「カンヌライオンズ2016」レポート2回目です。
「カンヌライオンズ」とは世界最大クラスのアイデアとクリエイティブの祭典。ここでは企業や社会、人と人とのコミュニケーションがもっと面白くなるようなプロジェクトの事例をたくさん見ることができる、というお話でした。
詳しく知りたい方は前回記事も併せてお読みください。
★世界のビッグなアイデア全員集合!クリエイティブ文化祭「カンヌライオンズ2016」に行ってみた vol.1
ものづくりは人工知能に勝てるか?
さて、今回のトピックは近頃、巷をザワつかせている
「AI(人工知能)」と「VR(バーチャル・リアリティ)」です。
前に書いた通り、このフェスティバルでは会期中、世界のキーパーソンたちが登壇して、それぞれの専門ジャンルに関する知見を共有するセミナーが数多く開催されています(小さいものも含めるとオフィシャルで約150コマ)。
「SNSで話題になる企画や動画を考えるにはどうしたらいいの?」といったノウハウ的なものから、「企業は今後どのように社会問題と関わって行くべき?」といったビッグイシューまで、そのテーマは様々です。
年によりトレンドも変わるのですが、今年はAIやVRをテーマにしたセミナーがやはり目立っていましたね。
私は編集者ということもあって、
「WIRED」の創刊編集長であるケビン・ケリー氏のセミナーにフラッと立ち寄ってみました。講演タイトルは「私たちみんなが向かっている場所」というもの。
このセミナーのテーマもAIでした。
「シゴトゴト」でも年明けに、こんな書評記事(
「10年後、僕らの仕事はどうなってる?」)を書いたことがありますが、
「テクノロジー(人工知能など)がもたらす自動化の大波が、人間から仕事を奪ってしまうのでは?」という懸念はいまや世界共通のものとなっています。
実際、ニースの空港からカンヌに向かうとき、「Uber」に反対するタクシー運転手のデモに出くわしたりもしました(昨年)。やっぱりUberは「便利だし、基本安いし、すごくゴージャスなクルマで来てくれたりもするし」ということで、こういったサービスは世界的にますます拡大していきそうです。
同じ動きは今後、より多くの業界に波及していく可能性が高いとも言われています。
ケビン・ケリー氏によるセミナーでも、「じゃ、そのとき私たちはどうすればいいの?」ということが中心に語られていました。下の写真がそのときの模様です。
始まる間際にフラッと入ったので遠っ…。いい場所で見るためには30〜60分並ぶ必要がある
写真のスライドに出ているように、話の結論は「『どんだけ上手にAIを活用するか?』で報われるようになるよ」という、なんだかざっくりしたものでしたが、彼がトークの中で強調していた
「①AIがもたらすのは第二の産業革命である」「②人間の仕事は効率とは関係ないものが重要になる。それは科学とイノベーションとアート、体験だ」というポイントは、多くの論者が語る未来像とも一致するものであり、「まあ、やっぱりそうなんだろうな」と思わせられました。
ちなみにケビン・ケリー氏は、『The inevitable』という新著のキャンペーン期間らしく、カンヌだけでなく、毎年春に行われるテック業界の世界最大イベント「SXSW」などにも登壇、邦訳の出版に合わせて、今月は来日して講演など行うようです(本の邦題は『〈インターネット〉の次に来るもの』)。
ワールドクラスの執筆者は新著を出すと、「こうやって世界ツアーをするんだな」といったこともわかりますね。講演の最後でもしっかり自著をPRされてました。
テックを社会に伝えるプラスαなアイデアとは?
それはさておき、AIのテクノロジーはすでにとんでもない境地に突入し始めているようです。
カンヌライオンズには
「イノベーションライオン」という、その名からイメージされる通り先端テック系のプロジェクトだけを集めたカテゴリーがあるのですが、そこでグランプリを受賞するなど話題になっていたのが、Google Deep Mindの
「Alpha Go(アルファ碁)」です。
アルファ碁は「世界ナンバーワンクラスの囲碁棋士を4勝1敗で打ち負かした」ということで、日本でも結構ニュースになっていました。私もそういった記事を読んではいたのですが、持った感想としては「将棋でも勝つわけだから、そりゃ碁も勝つでしょう?」というイージーなもの。
しかし、どうやら碁は人工知能にとってとてもハードルが高い複雑なゲームとのことです。碁の複雑さはチェスの「10の100乗!」とも言われているらしく、プロに勝利することは、AI業界内でも“Grand Challenge”と言われていたとか。
以下のケースビデオ(カンヌに応募するための説明動画)をご覧いただくと、この実験が「どんだけスゴいものか?」ということをイメージしていただけるかもしれません。あまり報道されないプロジェクトの“内幕”がわかります。
ビデオ内で説明されているように、ただ複雑なだけでなく、碁はロジック(戦略)にプラスアルファしての「感性」や「直感」も求められるものらしい。アルファ碁ではそういった諸々の条件をクリアするため、ふたつの異なるネットワークを稼働させているそうです。
しかも、このAI技術はたんに「碁に勝つ」ためだけに開発されたものではないとか。動画の最後では
「アルファ碁の背景にある技術を高め、より大きな挑戦をすることで、明日にはそれが社会の役に立つ日が来るかもしれない」と語っています。
つまり、このアルファ碁というのは、先端のAI研究を行う
「Google Deep Mind」という企業(技術)のPR施策にもなっているわけです。
