2019年02月06日更新

社交的ではない。ただ、会いたい人には会おうとするし、やりたいことはやるーギター製作家、清水優一さんを訪ねて(後編)ー

グループの中で力を発揮する人がいる一方で、1人で黙々と自身を磨くタイプの人もいる。ギター製作家、清水優一さんの歩んできた道は、そのことを思い出させます。

前編 では、15歳で志したギター製作家の仕事に19歳でようやくたどり着いた清水さんが、河野ギター製作所に住み込みで働き始めるまでのエピソードをご紹介しましたが、ここからはそれ以降、現在にいたるまでのお話を。

海外の著名ギタリストや製作家との交流を重ねることで、清水さんの世界が広がっていきます。

ジャマイカの伝説的ミュージシャンに自作ギターを届ける


15歳でブルースにハマっていた清水さんは、20歳を越えると音楽の興味をレゲエにシフト。レゲエが縁で知り合った人がジャマイカに長期滞在したことをきっかけに地球の反対側のジャマイカを訪ねた。2002年のことだ。その後、河野ギター製作所在職中の13年間にジャマイカに行ったのはなんと計6回。

2006年には日本で友達になったジャマイカ人の家族宅にも泊まりにもいった。そのとき清水さんが持っていたのは経由地のシカゴで買った1950年代のヴィンテージエレキギター。

「お前はギター弾くのか?」
「僕はギターを作っているんです」
「それなら、私の幼なじみの家に連れて行ってやる」

そんな会話のあと、友人のお父さんは、ある家の庭に清水さんを連れて行った。その家の主人はアール・チナ・スミス。70年代のレゲエミュージックのレコーディングは、約80%が彼の演奏だとされるギタリストだ。レゲエの神様、ボブ・マーリーのレコーディングにも多く参加している。

チナの庭では、ミュージシャンが輪になって1日中演奏している。その庭で清水さんはあっという間にチナの演奏に魅せられた。

「今の時代にも、こんなギタリストがいたなんて」

それまで、ギター製作家を目指して以来、清水さんが敬愛したギタリストはとっくに亡くなり、伝説になっていた。当然、死んだギタリストのライブを生で見ることはできない。でも、チナは清水さんの目の前で演奏していた。自然と清水さんの視線は庭で演奏するチナが抱えるギターに向いた。

「そのときチナが出してきたクラシックギターが案外安物でした。この人にこのギターを弾かせていてはいけない、そう思いました」

帰国後、清水さんは仕事が終わると、チナがレコーディングでよく使ってきたスチール弦のギターを作り始めた。そして2008年。清水さんは飛行機を乗り継いで、再びチナの庭を訪れた。「あなたのために作りました」とギターをプレゼントするためだ。

「気に入ってくれたみたいで、ずっと弾いていてくれました」

そのときチナは「今度はナイロン弦で作ってくれないか」と清水さんにリクエストした。

ナイロン弦は、清水さんが専門とするクラシックギターでも使われる。一方、最初に送ったスチール弦タイプはフォークギターと同じだ。

再度、就業後の時間をやりくりしてチナのためのナイロン弦のギターを製作すると、2年後の2010年に再度ジャマイカを訪れて、プレゼントした。

そのときも、チナはずっと清水さんのギターを目の前で弾き続けた。

「チナは世界でいちばんギターを弾いている人じゃないかと思います。人生をギターと音楽に捧げる、その生き方が美しい。音階の練習をする姿を見たときには、まだ練習するのか!と衝撃を受けました。彼のためにギターを作ったことで、腐り気味だった僕のギター製作への気持ちを立て直すことができました」

伝説として名を残すギタリストのためにギターを作り、目の前で演奏されるという経験は、清水さんにとって独立するための大きな自信に繋がった。



クラシックギターの本場、スペインでは語学から学んだ


ギター製作家が作ったギターは、作家の名前とともに販売される。「いずれは独立して自分の名前でギターを作りたい」との気持ちが清水さんにはいつからともなく揺るぎないものになっていた。ただしタイミングについては「そろそろいい時期かなという感じ」だったという。2013年末、13年の間、技術以上のことを学んだ河野ギター製作所を退社した。

独立したあと、清水さんが向かったのはスペイン。スペインはクラシックギターの本場だ。著名なギター製作家も多く住んでいる。それまで何人かの先輩たちからスペインでの思い出を聞く機会もあり、クラシックギターを製作する限り、訪れるべき場所だと考えていた。

3ヶ月の滞在に備えて、清水さんは日本でもスペイン語を勉強した。しかし、いざスペインに着くとなかなか言葉が聞き取れないし、通じない。

困っていた清水さんが飛びついたのは「英語教えます」という張り紙だった。スペインに滞在していたアメリカ人がアルバイトとして出していたものだった。「英語じゃなくて、スペイン語を教えて欲しい」と頼み込むと交渉は成立。スペイン語の個人レッスンを2週間。猛勉強した。

「そこで習ってしまわないと、この先の滞在で全然言葉がわからないと思ったんです」

マンツーマンのスペイン語のレッスンおかげもあっただろう。3ヶ月のスペイン滞在中、清水さんはたくさんの人たちと交流し、滞在を楽しみ、多くの経験を得ていく。

とりわけ、バルセロナからマドリードに向かう途中にあるシグエンサという街では著名なギター製作家、ホセ・ルイス・ロマニリョス氏に彼の書籍出版イベントで声をかけた。スペイン滞在中にぜひ会ってみたかったロマニリョス氏を前に、工房を訪ねたいと伝えると、ロマニリョス夫妻は温かく迎えてくれた。

