな。いや、もしかすると辛いことのほうが多いかもしれない。それでも「働かない働き方」のためには競争から降りなければならないのだ。
そもそも人間は働くことに向いていないと俺は思っている。他の動物を見ろ。働いていないじゃないか。やりたいことだけやっているじゃないか。なんで人間だけが働くんだよ。そんなのおかしいだろ。だから自分が楽しいと思うことだけをやるか、やっていることを楽しむだけでいいのだ。
それにはまずは自分が絶対にやりたくないことだけは何があってもやらないことだ。次回はそのことを書いてみる。もっとも俺が次回まで覚えていたらの話だがな。
文:浅生鴨
絵:ぼんち
次回:
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.3ー子どものころの"ごっこ遊び"の感覚を覚えているのなら、きっと仕事を楽しむことはできるー
当連載のバックナンバーはコチラ→
浅生鴨の「働かない働き方」vol.1ー仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ
執筆者プロフィール
浅生鴨(あそう・かも)
1971年神戸市生まれ。早稲田大学除籍。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクターなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。2016年長編小説『アグニオン』を上梓。
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