2019年07月03日更新

いい酒と人柄のよい店主。根津「サワノ酒店」はとびきり好きなお店だー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.12

作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回はサワノ酒店へ。(編集部)

僕は酒が飲めないので、酒屋になりました


根津にとびきり好きなサワノ酒店がある。

とびきり人柄のよい店主である。おじさん吉田武生さんもおばさん忠子さんも変わりない。しかも長男、次男がしっかりお店を継承し、主力になっていた。

――めでたいことですねえ。「谷根千」6号でお酒屋さん特集をしたとき、60件あった酒屋がもう20件しかないんですよ。

「ねえ、みんなやめちゃったねえ」

――どうしてでしょう。

「前は厳しい統制があって、酒屋の監察を持っていなければ酒が売れなかったのが、1997(平成9)年、規制緩和というのか、お酒が自由販売できるようになって、コンビニやスーパーが売り出した。これでは太刀打ちできません」

――それでお店を続けるために、どう対策をたてました?

「申し訳ないけど、それまでのように近所のご家庭のニーズに応えるというのはやめざるを得ませんでした。味噌醤油の類い、缶詰、小麦粉、油、みりん、そういう食品や調味料はやめて、酒に特化した。もっともご家庭の主婦の方も調味料はスーパーで買いますしね。今は本当にお酒の好きなお客様、それと、70件ほどの居酒屋さん、飲食店への配達を中心にしています」



――店の中に古い根津の街並み写真、ここに写っているのが、ビルになる前のサワノ屋さんですね。

「そうです。父は吉田治助といい、福井の鯖江の人で、本当か知りませんが、上京して東京帝大を受けたそうです。それに失敗して、上野の黒門町、燕湯という朝湯をやっている銭湯の前で昭和3(1928)年に酒屋を開きました。そこが戦争で焼けて、焼けなかった根津に引っ越してきたわけ」

――なるほど。お母様も福井の方ですか。

「いえ、オフクロは東京の麻布の人。兄弟は7人いたんですが、父は体が弱くて、昭和31(1956)年に死んじゃった。だから母が苦労したと思います。

最初、長男が後を継いだのですが、これが大酒飲み。酒飲みには酒屋はできません。結局、勤め人になって、今も90近くで元気です。僕は一番下で、父が死んだ時は12歳だった。つまり昭和20年3月の空襲では1歳半で、上野にいた頃ですから、松坂屋の地下の防空壕で助かりました。僕は酒飲めないので、酒屋になりました」

――そうか、目の前にお酒があれば、酒飲みなら開けちゃいますね。そういえば、冬になると『賀茂鶴』の樽酒を店頭で販売されて、根津の風物詩でした。広島の西条のおいしい酒ですね。私もあの時の通い徳利を今も持っています。

「もう、あの通い徳利は値段が張るので作れません。今年の分はすでに注文はいっぱいです。今は綺麗に洗った一升瓶で売ってますが、何本も予約される方も多いです。あれは年の暮に、お正月に家族で飲むお酒をということで始めたんですよ」



蔵元を訪ね歩いて、いい酒を回してもらいます。オリジナル商品もあります


――紅白歌合戦を見ながらとか、初詣から帰って一杯とか、年で一番ワクワクする家飲みですね。私の書いた本の名前がついた『鴎外の坂』もサワノさんで随分、売っていただきました。仕込みも私が行き、ラベルも私がデザインして字も書きました。

「あれは愛媛五十崎の千代の亀酒造。どっしりしたうまい酒でしたが、今は製造していないそうです。その後、鴎外生誕150年のときには、鴎外の出身地である島根県津和野町の『鴎外の郷(さと)』(賊間酒場)というお酒を、文京区内の酒店で扱わせてもらいました」

「小柄で魅力的な奥様はどこのご出身ですか」というと、カウンターにいた奥さん、

「私は秋田の雄勝郡羽後町の出身なんです。西馬音内(にしもない)という古くから伝わる盆踊りが有名な町なんですが。実は並びの岡村金属さんが実家の親戚なので、そのご縁で」

――おお、それで秋田の「まんさくの花」があるんだ。横手市の日の丸醸造ですね。

「はい、ここに頼んで、うち独自で『谷根千』『根津』というお酒も造っています。ラベルは実家の母に書いてもらいました」

――いいですね。日本酒に特化するときはどうしたんですか。

「これが下谷龍泉に小泉商店という昵懇なお店があって、そこの社長が蔵元を紹介してくれたんです。そういう手づるがないと、いい酒が入りません。地酒ブームとは言っても、小さくて丁寧に作っているところは、そんなに量は作れません。人気のあるお酒ほど入りません。それで、蔵元を訪ねて、お願いして回してもらう。相当旅費もかかります」

「南」(高知・南酒造場)、「五橋」(山口・酒井酒造)、「雪の茅舎」(秋田・齋彌酒造店)、「越後おやじ」(新潟・妙高酒造)。おいしい酒ばかり。



――日医大に勤める友人が、沖縄の友達にお酒を送りたいそうなんですが。

「そういうギフトのご注文、多いです。沖縄の泡盛はお米が原材料ですが、作り方が違う蒸留酒です。九州の方たちも多くは焼酎を飲みますね。東北の辛口が珍しくていいんじゃないでしょうか」

――ご主人、あまり飲まれないというけど、お詳しいですね。

「長男は酒が強くて、よく調べますので。次男は私と同じで下戸なんですが」

カウンターに秋田、佐藤養助商店の稲庭うどんがあった。現地で食べた思い出が懐かしく、つい、買ってしまった。

2018年の夏は、甲子園での金足農業高校の活躍で盛り上がった。そういえば、今開成学園のある一帯は佐竹ッ原といい、秋田藩の下屋敷衆楽園があったところだ。



取材・文:森まゆみ

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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/


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