技術というものは高度になればなるほど難解になり、いかに画期的なものであってもそれ自体は味気ないというか、世間の注目を集めたり、理解されることも難しい。広い社会との関わりを作りにくい面があります。
その点で苦労されている科学者や技術者の方は多いかもしれません。
しかし、アルファ碁のように「世界プロにも勝てるんだよ」とわかりやすいコンテンツ(イベント)に仕立てて発信することで、世界のどれだけのテレビ・新聞・ネットメディアその他が喜んでこのネタを取り上げたか? と思うと、テクノロジーの面白さ(意義)を社会に伝えるアイデアの重要性も見えてきます。
「技術は技術のままでは広まらない」ケースもあるのです。
そうやって“わかる化”するプロセスの中で技術は社会に普及していきます。普及することでより有益な活用法も見つかるかもしれませんし、逆に悪用されるケースもありそうです。それを判断・実行するのは人間です。
雑誌編集もいまやAIでやれる
悪用ではないのですが、私のような仕事をしている者から見て、「あちゃー!」と声に出してしまうようなショッキングなケースにも出くわしました。
フェスティバルの会場で配布されていたこの雑誌です。
「自動運転雑誌。この号は人工知能によって作られています」(表紙より)
こちらは「The Drum」というマーケティングやデザインの専門誌なのですが、表紙を見ると編集者が全員ヒマそうにしている。編集長にいたっては仕事中にiPadでゲームをしています。
「なぜか?」と言うと、IBMの「ワトソン」がこの雑誌を作ってくれたので、「スタッフはすることがない!」という状況ですね。もちろん記事も“ゲストエディター”であるワトソン君が書いています。
つまり、ここにいる編集者たちは失業一歩手前だと…。
ワトソンは正確には「人工知能」ではなく、「コグニティブコンピューティング」というもののようですが、これには驚きました。掲載されている記事をいくつか読んでみたところ、ネタのチョイスから文章まで、言われなければ人が編集していると思ってしまいそうなレベルです(人によるチェック作業も加わっているかもしれません)。
とはいえ設定やデータの入力は現状では大変な模様。「いまのところ人が作ったほうがまだ楽です」といった感想も編集後記に書かれていましたが、それにしてもここまでの仕事がやれてしまうとは……。
プロセスから完璧にデジタルで作ったものを、あえて紙媒体に落とし込んでいるところも、試みとして面白いですね。
正直、私も一人(?)ほしいくらいです! 編集Siri的なコンシェルジェとして。
ワトソンは「コールセンターでの顧客対応」などでの活用を意図して開発されたようですが、こうなってくるとケビン・ケリー氏が言う「(人間にしかできないはずの)アートな活動」も、ある程度はAIがこなせるようになるのかもしれません。
AIに愛をインプットできるのは人
それを裏付けるように、今年のカンヌライオンズではこんなプロジェクトも話題になっていました。
「ネクスト・レンブラント」というプロジェクトです。オランダの銀行がマイクロソフトなどとコラボレーションして実施したもので、17世紀の画家レンブラントの“新作”をプロデュースしました(冒頭写真)。
ケースビデオをご覧いただけるとわかるように、この制作プロセスがなんともエモい。
まず、現存するレンブラントの作品すべてを3Dスキャンします。そして画家が描いた人物の性別・年齢といった特徴だけでなく、顔の各パーツの形や比率、衣装なども分析しつくし、「これぞレンブラント!」な要素を抽出しながら、ディープラーニング(機械学習)を行うわけです。
最終的には絵の具のビミョーな盛りにいたるまで巨匠の画風を再現。現物を見てみないとなんとも言えない部分が残るとはいえ、映像で見る限り、西洋絵画にかなり詳しい人や専門家でもなければレンブラントの真作だと信じてしまいそうです。
昔、ベンヤミンというドイツの思想家が「アウラの喪失」というテーマで20世紀初頭の芸術を論じました。ざっくり言うと、
写真や映像、印刷物といったアートにはオリジナル作品が持つアウラ(オーラのようなもの)がないという話ですね。
当時は写真が普及することで多くの画家が失業していった時代です。古き佳きものを懐かしむ声も多かったでしょう。しかし、ベンヤミンは「アウラがないところが逆に面白いんじゃないか?(昔ながらの文脈にしばられなくて)」と考えていたようです。
いま世界で生じているのは、そういったことの“21世紀バージョン”という気もします。そういう時代に立ち会えているのは面白いと私自身は感じます。
ところで、この「ネクスト・レンブラント」に関わった二人の若者と現地でビール飲みました。一人は南米出身でいまはオランダで仕事をしながら、日本が好きでちょくちょく旅行に来るらしく、東京では「高田馬場」にハマっているらしい。
「なぜ馬場なんだ?(アキバとかではなく)」と思うと笑えます。レンブラントを題材にするくらいなので、テックパーソンながらバーチャルではなく写実なリアリズムが好きなのか? などと想像して。
どこまで行っても考えているのは人間だということがわかるドリンク体験となりました。
そのときふと頭に浮かんだのは、AIはどこまで行っても愛は学べないかもな、という感想。
さてみなさんは今日ご紹介した3つの“AI事例”をどう考えるでしょう? 長くなってしまったのでVRに関してはネクストに。この調子で書いて行くと終わりませんね。やっぱほしいですね、AI。
記事:河尻亨一(仕事旅行社キュレーター/銀河ライター/東北芸術工科大学客員教授)