清水さんのまっすぐな人柄が好印象だったのだろう。さらに夫妻は、同じ時期に開催されたシグエンサ国際ギターフェスティバルというイベントで、清水さん作のギターを展示しようとまで言ってくれた。その場には著名な製作家や演奏家が集まる。彼らから自分のギターへの感想やアドバイスを受け取ることができた。

「滞在中はいろんな製作家にアポイントもせずに会いに行きました。向こうの人たちは、店舗を兼ねた工房で、ドアを開けっ放しで作業していて、いろんな人が入れ替わり立ち替わり、話したり、お酒飲んだりしている自由な感じでしたよ」

ジャマイカの旅での経験や、スペインで大御所のギター製作家と積極的に話をする姿は、不登校だった少年時代とはかけ離れている印象がある。

「自分では子供このころから変わっていないと思います。人見知りだし、社交的では全くない。ただ、会いたい人には会おうとするし、やりたいことはやる」



音の謎を解く楽しい苦悩。もっとギターを作らなくちゃいけない


独立して清水さんの仕事には2つの大きな変化があった。ひとつは、難易度の高い修理の仕事を請け負うようになったこと。

「ギターはすべて1点もの。同じ人が同じように作っても、音は変わります。1本1本、それぞれの音が出るものなので、気に入ったものの替えは効きません」

ギター製作家にとっては、修理もたいせつな仕事だ。現在の清水さんには収入源としても欠かせない。

「アクシデントがあって、ケースも貫通してボディがバキバキになっていたことがありました。残ったパーツをパズルのようにはめ直して、ニカワで接着したのですが、時間がかかりましたね。難しい修理に慣れないころは、夜遅い時間までやっていました」

もうひとつの変化は、製作するギターの性格を変えたことだ。そもそもロックやブルースからギターにのめり込んでいった清水さんが、仕事としてクラシックギターを製作することにしたのは、クラシックギターは、コンサートホールでも生音で聴かせることを前提としていて、奥が深いと感じたからだ。

そのクラシックギター製作の世界では、ギターを現代的と伝統的とに分けることがある。河野ギター製作所では、音の均一さと豊かな音量が確保され、演奏しやすいなどの特徴のある、やや現代的なギターを作成していた。独立後は、音量は小さいものの明確な発音で繊細な表現に適したスペイン伝統工法のギターの製作に取り組んでいる。



「この板は今3.5mmですが、2.5mぐらいまで削るつもりです」

そう言って清水さんは、板をコンコンと叩いた。

「こんな風にボディの表面になる板を叩きながら、完成後の音を想像して、リンクさせていきます」

製作の作業は完成後の音を想像しながら進む。例えば、木の厚みが薄いと、低音が強調される。厚いと高音が強調される。中に入れる力木という補強材の削り具合でも変わる。木の反り具合にも左右されるという。

ただし、どの部分をどういう風に工夫すると目指す「いい音」になるのかは、どの製作家にも確信はない。当然、人によって音に対する考え方はいろいろだ。

「音作りは簡単に答えが出ない苦しい部分ですが、それは楽しい苦悩なんです」

世界的に著名な製作家の手によるギターは500万円という高額で販売されることもある。量産体制のもと製作しているギターは数万円で買える。清水さんのギターは60万円から100万円ほどだ。

「ギターを弾かない人にとっては、値段の差がどこにあるのか、きっとわからないだろうと思います。でも、段々と見慣れたり、音を聞き慣れたりしてくると、それまで気づかなかったそれぞれの違いが見えてきます。でもそうすると、実はもっと謎が深まっていきます」

清水さんは音のことを言葉にするのは難しいと断った上で

「製作は、いろいろと考えながら音の謎を解いていくようなものです。知れば知るほどのめり込めるし、謎も増えていきます。そもそも何がいい音なのかを知ることが相当難しいことです。僕は、最近少しずつ理解できてきた。ギター製作を心底楽しめるとしたら、自分の目指すいい音がわかってからですね。僕はまだそこに到達していない」

独立してからの5年間で清水さんが制作したギターはまだ8本。使用する材料は、購入してから5年ほど乾燥させてから使用するため、清水さんの工房には多くの木材が吊り下げられた状態で保存されている。ボディはもちろん、小さな部品も手作りする。そのため、1本のギターを製作するのに5ヶ月ほどはかかる。修理の仕事と並行していて、製作が思うように進まないこともしょっちゅうだ。

もっとギターを作らなくちゃいけない。清水さんはそう言った。

2017年の春、清水さんに連絡が入った。清水さんがギター制作の存在を知るきっかけを作った『ギターマガジン』の編集部からだった。

「今度、ジャマイカのギタリストを特集します。アール・チナ・スミスが使っているギターは、清水さんが作ったものと聞きました。お話を聞かせてくれませんか?」

清水さんは電話で取材に応じた。特集が掲載された2017年9月号には、清水さんも訪れた庭で清水さんがプレゼントした2本目のギターを抱えたアール・チナ・スミスの写真が載っていた。独立した2013年以降、清水さんはジャマイカを訪れていない。清水さんが久しぶりに見たナイロン弦のギターのボディにはずいぶんと弾き込んだ跡もあった。



不登校で自室にこもりがちだった少年が、ギター製作家への扉をノックし続けた日々から20年余りが経ち、ギターを通して清水さんは世界との距離を縮めた。

今日もアール・チナ・スミスは地球の反対側のあの庭で、たくさんのミュージシャンとセッションしているはずだ。清水さんの作ったギターもチナにまつわる伝説の一部になっていくだろう。

取材・文・写真:野崎さおり

前編:伝説のギタリストに魅せられた少年は15歳でギター作りを志した

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